20 今さら聖女を虐めたってもう遅い!

 ガレアクトラ帝国の大使館。荘厳な石造りの建物のホールに、白いクロスを掛けられた長テーブルが配置されていた。

 

「では、素晴らしい夜を祝して」


 エシャルプを掛け、大小さまざまな徽章きしょうを胸元に飾りつけた軍服のジュリオがグラスを持つ。

 晩餐会の招待客がいっせいにグラスを持ち上げるのに合わせて、ジュリオのとなりの席に座ったルルもグラスを持ち上げた。


「乾杯」


 グラスを上に掲げて、注がれたシャンパンに口をつける。が、ルルは口をつけるフリだけにした。どこで毒を盛られるか分かったものではないからだ。


(出てくるご馳走もほとんど食べられないなんて、憂鬱な晩餐会だわ)


 ノアとアンジェラは、ホールの西と東に立って異常がないか見守っている。他の雇われ騎士たちは、ここまで乗ってきた馬車の警備だ。

 彼らは『ご立派なルルーティカ王女には、これだけの忠臣がいる』アピールのための数合わせ。ここに来るまでで、彼らの仕事はほぼ終わったも同然だった。


 十名も忠誠を誓った騎士をともなって来たルルに、ジュリオ派に属しない浮動票の司教たちは驚きを隠せなかった。

 恐らく枢機卿団を通じて、ルルをおとしめるような情報――魔力を失っているとか、王位継承に乗り気ではないとか――を聞いていたのだろう。


(残念でした。わたしは、簡単にはつぶされないわよ)


 グラスをテーブルに置いて微笑むと、こっそり様子をうかがっていた参加者たちは溜め息をもらした。

 今晩のルルが、直視するのがおそれ多いほどに美しかったからだ。

 アンジェラのテクニック覿面てきめんである。


 面白くなさそうなのは、となりに座ったジュリオだ。

 長い前髪を手で払いのけて、運ばれてきた前菜に手をつける。


「修道院にお籠もりだって聞いていたのに、ずいぶん大勢つれてきたじゃないか。あれは何? 君のファンか何か?」

「わたしが聖王を目指すと知って、力を貸すと約束してくれた十人ですわ。戴冠したあかつきには、新たな聖騎士団へ入ってもらいます」

「ふうん。でも、僕は百人も軍人を連れてきているから、君の十人じゃかなわないよ。母国から呼べば、もっと来るからね」


 数で張り合いはじめた。子どもの喧嘩かと思いつつ、ルルは笑顔を崩さない。

 スープやメイン料理に手をつけるフリを続けながら、ジュリオを突っつかないように気を付けて受け答えする。


 食べ方もお行儀良く。

 参加者がいつルルの様子をうかがってもいいように、清純な王女らしい振る舞いを心がけて。


(気を抜くと猫背になってしまうそうだけど、今は我慢よ)


 人知れず、巣ごもり体勢になるのを堪えていると、ジュリオ側に座ったマキャベルまでも口撃してきた。


「ジュリオ殿下ほど、人望のある聖王候補はおりませんよ。フィロソフィーの王族は代々、持ち前の神々しさで民の目をくらませてきたのです。見た目だけの聖王なので、治政は枢機卿団に丸投げでした。そろそろ無能を王に奉り立てるのは聖教国フィロソフィーのためにも止めるべきかと」


「ルルーティカ王女は世間知らずだと噂になるくらいだしね。聖王になっても国民を不安にさせるだけだろう。身のほどを知って、候補から下りたらいいのに。あ、無能だから引くタイミングが分からないのかな?」


 ジュリオは、あからさまにルルを卑下してきた。

 各テーブルでも、同様の『ルルーティカ王女はダメ』ムーブのまっ最中である。

 どうしたものかと思っていると、テーブルの端に座っていた司教が立ち上がり、ルルとジュリオのテーブルの前に来て、ひざまずいた。


「マロニー地区の教会から参りました。ルルーティカ王女殿下が、世間知らずの無能扱いされていることに、異議を申し立てたく存じます。どうか発言をお許しください」

「どうぞ」


 ジュリオが却下する前にルルが言うと、司教は、ベージュの司教服の懐から一通の手紙を出した。


「昨年、マロニー地区は大水害に襲われました。畑の土が流され、農作物が大打撃を受けたのです。その際、まっさきに励ます手紙とお見舞い金を包んでくださった方こそ、ルルーティカ王女殿下でした」


 司教が手にしている手紙は、まさしくルルが送ったものだ。


 水害では、被害が出てからすぐと、長期的な復興に対するお金がかかる。

 特に、農作物と農地への被害が深刻だったと知ったルルは、いそぎ一時金が必要だと思って、貯めていた金貨を送ったのだ。


「枢機卿団から支給される義援金は、被害額が算出されなければ下りないので、与えられるまでには長い時間がかかります。それまでの間、地区の住民が飢えずにいられたのは、ルルーティカ王女殿下のおかげです。それだけではなく、かつてマロニー地区で作られていた毛織り染めを復興して、ダメになった野菜を使ってはどうかと提案までしてくださった。感謝しております」


 深く頭を下げる司教に、ルルは「お役に立てて光栄ですわ」と答えた。


「修道院のベンチに掛けられていた、古い毛織りの布がマロニーと呼ばれていたので、気になって調べていたのです。歴史書によると、マロニー地区は、古くは一角獣のたてがみを梳いて毛織物を作り、野菜を煮出してさまざまな色合いに染めて、良質な布を生産していたのだとか。野菜を他の地区に売り渡すようになって毛織り染めの技術はなくなりましたが、復興したら農地を立て直すまでの収入源になると思いましたの。その後、製造はすすんでいますか?」

「おかげさまで。売り上げも好調で、マロニー地区は貧しくならずに、復興がすすんでおります。この幸いは、ルルーティカ王女殿下のお知恵があってこそです」


 司教の言葉は、新聞にのった慈善訪問の記事よりも、大勢の人の心に響いた。

 参加者は、こそこそと話し始める。


「修道院にいたせいで世間知らずなんて大嘘ではないか」

「お若いのに、フィロソフィーの歴史をよく勉強しておられるのう」

「すぐにお見舞い金を出すことで、マロニー地区の住民を救ったのですね」

「枢機卿団は王女を見下しているが、我らが思っている以上に聡明な方だ」


 漏れ聞こえてくる声に、ルルは安堵した。

 少なくとも、今より貶められることはなさそうだ。


 ガン!と音がした方を見ると、ジュリオが機嫌悪そうにグラスを置いていた。


「気分が悪くなった。晩餐はこれで終わりとする。さっさと片付けてくれ」



 

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