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 佐藤一志は、焦っていた。


目覚めた時、目の前は真っ暗だった。


自分が今どこにいるか、まるでわからない。


目覚めたばかりのせいか、頭が重く、思考がまとまらない。


手足は何かで固定されているようで動かせない。


どうやら、背もたれのある椅子に座らされているようだ。


頭には黒い布が被せてあるのか、前は見えず、息苦しい。



<俺はどうなったんだ…>



佐藤は記憶の糸を手繰り始めた。



 <目が覚める前、俺は家で寝ていたはずだ。


はずじゃない、間違いなく、あのボロアパートの汚い部屋で不貞寝していた。



 貯金が底をついた。


消費者金融に金を借りに行った。


インターネットでキャッシングカードを作った。


そうやって多重債務を重ねる内、督促状が毎日のように来るようになった。



『その債務、戻ってくるかもしれません』


電車の中刷り広告を見て、弁護士事務所に行った。


記入した調査書を見た弁護士に、正規の金利だから戻ってこない、と言われた。


何が、戻ってくる、だ。



 大学は卒業したものの、作家志望でもう二年目。


ヒット作どころか、どこに持ち込んでも、何に応募しても認められず、本という形にすらなっていない。


大学の時に書いた小説が妹や当時の彼女にうけた、それだけの理由で、その気になったのが運の尽き。



 今は、その彼女とも別れた。


親にも見放されて、仕送りは就職できなかった時点で止められている。



 社会は俺の作品を受け入れない。


俺自身が社会に適応できないのか。


大学四年目、一応、就職活動はした。


親父のコネを蹴ったはいいが、どこも俺を雇ってくれなかった。


それで、夢を追いかけて何が悪い。


ただ、この先、どうしたものか。


一発売れれば、そう思ってアルバイトもしていなかった。


が、そうも言ってられないな…金もねえし…


そんなことを思いながら、不貞寝した。



 なぜ、こんなことになっている?>


 佐藤はさらに目覚める前の記憶の糸を手繰ったが、不貞寝したこと以外は思い出せなかった。



とにかく、とりあえずは手を動かして、頭に被せてある布か何かを払い除けたい。


鼻が擦れてムズムズするのだ。


両手はさっきから考えながらも、動かそうとしている。


感触では、何か硬柔らかいものに肘まで包まれているようだ。


足も同じで、膝まで筒の中に突っ込んでいるように感じた。


まるで、スキーブーツだ。


どちらも数ミリの隙間があって、その間をピクピク動かせるだけ。


腰にもベルトのような感覚があり、きつく巻いてあるようで、浮かそうにも浮かせられない。


顔と首は普通に動かせるので、縦横激しく振ってみるが、覆いはとれなかった。


この状況からして、寝ているうちに誰かに拉致され、どこかに監禁されてしまったのか。



「おおい…」


佐藤は堪らず声を上げた。



目覚めた時から聞こえてくるのは、頭に被された衣が擦れる音だけ。


誰かが周りにいる気配はない。


が、声を上げずにはいられなかった。



<ただ、なんと言えばいい?


誰かあ、か?


