蛇のシモナ

 老婆の声が聞こえなくなるまで走っていると、見たことのない道にやってきました。ミーシカは困惑しました。一本道だったはずなのに、ここはどこだろう。

 最後におばあちゃんの元へ向かったのは、雪が溶けた頃でした。お母さんと一緒に、乾燥させたラヴァンダーの花を届けに行きました。抱きかかえた花からは、不思議な香りがしてミーシカ・ヌミシカは大好きでした。


「——迷ってるのかい」

 すると、どこからか声がしました。

「だれなの?」

 しゃがれ声ではありませんでした。ミーシカはあの恐ろしいブニカ老婆ではなかったことに、安心をしました。ミーシカ・ヌミシカに「悪魔」だと言う人に、ろくな人がいないのを知っているからです。

 森の魔女たちも村人と同じ神を信じています。けれども村人とは違い、家族の女性たちは不思議な力も持っていました。そのことで、同じ神を信じている人でありながら畏怖されていたのでした。

「コマドリちゃん、迷ってるのかい」

 また声がしました。鬱蒼とした木々以外、何も見えません。どこから聞こえてくるんだろう。ミーシカはせわせわ、そわそわ、ちらちらとあたりを見渡しました。

「ここさ」

 上からです。

 ミーシカは恐る恐る見上げると、木の枝にぬめりと動く生き物がいました。つややかな鱗をまとった蛇でした。

 薬草を使い、村人の傷を癒す母をみたことも。星々や木々のささやきで未来を知るおばあちゃんをしっていても。ミーシカは喋る蛇をみたことがありませんでした。ヌミシカなら知っているでしょか。

「あなたはどうして喋れるの?」

「君と同じさ。君がお母さんに言葉や植物を教えてもらったみたいに、あたしも人間から言葉を教わったんだ」

 深緑のうろこを可笑しそうに揺らします。すべすべで、なめらかな姿は夏にきらめく小川のようでした。舌を出しながら楽しそうに喋っているのをみて、ミーシカは思わずくすくすと笑ってしまいました。そして不思議と、ミーシカはこの愉快な蛇を懐かしく感じました。

「私はミーシカ・ヌミシカよ。へびさんにお名前はあるの?」

「コマドリちゃん、あたしはシモナさ。言葉を教えてくれた人間につけてもらったんだ」

 水晶のように澄んだ声が自慢げでした。

「よろしくね」

 挨拶を返すように、首を軽くかたむけた蛇のシモナにまたくすくすと笑い、二人は歩み始めました。辺りはやっぱり、ミーシカの知らない場所でした。おばあちゃんへの道はミントやローズマリー、タイム、セージ、ディールなど薬に使われる植物が育っていましたが、この道はミーシカの見慣れない花ばかりが咲いていました。

「誰が言葉を教えてくれたの?」

「君と同じコマドリ色の髪をしている女の子から教わったのさ。君を見たとき、彼女だと思ったんだけど違っていたみたい」

「その子の名前は聞いたの?」

「自分は——ロディカ——だって言っていたよ。人に怖がられるって言っていて、人も蛇と同じかって思ったものよ」

「私と同じだ……」

 蛇のシモナは少し立ち止まり、ミーシカを見つめました。そしてミーシカはシモナを見て、あることに気づき、不安になりました。

「あの、シモナ……。おばあちゃんのところにいく途中なんだけど、道に迷ってしまったの。おばあちゃんを知らない?」

「さあね。『おばあちゃん』は知らないけど、素敵な場所を知っているよ。ついておいで」

 黄土色の地面を這うように、するすると蛇が言いました。地面には見たことのない不思議な石が均等に埋め込まれていました。濃い緑色の蛇が石を触れるたび、白く光り、文字のような、絵のような、模様を浮かばせては消えていきました。

 あたたかな風が流れ、スカートを揺らしました。視界に揺れる真っ赤なバティークずきんが震えました。


 ——見知らぬ音。

 ——見慣れぬ石。

 ——風までもが「違和感」に感じました。


 ミーシカは、まるで全く違う世界へ迷い込んでしまったように思いました。ここはどこだろう。森の奥は肌寒いはずなのに、おじいちゃんのベストが暑苦しかったのでした。鳥たちが美しい歌声を響かせているはずなのに、木々が不審そうにささやく声しか聞こえません。足元に転がるのはどれも真っ白で、すべて同じように見える石でした。骨のよう。そう、まるで骨のような石がごろごろと転がっていました。

 ミーシカが一歩進むごとに、知っている世界から遠のいているように感じました。

「——ねぇシモナ、素敵な場所ってどこなの?」

「もうすぐさ。ほら、着いた」

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