12 騎士の添い寝で眠れません

 アンジェラが作った夕食はとてもおいしかった。

 澄んだスープと白身魚のムニエル、花根のピクルスと木の実を使ったプチデセールは、どれも聖王城での暮らしを感じる懐かしい味だ。


 城に入り込んだ際に、『王女を暗殺するだけでは割りに合わない』として、厨房に貼ってあったレシピをくすねていたらしい。


 部屋に戻ってネグリジェに着替え、ベッドにあがっていそいそと眠る準備を整えていると、一晩見張りをするというノアがやってきた。


「ルルーティカ様、これからお眠りになるのですよね?」

「そうよ」

「なぜ私物をベッドに広げていらっしゃるのですか」


 ルルーティカは、ベッドヘッドを軸にして180度、半円を描くように本や手紙、金貨を貯めたポシェットを並べていた。


「これは広げているんじゃなくて配置しているの。毛布に丸まった状態で手を伸ばして、ギリギリ届く辺りに円くおいておけば、毛布から出なくても健康で文化的な最低限度の生活が送れるのよ!」

「動かなくて済むので、不健康そうに見えますが」

「動くだけが健康じゃないわ。心の平穏こそ健康の第一歩なのよ!」


 毛布から出たくないルルの脳がはじき出したベストなポジションは、背中の一番丸まった部分から約一メートルの場所。

 ここに私物を置くことで、寝るのに邪魔にならないし、必要なものはちょっと手を伸ばすだけで手に入るという、快適な環境を作り出すことができる。


「ただし、食べ物は持ち込まないのがマイルールなの。前に一度、ビスケットの籠を置いておいたら、毛布が食べこぼしの欠片だらけになっちゃったから」

「ベッドが惨事にならないようで安心しました。その本は、博士の書架からお持ちになったんですね。お勉強されるのですか?」


 並べている古書は、一角獣ユニコーンについての専門書と、聖教国フィロソフィーの地方文化史である。

 どちらも修道院の図書室にはなかったものだ。


「わたしは魔力を失っているとはいえ、一角獣と仲良いようにみせかけないと『聖王になる資格なし』って言われそうだもの。彼らの生態をよく知っておかないと」


 天から飛来する一角獣は、魔力を有した人間に懐くと言われている。心の清らかな人間が好きで、良き聖王は一角獣に愛されると昔から言われてきた。


 ルルの兄イシュタッドは、聖騎士よりも上手く一角獣を扱うので有名だったから、あながち嘘ではない。


 記録されている最古の戴冠式では、『一角獣の王に選ばれた者が聖王となった』との記述がある。

 現在では、枢機卿から認可を得た王族がなっているので形骸化がいちじるしいが、一角獣にそっぽを向かれると王族であることすら疑われかねない。


 ルルは、一角獣の専門書を開いて、びっしり書かれた文章の中ほどを指した。


「ここに、清らかな人間は魔力がなくても友達になれるって書いてあるわ。だから、わたしも懐いてもらえる可能性はあると思うの。あとは、こっちの地方文化史を読んだら書架に返すから」


 ルルは、毛布に包まって本を開いた。

 マロニー地区の歴史と気候を頭に入れて、気になった箇所を頭の上に置いていたペンと紙に書き写していく。足下にあった手紙の束をたぐり寄せて、一通取り出して読み返して、うーんとうなる。


「もう少し掘り下げた方が良さそう。今日はこのくらいにして寝るわ。ノアは、いつまでそこにいるの?」


 ベッド脇に置いた椅子に座って、興味深そうにルルを見ていたノアは、「一晩いるつもりです」と答えた。


「屋敷にかけた魔晶石の効力は強いですが、いつ侵入者が来るともかぎらないので。朝になってアンジェラが起きるまではここにいます」


 アンジェラは屋敷の端っこにある使用人室で寝泊まりすることになった。

 ルルやノアの居室とは遠くて不便だが、下町育ちからすると薄暗くて狭いそちらの方が落ち着くらしい。


「夜通し起きているのは大変だわ。かといって、アンジェラは昼間にたくさん働いているから起こすのも忍びないし……そうだ! わたしが途中で代わるわ」


 ルルが目を光らせている間にノアが眠れば、睡眠不足も少しは解消されるだろう。怪しい物音がしたら、ノアを叩き起こせばいい。


「私はお昼寝もするし、徹夜くらい楽勝なんだから」

「……前から気になっていたのですが、ルルーティカ様は、夜に熟睡なさっていませんね?」


 ドキリ、とルルの鼓動が鳴った。


「な、なんのこと?」

「毎晩、ルルーティカ様が『寝る』と言って自室に入ってから、起きてくるまでは八時間以上経っています。それなのに、たびたびソファで昼寝していらっしゃる」


 昼間のルルは、ノアがいる部屋のソファで毛布に包まり、飼い猫のように丸くなっていることが多い。


「夜に熟睡しているのであれば、そこまで眠くならないはずです。本を読んだり、手紙を書いたりされることもあるようですが、今見たところ長時間ではない。ということは、眠り自体が浅いと思われます。原因はその姿勢ではありませんか?」


 ノアが指摘したのは、ベッドヘッドに背をくっつける体勢だった。


「ルルーティカ様は、修道院では壁のくぼみに、屋敷で一番広い部屋ではわざわざ壁際の狭いスペースを探して、背をつけて丸くなっていました。背を見せないのは警戒の証です。眠っている間に危険にさらされないように、どこかで気を張っているのではありませんか」

「……お兄様が、こうしなさいって、おっしゃったの」


 ルルは、毛布をかき抱いてチラリと手紙を見る。


「目を閉じていても耳は澄ましていなさい。背後に回り込まれないようにしなさい。隠れるためのものを近くに用意していなさいって――」


 修道院に入れられたルルを一番気にかけてくれたのは兄だ。

 無用になっても王族なのだから警戒を怠らないようにと言われて、ルルは決して熟睡しない生活を送っていた。

 シスター達は、ルルをよく寝る子だと思っていたはずだ。


「気づいたのはノアが初めて。でも、もういいの。これはもう、わたしの生活の一部になってるんだから」

「――失礼します」


 ルルは、ノアに手を引かれてベッドに倒された。

 びっくりして目を丸くしている間に、背中から抱き締められる。


「の、ノア?」

「貴方のことは私が守ります。だから、安心して眠ってください」


 耳元で囁かれる声に、背中に感じる温かさに、ルルの胸はトクトクと鳴った。

 

(どうしよう、嬉しい……)


 ノアは、ルルが今まで出会ったどんな人とも違った。

 自分のことをちゃんと見て、変な人間だと片付けずに、助けようとしてくれる。


 主と騎士に交わされるという忠誠より温かな何かを、ルルはノアから与えられている気がした。


「ノア」

「はい」

「ありがとう……」


 お礼を言えば、ノアが微笑む気配がした。


 鼓動がさらにうるさくなって、しばらく眠れそうにない。

 後ろにいるノアからは、赤くなった頬が見えないのだけが救いだった。

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