22 愛あるキスは傷跡のうえに
ノアに抱きかかえられて無人の小部屋に入ったルルは、艶やかな織物が張られたソファに下ろされた。
ここは、ルルーティカ王女の控え室として宛がわれた一室だ。
ガレアクトラ流なのか、壁には赤いフラッグがかかり、チェストやテーブルといった家具はどれも豪奢で、クリスタル製のシャンデリアがつられている。
ギラギラした雰囲気のせいで、ちっとも落ち着けない。早々に持ってきたいつもの毛布に包まると、やっとまともに息が吸えた気がした。
「ルルーティカ様はここで休んでいてください。私は、雇いの騎士を集めて客車の準備をして来ますので」
「待って、ノア」
離れていこうとしたノアを、かたい声で呼び止める。
彼は、毛布から顔だけ出すルルを、不思議そうに振り返った。
「なんでしょう?」
「あなたは、どうして、この傷について、何も聞かないの?」
ノアとルルが一緒に暮らすようになって長い。
昼間もなんだかんだと一緒にいるし、夜はくっついて眠っている。寝乱れた前髪のあいだから見える傷跡には、とうに気づいているはずだ。
「これは、ユーディト研究所の事故で負ったの。あなたなら知っているわよね。キルケシュタイン博士が主体になって、人工魔晶石の開発を行っていた場所よ。わたしは、王女としてそこを訪問して、爆発事故に巻き込まれたの――」
大きな事故だった。キルケシュタイン博士や研究員、ルルの付き人がみんな亡くなってしまうような、大きな大きな事故だった。
ルルが額に怪我をしながらも助かったのは、持てる魔力をすべて使って自分を守ったからだと、事故の原因を調べる調査団から言われた。
「――事故から身を守るために魔力を使い果たして、消えない傷あとを持ったわたしに、父王や母は言ったわ。政略結婚にも使えない役立たずって」
両親から投げかけられる言葉や卑下する視線は、ルルにとって刃だった。
形のないそれは、いとも簡単に肌を通りぬけて心をつらぬく。刺された心は、目には見えない血を流して、いっこうに治ることはなかった。
連日のようにメッタ刺しにされるルルは、どんどん弱っていった。
王城から遠く離れた修道院へ入れようという動きが出てきたとき、ルルは肯定も拒絶もしなかった。そんな気力はなかったのだ。
「修道院に入れられてから、わたしは考えたの。どうしたら、わたしはこんな風にならなかったのかしらって。両親から愛されるルルーティカ王女と、魔力を失って傷あとを負ったわたしは同じ人間のはずなのに、どうして生き方を違えることになってしまったのかしらって」
ひょっとしたら王女なんて、自分には大それた身分だったのかもしれない。
本当は初めから、誰の目にも届かない礼拝室で、一生を終えるだけの人間だったのかもしれない。
そうやって納得しなければ、自分を保てなかった。
ルルは、今までの自分を否定するように、毛布に包まって巣ごもり人間へと進化していった。
「わたしは、ルルーティカ王女から、かけ離れればかけ離れるほど、楽になったの。王女でなければ、役立たずになったことも、生き延びてしまったことも、責められることはないんだもの。それに気づいたわたしは、どんどん王女らしくなくなっていったわ。でも思うの。あのとき、ちゃんと父王と母と戦っていたら、魔力がなくても傷跡があっても、『ルルーティカ王女』だって胸を張れていたんじゃないかしらって……」
「今のままで十分です」
きゅうっと毛布を握りしめて吐露するルルに、ノアは、真剣な顔つきで詰め寄ってきた。
「たとえ魔力を使い果たしても、傷跡が残っていても、あなたはありのままで『ルルーティカ』王女です。あなたを貶められる人間など、この地上にはいません。そうでなければ、私は忠誠を誓ったりしません」
「ノアは、本当にわたしでいいの? いつも毛布に包まってる毛玉よ?」
「ルルーティカ様がいいんです」
ノアは、動けないルルの前髪をあげて、額にキスを落とした。
みにくい傷跡に触れる仕草は、まるで恋人にでもするように優しかった。
「信じてください。あなたが、あなたらしくあることで、道は拓けていくのだと。何があっても私がそばにおりますから」
「うん……」
ノアがくれる言葉に、ルルは泣きそうになった。
それは、ルルが父王からかけて欲しかった温情でもあるし、母から欲しかった同情でもあるからだ。
(ノアは気づいているのかしら、自分が無償の愛を持っていることに)
ルルは、隠し持っていた金貨を一枚握りしめたまま、彼の胸に寄りかかった。
これを渡してしまったら、この間柄が壊れてしまう。
ルルは、ノアといつまでもこのままでいたいと願ってしまった。
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