助けてくれ、か?>



犯人以外の誰かがいるなら、こんな状態を見れば、すぐに助けようとしてくれるだろう。


犯人が黙って側にいるとしても、こんな状態にしておいて、助けてと言って、はい助けます、となる訳がない。


 それで出た言葉が「おおぃ」。


情けない、小さい声だった。


もう一度、今度は大きく出してみた。


返事は当然のようになかったが、佐藤は自分の声の響きから、狭い部屋の中にいるのでは、と感じた。



 その時、ガラガラ、とすぐ後ろでドアのゆっくり開く音が聞こえた。


重い鉄の引き戸のようだ。


それから、カラカラと何か台車を押すような音に、ドアが閉まる音が続いた。


「——2018年5月12日土曜日、午前9時2分、被験者、佐藤一志…」


かすれた声が後ろから近付いてきた。


「あなたをこれから拷問します」


「な、何を…」


唐突な宣言に、佐藤の鼓動は一気に高まった。


「あなたをこれから拷問します」


声の主は先ほどと同じことを、今度は耳元で言った。


マスクをしているような、少しくぐもった声。


「これは焼きごてです、感じるでしょう」


佐藤は、顔の前に熱を感じた。


頭を覆う布越しに伝わってくるほどの熱さ。


「やめろ!」


佐藤は思わず叫んだ。


やめろと言ってやめる相手ではないであろうが、声を上げずにはいられない。


熱い空気の塊が顔の前を行ったり来たりするのを感じた。


「やめろ、何をするんだ、やめろー!」


佐藤は恐怖で引きつる。


と、空気から伝わる熱を顔に感じなくなったとたん、

「熱っ!!」


佐藤は唸った。


左の二の腕に激しい熱を感じた。


焼きごてを一瞬、当てられたのか。


痛みに耐えかねて激しく暴れるが、それ以上どうすることもできない。


全身から脂汗が出てきた。



「今度は首の後ろです」


耳元で囁く声は、事務的で感情がこもっていない。


それが返って、佐藤には不気味に感じた。


「あまりに熱いと、時には冷たく感じることもあるようですよ」


「やめろ、やめろー、やめてくれー、頼むからやめて、なんでこんなことを…」


佐藤は駄目で元々、体をくねくね動かしながら、言葉を変えて懇願し続けるしかなかった。


「今度は長めにいきます。ちょっときついですよ」


頭の後ろに熱い空気を感じた。


「いきますよぉ」


感情のない声は念を押してきた。


「ぐぁあああああああ!!!!」


腕とは比べものにならぬほどの激痛。


五秒ほどその拷問は続いたが、佐藤にはずっと長く感じた。


髪が焦げたような嫌な匂いがし、背筋にすーっと液体が流れるのを感じた。


火傷で血が出るのか…佐藤が激痛の中で思うと、


「あなたは合格です」

とまた耳元で聞こえた。


<合格?


なんのことだかわからないが、もしかしたら解放してくれるのか?>


佐藤は首の後ろの痛みに耐えながら、淡い期待を抱く。


「では、次です」


その言葉で、すぐに佐藤の期待は崩れ去った。


「あんたは誰だ…なぜこんなことをする…」


佐藤はやっと疑問を口にした。


「私は医者です。


これは実験です。


さて、今度は注射をします。


これはあるウィルスの入った注射です。


あなたは今まで一つくらい、ゾンビの映画を見たことがあるでしょう。


今からする注射はそのゾンビのようになる恐ろしいウィルスです。


ゾンビがどのような行動をとるか、思い出してみてください」


「ゾ、ゾンビって…」


 <こいつは何を言っている?


