三.意識と記憶と幻想の迷い
第24話 捜し物みつけた
「みゅう。いくぞ」
「みゅーっ」
あれから二日が過ぎ、三日目の朝を迎えていた。やみくもに探し回っていたが、当然の事ながら
それでも洋は諦めるなんて言葉は思い出さなかった。まだ日も昇らない早朝のうちに探索の途へとつく。
洋が玄関を潜ると、みゅうはぴょんと洋の背中へと飛びつく。そのまま、わしわしと背中を登ると肩にしがみつくようにして留まる。
「待ってろよ、結愛」
洋はつぶやいて北東の山へと向かい始めた。先日の洞穴のあった山の中だ。この山のどこかに結愛はいる。理屈ではなく直感めいたものではあったが、なぜか確証めいたものを感じながら洋は結愛を探し求める。
「俺がみつけてやる。待ってろ」
強く言葉を吐き出すと洋はまっすぐに歩き始める。向かうはただ一つ、結愛の待つ場所。
「しかしこう薄暗いと何となく気味が悪いな」
洋は辺りを軽く見回してみる。暗闇の中の山道と言うのは、本当に何も見えず怖い位だ。今は朝日がほんのり明るさを増しているとは言っても、それでも足元もおぼつかない。
「この冷たさのせいかもしれないけどな」
もともと冬の朝の山道だ。寒いのは当たり前なのだが、それ以上に何か不思議な冷気を感じていた。この山に入ったその瞬間から。
道行くのは洋とみゅうの一人と一匹。他には誰もいない誰もこない。そのはずだ。
結愛が裏切っていないにしても裏切ったとしても、一人出歩くのが無謀過ぎる事は分っている。それでも洋には結愛を放っておく事は出来なかった。
勝手に巻き込んでおいて、そのままお終いでは納得しないからな、俺は。洋は心の中でうそぶく。
白黒はっきりさせたい。確かにその気持ちもここにある。だけどそれ以上に抱いている想い。胸の奥にある。だけどその心の正体は洋には分らない。
もしも結愛が裏切ったのだとすれば、洋などためらいもなく攻撃してくるだろう。もはや結愛にとって洋は邪魔にしかならないはずだ。だけどそうでないとしても、だとすれば他に天送珠を奪い去った奴がいるという事。少なくとも洋よりは力の有る人間なのだろう。
どちらにしても死の匂いの漂う選択肢だった。あるいは綾音や冴人が再び現れるのを待つのが賢い方法かもしれない。
それでもここで何もしないで待つ道を選んだとしたら、それ以後自分はもう胸を張って生きていく事は出来ない気がしていた。
不思議と怖くはなかった。それは死ぬという事、あるいは殺すという事は、今までの洋からは遠い場所にあったからかもしれない。
いま何となく感じているものは、以前にもどこかで感じた記憶。いつかどこかでこんな風に山を登った事があったような気がする。もっとも遠足等で散々登った山だ。その時の記憶だろうが。
「小さい時は、この山もよく登ったっけな。けどこんな時期、こんな時間に登ったのは始めてだな」
「みゅう!」
「ま、お前は始めてだよな。この山、夏場に登ると綺麗なんだぞ」
軽口を叩きながら、辺りを探し回る。そしていつのまにか以前、天送珠があった洞穴が見えてきていた。
洞穴は少しずつ崩れだしている。元からここにあった訳ではないのだから、天送珠が生まれた時に出来たと考えるのが自然だろう。そうすると生まれた原因がなくなった為に、本来あるべき姿に戻ろうとしているのかもしれない。
中に入るべきか否か、洋は迷っていた。いつ崩れるかわからない危険はある上に、すでに何もなくなった一本道の洞穴の中に何か手がかりがあるともしれない。
それでもいまここから離れれば二度と結愛は見つからないような、そんな気がしてたまらなかった。
「みゅう」
みゅうが勇ましく鳴き声をもらす。その瞬間、洋の心はもう決まっていた。
「いくぞ、みゅう」
洋は強く宣言してから思い切って中へと入っていく。そもそも結愛を探しているのも、何か理由があると信じている自分の心だ。言ってしまえばただの勘に過ぎないのだから、なら最後まで自分の感じたようにやるまでだと、洋の心は堅く決まっていた。
