26 雨宿りの夜は抱きしめて

 ルルとノアを乗せた汽車は、途中の駅で止まった。

 ユーディト地区までの移動は二日がかりになるため、乗客は近くの宿で一泊して、翌朝になったらまた同じ車両に乗りこむのだ。


 ガレアクトラ軍人に尾行されて突発的に汽車に乗った二人には、当然ながら宿の用意はない。

 あちらこちらの宿におもむき、空いている部屋がないか聞いてまわる。どこも満室で、宿泊を断られるまでを、いくども繰り返した。


 そのうちに雨が降り始めて、ルルとノアはびしょ濡れになってしまった。

 寒さに震えながら歩いていくと、駅から遠い安宿で一室だけ空きが見つかった。


「部屋が見つかってよかった。野宿になるかと思ったわ」

 

 濡れた髪をタオルでふきながら、ルルは質素な部屋を見回した。


 シングルサイズのベッドと使い古しの椅子、ライティングテーブルが置かれている。床にある火鉢では、熱をもった炭が爆ぜていた。


「暖炉があったら服を乾かせたけれど、我がままは言えないわね」

「炎なら私が出せます」


 ルルの外套を壁に吊していたノアは、火鉢に手袋をはめた手を近づけた。

 炭から青白い炎が吹き出して、まるで薪をくべた暖炉のようにメラメラと燃え上がる。肌に感じる温かさに、ルルはほうっと頬を染めた。


「温かいわ。ノアの魔法はすごいわね」

「ルルーティカ様ならばさらに強い魔法を扱えます。普段は使えないだけで、魔力は確かにあるのですから」

「自分の意思で使えないなら無いのと同じよ。炎が強いうちに、濡れた物を乾かしてしまわないとね」


 ルルが着ていたワンピースに手をかけると、ノアはくるりと壁の方を向いた。着替えを見ないようにという配慮だ。

 泊まる部屋には居間やバスルームがついていないため、別室に控えることができないのであえる。


 急いでネグリジェに着替えたルルは、水を吸って重たいワンピースをつるしてノアを呼んだ。


「振り向いて大丈夫よ。ノアも着替えて服を乾かさなくちゃ」

「このままで平気です。一晩、火鉢のそばにいるので、朝までには乾くでしょう」


 椅子を火鉢のそばへ引き寄せたノアは、騎士服を脱いで白いシャツ姿になった。背もたれにかけたジャケットから、水がポタポタとしたたり落ちる。


「椅子に座ったまま眠るので、ベッドはルルーティカ様がお使いになってください」

「それではノアの体が痛くなってしまうわ。いっしょに眠りましょう。ベッドは一人用だけど、くっつけば二人くらい寝られるわよ」


 適齢の男女だったら恥ずかしがりもするだろうが、ルルとノアは少し前まで添い寝するのが当たり前だった。

 ルルが背中を預ける体勢ならば、このサイズのベッドでも二人で横たわれる。しかし、ノアは首を横に振った。


「共寝はしません」

「どうして?」

「明日も一日中、座席に座っていなければなりませんから。体を伸ばしてしっかりお休みになってください」

「でも」

「追っ手や暗殺者が来るかもしれませんし、熟睡できない方が都合がいいんです」


 こんな状況になっても、ノアはルルを避けるつもりのようだ。

 かたくなに距離をとられて、ルルの胸は苦しくなった。


(いつからノアに添い寝してもらっていないのかしら)


 ノアに避けられるようになってからというもの、お気に入りの毛布に包まっていても、何となく背中が寒い。

 お腹に回される腕の重みがないと、どうにも落ち着かない。

 一人でベッドに横たわると、切なくて泣いてしまいそうになる。


 いつもなら耐えて目を閉じてしまうけれど、今日は我慢できそうになかった。


「ノア――」


 ルルは、思いきって彼に腕を伸ばした。


「今日も、ぎゅってしてくれないの?」

「!」


 ルルが首を傾げると、ノアは驚いた表情で口を開いた。

 まさか添い寝を乞われるとは思っていなかったのだろう。綺麗な顔がつらそうに歪んでいき、最後には堪えきれなくなった様子で、ルルに抱きついてきた。


「貴方が望むなら、私は何だってします」


 ノアは、抱きしめる腕に力をこめて、ルルの頭に頬を寄せた。


 彼から触れられた。

 たったそれだけのことで安心して、ルルは彼に身をゆだねる。


「ありがとう、ノア」


 いつの間にか、ノアの腕のなかが、お気に入りの毛布よりも好きな場所になってしまったみたいだ。冷め切っていた体がぽかぽかと温まっていく。


 ノアに抱かれたまま横たわって目を閉じると、ルルはすぐに睡魔に襲われた。

 久しぶりに訪れた、幸せな眠りだった。


「すぅー、すぅー……」


 健やかな息の音を聞きながら、ノアはルルの寝顔を見つめていた。

 いつもは背中から抱き締めているので、真正面の彼女は新鮮だ。


 伏せられた銀色のまつげや、小さな鼻、ツンとした赤いくちびるに、視線が吸い寄せられる。喉の奥に感じるのは、飢えた獣のような渇きだ。


(だめだ、こらえろ)


 ノアは、一角獣ユニコーンのようには、純粋に人を慕えない。


 相手は聖王になるべき崇高な存在だ。距離は保って当然で、いくら愛らしい人間だからといって、ここまで肩入れするつもりはなかった。


 自省しなければ自分に跳ね返ってくると自覚していたのに。

 接触を避けて思いを鎮めようとしたのに。

 なけなしの努力は、手を伸ばされた瞬間に弾けてしまった。


 ノアは、手袋を外して、ルルの顔に落ちた髪を耳にかけた。

 ぼんやりした輪郭を残して透けた手は、ほとんど消えかかっている。


 自業自得だ。本性のおきてを破っているのだから。


「好きです、ルルーティカ様……」


 彼女には聞こえないと分かっていて、口にする。

 届かなくてもいい。ただ、自分に認めさせたかった。


 抗えない愛しさが凶器になったとして、破滅するのは自分だけだ。

 姿を保てなくなって、そばにいられなくなるまで、ノアはルルを愛し尽くそうと誓ったのだった。

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