確かに、ゾンビ映画は一つどころじゃなく、結構な数を見てきた。


テレビで初めて見たのをきっかけに、怖いもの見たさから、ホラー映画も好きなジャンルの一つになった。


大学時代には映研に入っていたし、レンタルでゾンビ映画だけでも十本以上は見ているか。


最近だと、ワルキングデッドにはまっている。


知り合いが次々にゾンビになっていく中での主人公のサバイバル。


その感じがぞくぞくして、好きだった。


ゾンビになる奴らをバカだと思いながら、自分ならどう行動するか想定して見るのが楽しかった。


だから、自分がゾンビになったらなんて、余り考えたことはなかった。


小説家を志してからは、今度は自分ならどう書くか、考えながら見たことならある。


ただ、それは空想の話。


実際には、ゾンビもそのウィルスも存在するはずがないではないか>



 「当然ながら、映画のようなゾンビそのものにはなりませんよ」


医者は佐藤の考えを見透かしたように言った。


「あくまで、わかりやすく説明しただけで、死人が生き返るようなものではありません」


医者の声と足音が佐藤の周りをぐるぐる回り始めた。


「少し長くなりますが、聞いてくださいぃ」


前置きの後、ひと呼吸置き、医者は続ける。


「このウィルスは私が開発しました。


長い年月をかけて」


医者は少し間を置いた。



「さて、あなたはウィルスや細菌などの病原菌がどこから生まれて来ると思いますか。


あぁ、ノロウィルス、エボラ出血熱やエイズ、人間を苦しめる菌はどこからやって来るのか。


ジャングルの奥地の深い沼の底から湧いているのか、洞窟の奥か。


それとも、猿などの動物を介して突然変異してできるものなのかぁ」


医者は意味深に言った。


佐藤はどう応えていいかわからず、黙っている。


「私が思うにね、ウィルスは、人がつくっているんですよぉ」


医者はそう言うが、佐藤には訳がわからない。



<こいつは医者を自称したが、そう言えばこの口調、それっぽい。


患者に症状と薬の説明を眈々とする医者。


そういう奴が裏では自分の研究室で黙々と研究を続け、ウィルスを作ったというのだろうか。


所謂、マッドサイエンティストという…>



「もちろん、全てが、とは言いません。


ただ、ウィルスの一部は人が脳で想像し、体内で製造しているのですよ。


わかりますかね?」


「なんとなくわかったよ。


つまり、あんたは頭のおかしい医者だってことだろう」


佐藤は恐れながらも、皮肉を込めて言った。


<こんな状態だ、俺はまず殺されるのだろう。


ここはこの変態医者の実験室かどこかか。


これだけ身動きができない状態にされては、脱出は無理。


最後まで諦めるつもりもないが、この状況では…>


そんな死を覚悟しつつある心情の変化が、少し言葉を乱暴にさせたのかもしれない。



「それは否定しませんよぉ、うっうっうっうっ」


医者が鼻にかかった笑い声で、初めて感情をこぼした瞬間だった。


 「きゃあーー!!…ぁぁっ!…」


後ろのドアの向こうから、微かだが、女の叫び声が聞こえた。



「防音壁で囲っているのに結構聞こえますねぇ。


まあ、外には絶対に聞こえませんがぁ、ああ、ちょうど良いので説明を続けます。


あなたにこれから打つウィルスは、今の叫び声の主の製造物なんですよ。


まあ、唐突にこんなことを言って理解いただけるとは思っていませんので、二、三、例を挙げましょう」


医者の足音が佐藤の正面で止まった。


「まずは、想像妊娠、というのは聞いたことがありますか。


あれは実際に月経が止まって、お腹もある程度まで大きくなるんです。


想像によって皮下脂肪が増える。


これは物理的な作用です。


まあ、実際に子供が産まれたという話は聞きませんがねぇ、ええ。


うっうっうっうっ」


くせのある笑い方に佐藤は嫌気が差す。


「それから、プラシーボ効果というのはご存知ですよねえ。


あぁ、睡眠導入剤だと言って偽薬を渡したら、よく眠れるようになったとか、痛み止めと言ったら、痛みがひいた、という患者はいくらでもいましたぁ。


調べてみると、睡眠導入剤と称してビタミン剤を飲んだ被験者は、メラトニンのバランスが良くなっている。


痛み止めの方は、明らかに疼痛物質の減少が見られます。


被験者のただの思い込みではないんですよ。


その期待が体内の物質に直接作用してコントロールしているのですぅ」


医者は少し興奮した様子を見せた。


時々、語尾を伸ばして声が上ずる癖があるらしい。


それが佐藤にはかなり不快に感じる。


「いや失礼、もう少しわかりやすい例がありました。


こんな研究結果があります。


とある実験です。


被験者は五、六才の幼稚園の年長、一クラス約三十人です。


その幼児たちにこんな説明をします。


善い菌と悪い菌がみんなのお腹の中で戦っているんだ、みんな、自分のお腹の中の善い菌を応援しよう、とね。


そうすると、どうなると思いますかぁ?


