#12 夜宵と洗いっこ

「えっ?」


 夜宵の口から出た、『お願い』を聞いてヒナの思考は一瞬固まる。

 そしてそんな彼の反応を見て夜宵はすぐに後悔した。


「ごめん、やっぱ今のなし! 聞かなかったことにして!」

「いやいや、髪を洗うんだろ? オーケーオーケー、大丈夫任せておけ」


 『お願い』を取り下げようとした夜宵に対して、ヒナは即座に喰らいつく。

 夜宵の髪を洗う。好きな女の子の髪に触っていいなんて、そんなの自分からお願いしたいくらいだった。


「でも、今ヒナ一瞬引いてたよね?」

「引いてない引いてないよ。ちょっとびっくりしただけ」


 暗い顔で自己嫌悪に陥る夜宵に、ヒナは何とかフォローの言葉をかける。


「本当は、私のことエッチな女の子だって思って引いたでしょ?」

「大丈夫だって、髪を洗うくらい世の美容師さんだってやってる。別にエッチなことじゃないから」


 そこで彼は強引に話を進めようとする。


「よし夜宵、椅子に座れ! 髪を洗うならこの俺に任せておけ。俺の手にかかればどんな髪も綺麗さっぱりツルツルのピカピカにしてやる!」

「禿げてるよね! その擬音は絶対禿げてるよね! やっぱり嫌だよ! 髪洗っただけで禿げるならヒナには頼まないよ!」

「いいから座りなさい! シットダウン!」


 ヒナのテンションを受けて、夜宵は、もーう、と苦笑しながらバスチェアに腰を下ろした。

 ヒナは夜宵の背後に立ち、彼女の長くて美しい髪を見つめる。

 今からこの髪に自分が触れるのだ。

 悪ふざけで彼女の頭を撫でたことはあれど、本人の許可のもとしっかりと触わるのは話が違う。

 覚悟を決めてヒナはシャワーを手に取る。

 お湯を自分の手に当て温度を確認。適温になったところで、彼を口を開いた。


「えーっと、お嬢様。どのように洗えばよいでしょうか?」


 それを聞いて夜宵は吹き出した。


「ひ、ヒナ! さっきまで強引だったのに、急に弱気にならないでよ。はー、おっかしー」

「笑うな! 笑わないでください! 女の子の長い髪を洗ったことなんてあるわけないだろ」

「もう仕方ないね。執事さん、ちゃんとお嬢様の髪の洗い方を覚えてください」

「恐れ入ります。この執事、誠心誠意お嬢様に尽くす所存です」


 冗談交じりにそんなやりとりをして、夜宵のレクチャーが始まる。


「優しく髪を掴んで、下からシャワーを当ててね」

「こ、こうかな?」

「そうそう、上手だよ。ヒナ」


 夜宵の言葉に従い、ぎこちないながらも髪を濡らしていく。


「次はシャンプーを髪にあてて泡立たせて」

「おうよ」


 そしてシャンプーを髪全体に馴染ませ、頭を優しくマッサージする。

 彼女の指示に従い、その後シャンプーを洗い流し、リンスやトリートメントを使っていく。

 正直男のヒナにとっては、完全に未知の領域だった。

 しかし夜宵の指示を受け、時に褒められながら髪を洗っていくことが楽しくなってきた。

 夜宵に触れているだけで心が穏やかになる。

 こんな時間がずっと続けばいい。そんな風に思う。


「どうですか、夜宵お嬢様。俺のスタイリングテクニックは?」

「うん、上手上手。気持ちよくなってきたかも」

「そ、そうか!」


 夜宵の反応にヒナも嬉しくなる。

 夜宵にとってもそれは決してお世辞などではなく、素直な気持ちだった。

 彼に髪を触られていると、胸の奥が暖かくなり幸せな気持ちになる。

 大切にされていると感じる。

 普段のようにただゲームするだけの友達としてではなく、女の子として扱われていることに満足感を覚えるのだった。


「よし、これでおしまいだ」


 やがて夜宵の髪をすすぎ終え、洗髪が終わる。


「ありがとねヒナ。とっても嬉しかったよ」


 夜宵は自分の髪を手で纏めると、軽く絞って水気を落とす。

 そして幸せな気持ちのまま、バスチェアから立ち上がり、背後のヒナへと振り向いた。


「よーし、たっくさん気持ち良くしてくれたお礼に私もヒナの髪洗ってあげるね」

「えっ、マジか」

「マジマジ、さあヒナ座って」


 意外な提案に驚きつつ、夜宵と入れ替わりにヒナはバスチェアに腰を下ろす。

 ついさっきまで好きな女の子が座っていたという事実にドキドキしていると、夜宵が正面に立ち、シャワーからお湯を出す。

 ヒナは座ったまま彼女の顔を見上げる。お湯に濡れた長い黒髪は一層色気を放っていた。


――女の子の髪が濡れてるのって、やっぱりエロいよな。


 そんな風に思っていると、夜宵の声が浴室に響いた。


「よーし、やるよヒナ。頭を前に倒してね」

「オッケー」


 言われた通り頭を俯かせると、夜宵がシャワーを浴びせてくれる。


「シャンプーするねー」


 楽しげな彼女の声が聞こえ、続いて髪の毛をかき混ぜられる感触が頭に伝わる。

 ヒナが薄目を開けると、正面に立つ夜宵の姿が見えた。

 ヒナの視線の高さに丁度夜宵の胸があり、彼は息を呑む。

 それだけではない。彼女は腕を必死に動かし、ヒナの髪を洗っているのだ。

 上半身は忙しなく動き、それにより水着に包まれた夜宵の豊満なバストも妖艶に揺れ動く。


――やべえ、これは眼福過ぎる。


 その光景に彼はもはや目を逸らすことができなくなってしまった。


「ねえ、ヒナ。気持ちいい?」


 無邪気にそんなことを聞いてくる夜宵は自分がどれほど扇情的な姿をしているのか全く自覚がないのだろう。

 そんな彼女に気付かれることなく艶姿あですがたを享受しているという背徳感がさらにヒナの心音を高鳴らせるのだった。


「ああ、最高だよ夜宵。もっと続けてくれ」

「おっ、いいねえ。ヒナも私に髪を洗われるのが気に入ったんだね」


 そんな能天気な夜宵の言葉にヒナは内心で同意する。


――本当に最高だ。ここが天国だよ。

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