洞窟の中はやはり暗い。だが今日はこの間と違い懐中電灯も完備している。他にも手にしたナップサックの中に役に立ちそうなものを片っ端から積めてきていた。準備は万端だった。、
しばらく歩く。前にきた時よりずっと埃っぽい。洞窟が崩れて砂埃が舞っているのだろう。それに空気も前よりも、ずっと冷たく感じられた。
長く続いている道を、ゆっくりと奥へと向かっていく。しばらく歩いた辺りで、突如、ずぅんと何かが崩れるような音が入り口の方から響いた。
洋は慌てて振り返ると、今来た方から砂煙が伝わってくる。
「ちっ、やばいな」
つぷやいて、目を凝らす。ここからではどうなっているのかはわからないが、下手をすると閉じこめられた事だって考えられる。
進むべきか戻るべきか。冷静に考えれば戻るべきなのだろう。だけど、それでも洋は前へと向かっていた。なぜだかはわからなかったが、理性は危険を告げているものの、感情は先に進めと奥に向かえと言い続けている。
洋は前に進んでいた。何かあっても何とかなると理由のない確信を信じて。
進んでいく途中、ときおり前からも後ろからも砂が崩れる音が響いた。だけど洋はただ前に前にと向かう。
そして天送珠のあったあの時の空間まで辿り着く。そこにはやはり何もなかった。天送珠も、結愛の姿も、何一つない。がらんとした空白の中に、いくつかの砂溜まりが山となっているだけだ。
「何も、ないか」
洋は愕然としてうなだれていた。もともと根拠もない勘だけを頼りに進んできたのだから、無くても何の不思議もない。なのにそこに何もない事に、洋ははっきりと落胆の色を浮かべていた。
「みゅう、戻ろう。道がふさがってなければいいが」
期待するのは甘いかもしれないな。洋は声には出さずに口の中でつぶやくと、いまきた道を戻ろうとして振り向いた。
その時、不意にみゅうが肩から飛び降りていた。そのままたたたっと奥へと向かって飛び込んでいく。
「みゅう。どうした、みゅうっ。まて、そっちは危ない」
しかし洋の制止の声など聞かずに、砂溜まりの間をぬぐってみゅうは奥へと向かっていく。だがその先にはただ土壁があるだけだ。
みゅうはそれでもまっすぐに突き進んでいた。そして壁に激突する。
いや、ぶつかるかと思えた瞬間。みゅうの体はそのまま土壁をすり抜けていた。
「なっ。いまにはいったい」
洋も慌ててその後ろを追いかける。みゅうが突き抜けた壁の前で立ち止まり、恐る恐る触れてみる。
その時、確かにそこに見えるはずの土壁を、洋の体も通り過ぎていた。
「……立体映像みたいなものか」
土壁の中に埋もれたままつぶやくと、洋はそのまま思い切って歩き出していた。抜けた向こう側に何があるかわからなかったが、みゅうが走り抜けていった以上、いきなり崖になっているなんて事はないだろう。
少しずつ足下を確かめながら、一歩ずつ前へと進んでいく。
そこにはない土壁を通り抜けると、奥にはありえないはずの風景が広がっていた。
例えば街角。人々があちこちに歩いていく。どこに向かっているのか、早足で闊歩していた。しかしもちろんこの山の中に街があるはずもない。
例えば海の底。魚達が自由に泳ぎ回っている。海草がゆれ、いそぎんちゃくが笑う。
例えば火山のマグマの中。煮えたぎった高熱の中には何一つ生きるものは存在しない。
だがそれらのどれもが幻のようなもので、水が溢れ出す事も熱が伝う事もない。
そしてその映像の広がる空間の真ん中に、みゅうの姿があった。
一人、背を向けてそれらの映像を見守る少女の後ろで。
「みゅうっ」
みゅうが甲高く鳴いた。その声に少女は長い黒髪を揺らしながら振り返る。
サイドだけ結んだ三つ編みが、その後についてくる。髪の中に彩られた色とりどりの紐飾りがこの空間の不秩序と相まって、どこか不可思議に思わせた。
少女は、振り返る。確かに洋は彼女を知っている。彼女の名前を、静かに呼ぶ。
「結愛。ここにいたんだな」
洋の声に、結愛は明らかに驚きを隠せない。元から大きな目をさらに大きく見開いていた。
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