実験後、ほとんどの被験者は明らかに善玉菌の数が増えているんですよ。


これはすごい発見ですぅ、うぅ、


人の想像が、思考が、意思が、脳を通じて物理的に胃腸の菌に作用し、数を増やしたということになる。


素晴らしいことですよぉ、こ ・れ ・はっ!」


医者はさらに興奮してきた。


「そこで、私は人間の意志が体内のウィルスにもっと複雑に作用することもあるのではないか、と仮説を立ててみたのですぅ。


そう考えてみると、その逆はありました。


ウィルスが宿主の意志に作用することがあるということです。


例えば、狂犬病は患者を凶暴にします。


それから、水を怖がらせるようにもなるのをご存知ですか。


罹患して水を飲むと喉が痛むようになるからですが、これは狂犬病ウィルスが水に弱いからで、宿主の意思を操っているからだ、とも言われています。


それに、腸内細菌が、人の性格を左右しているという説もありますぅ」


医者は自分の言葉に酔いしれるように、さらに話を進める。


「つまり、これは逆説でもあるのですぅ。


ウィルスが意思を操れるのなら、意思もウィルスを操れる。


逆もまた然り、と言う奴です。


最初に言った通りです。


宿主の意思の影響を受け、体内で変容する。


つまり人がつくっている、とね。


脳が設計図を書き、体内が工場となり、病原体をつくり出す」


 佐藤は最初、この憎らしい医者に耳を貸そうとは思わなかった。


が、その内、半信半疑、そして、だんだんと医者のいうことが本当のことのように思えてきた。


途中で一度頷きかけてしまったほどに。



医者は佐藤の心の変化を知ってか知らずか、話を続ける。


「これは遺伝子と意思の関係にも言えることです。


遺伝子は意思を操り、意思は遺伝子を操っています。


あなたの性欲はどうしてあるのですか。


どうして、あなたは同性を求めず、異性を求めるのでしょうか。


いくら考えても、理論立てた説明はできないでしょう。


考えれば考えるほど、不思議なものですが、あなたの遺伝子が異性を求めるあなたの意思を形作っているのですよ。


その一方で、意思は自分がなりたい姿になれるよう、遺伝子を変えていく」


なぜ、急に遺伝子の話にまで及んできたのか、佐藤には理解できなかった。


「私は医者であり、科学者でもあります。


仮説を立てたら証明したくなるじゃあないですかぁ。


しかし、どんな実験で証明すればいいんでしょう?


動物実験では、”そうぞう”なんていう人間だけに与えられる条件を加えることはできません。


困りますよねぇ、ええ。


それで私は仕方なく、人体実験を試みることにしました。


本当はこんな危険は犯したくなかった。


随分と、迷いましたよ。


まあ、幸い、私の周りにはあなたのような扱いやすい人間が大勢いますから、今までどうにか捕まらずにやってこられたのですけどねぇ、ええ」


「扱いやすいってなんだよ」


佐藤は憎らしげに言った。


「あなたはたぶん、世間では夜逃げしたことになるでしょうぅ、うう、体よくいえば、行方不明者扱いぃ?


そう仕掛けておきましたからねぇ。


全国に行方不明者が毎年何万人いると思いますかぁ。


ああ、借金をするような人間が一人いなくなったとしても、警察は決して動きませんよぉ。


それくらい、わかるでしょうぅ、うっうんっ」


医者は最後にまた咳払いをした。



 佐藤は氷付いた。


<なんで借金のこと知ってるんだ?


俺のことを随分、調べているんじゃないか。


そうだ、こいつは俺の住所を知っていて、俺が寝ている間に家に侵入して、ここに拐ってきたんだ。


医者だから、睡眠薬も簡単に扱えるのだろう。


それで、きっと眠らされたんだ。


医者?


そういえば風邪で医者にかかったことがあったな?


あの時の医者か?


家の近くの勝元内科、あそこの医者も確かこんな声をしてなかったか>



「あんた、勝元先生か?」


自分を拐った犯人に先生も何もあったもんじゃないが、つい口をついてしまった。


「うん?あなたの近所の病院の?


あれと間違えますか。


ふふ、あれはヤブ医者でろくな人間ではありませんが、こんな真似はしないでしょうねぇ」


医者は意味深に語尾を必要以上に上げて答えた。


「話を元に戻します。


今から打つ注射はゾンビのようになるウィルスが入っています。


要は理性や自制心がなくなって、本能だけで行動するようになりますぅ。


うぅ、食欲や性欲が怒りと共に暴走して、剥き出しになった状態と言いますかねぇ。


憎んでいたり、妬んでいたりしていた相手には特に凶暴になります。


それから、女性は男性、男性は女性を襲う傾向があります。


本来、恋愛対象のはずなんですけどねぇ。


それがどう影響するのか、愛する者も攻撃対象へと変わります。


可愛さ余って、という諺通りといったところでしょうか。


そうなると、相手の顔を喰い千切ることだってありますよぉ。


これは数年前、ニュースになりましたから、あなたもご存じじゃありませんかぁ」



佐藤は三年ほど前のそのニュースを思い出した。


<自分の街であんな忌まわしい事件が起きるとは。


しかし、あれは麻薬か何かをやって幻覚を見ての結果ではなかったか?>



「彼は警官まで襲おうとして、射殺されました。


まあ、本当のゾンビじゃありませんから、別に頭を撃ち抜かなくても、普通の人間が死ぬことをすれば、普通に死にますからね」


医者は得意そうに言った。


「それでは、さあ行きますよぉ」


医者が佐藤の左腕を掴んだ。


先ほど、熱いものを押し当てられた辺りだ。


「やめろ、頼むからやめてくれ!!」


佐藤は叫びながら、全身の力を振り絞って、可能な限り体を動かし身をよじった。


「暴れても無駄ですよ、ほらぁ、腕の芯まで突き刺して、針が折れてもしりませんよぉ。


ウィルスは体のどこに入っても時間の問題ですから」


「俺が何したって言うんだ、やめろー!」


それでも佐藤は暴れ続ける。


「わかりました。やめましょう」


嘘か真か、医者が思わぬ言葉を言ったので、佐藤は少し動きを緩めた。


「サンプルは十分に取れましたし、もういいかとは思ってたんですよ」


<ほ、ほんとか?>


佐藤の耳が声を追い、動きを止めた瞬間だった。


医者は間髪を容れず、持っていた注射を佐藤の首に突き刺した。


先ほど拷問した跡だ。


佐藤は少しびくりとなるも、突き刺されたことに気付かない。


医者は、注射器の中身を佐藤の体内にすかさず注入する。


「はい、注射は終わりですぅっと。


騙してすみませんねぇ」



佐藤は呆然とした。


<注射は終わり?


今、打たれたのか?


首が少し疼いたが、まさかあれか?>



「子供相手には良く使う方法なんですけどねぇ。


やめるという、自分にとって都合のいい情報は誰でも信じたくなって、聞く耳を持つんですよぉ。


その隙にちくっ、とやる。


あなた、さっき私が合格と言った時、少し動きが止まりましたよね。


次の私の言葉を待っていたぁ、あぁ、私は心理学もかじってましてねぇ、ええ」



 佐藤にはその言葉が届いているのかどうか、返事はなかった。


<俺がゾンビになる?


そんなバカな…


ゾンビ映画を見て、あれこれ対策を考えたはずだった。


殺したと思っても止めを刺す、


噛まれた跡がある奴はすぐに殺すか肉親なら遠ざける、

車で逃げる時には後部座席を確認する、

音を確認するのに窓へは近付かない、

静かな店には入らない…


なんて幼稚だったんだ。


なんの役にも立たない考察。


今、自分はあっさりマッドサイエンティストに捕まって、ゾンビにされようとしている…>



 「さて、それではこれより経過観察に移ります。


筋肉注射ですので、効き目、いや失礼、症状が現れるのは遅くとも五時間後というところでしょうか。


接触感染はすぐに認められるようになりますから、頭の覆いはそのままにしておきますね。


ちょっと、息苦しいでしょうが、まあ、そのうちにそんなこと考えもしなくなるでしょう」


医者はそう言って、佐藤の頭に被せてある黒い覆いに手をかけた。


覆いの後ろはジッパーの切れ目があり、その線は佐藤の頭の上に向かって延びている。


医者は、ジッパーをゆっくり下に閉じながら、拷問をした首の跡を見つめた。


「本当、大合格です」


にやりと医者は笑い、焼きごてや注射器を置いているワゴンから、溶けかけたアイスクリームを取った。


空いている方の手でマスクを浮かせ、べろりと舐めると、ワゴンを押して部屋を出ていった。


「それでは、拷問は以上です」


そう言い残し。

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