10 暗殺は課金のチャンスです
ルルのお腹にナイフが突き立てられた。ドレスがざっくりと切れる感触に血の気が引いたが、刃は体をつらぬくことなく硬い音を立てて止まる。
てっきり一刺しにできると思っていたメイドは動揺した。
「ドレスの下に防護服が!?」
その隙をついてノアがメイドを蹴り飛ばし、ヴォーヴナルグがルルの前に立って庇う。
手を離れたナイフはクルクルと宙を舞って、お茶請けのケーキに突き刺さった。
「貴様、何者だ。誰の指示でルルーティカ様を殺そうとした」
ノアが威圧的に問いかけると、壁に叩きつけられたメイドは、「きかれて正直に答えるかよ!」とずれたメイドキャップを床にたたきつけた。
くせの強い赤い髪は短くて、まるで下町の少年のようだ。
「そっちこそ、命を狙われる当てはいくらでもあるんだろうが。そのために防護服なんか仕込んでたんだろ!」
「実はこれ、防護服ではないの……」
ルルは申し訳なさそうな顔で、ナイフでできた切れ目から金貨を取り出した。
「持ち歩く分をコルセットの下に詰めておいたの。令嬢みたいに手さげやポーチに入れて歩くと、ジャラジャラ鳴りそうだったから……」
大聖堂に華麗に登場した王女が、
けれど、外の世界は唐突だ。
どこで入り用になるか分からないので、最低限の金貨は身につけておきたい。ルルのこだわりが、結果的に命を救うことになった。
ヴォーヴナルグは、ルルの奇態を見て若干引いている。
「ちまたで『聖女』と呼ばれている王女殿下が、まさか金貨好きの守銭奴だとは……」
「団長、我が主をおとしめる発言はつつしんでください。ルルーティカ様は、ただの守銭奴ではありません。夜な夜な貯まった金貨を数え直して、金額ににやにやするタイプですが、使うべきところには使います」
遠回しにディスってくる二名は、あとで注意するとして……。
ルルは、蹴られたお腹をおさえてうずくまるメイドを見た。悔しげな表情で、ぶつぶつとつぶやいている。
「聖王とちがって、世間知らずの王女は簡単に殺れるっていうから、金貨十枚で引き受けたのに……。元締めのくそジジイ、嘘こきやがったな」
「どういうこと? お兄様もこんな風に命を狙われていたの?」
メイドは、ルルを見上げると口角をニイっと上げた。
「イシュタッドの命はあんたより高いんだぜ。金貨二十だ。あいつが『
「……そうね」
一角獣の角からとれる『魔晶石』は、角をそのまま売買することもあれば、ブローチや万年筆の軸などに加工して売ることもあった。
それらを作っていた職人は、聖王イシュタッドの新法によって生計を奪われてしまったのだ。怒りを買うのは当然だ。
ルルは、メイドに近づくと腰を落とした。
「お兄様のかわりに謝ります。新しい法案ができなければ、あなたは奉公に出されることも、鞭で打たれることもなかったのだから」
いくつも傷跡が残る手を包み込むと、メイドは顔を引きつらせた。
「離せよ。王女さまがこんな汚い手に触って、同情のつもりかよ」
「汚くないわ。これは、おうちが貧乏になっても、酷い主人に叱られても、暗殺者になってもがんばってきた手よ。あなたたちの苦しみを教えてくれてありがとう。お兄様が見つかったら一番に伝えるわね。あなたの名前をきいてもいい?」
「……アンジェラ」
メイドの暗殺者――アンジェラは短く答えた。ルルの純粋さに当てられたようで、そばかすの浮いた頬をわずかに紅潮させている。
「ファミリーネームは捨てた。だけど、奉公先に行っても、暗殺者の身に落ちても、この名前だけは変えなかったんだ。だから、あたしはアンジェラ」
「素敵な名前だわ。さっそくだけど、週のお給料は金貨三枚でどう?」
感動的な雰囲気から一転。
ルルがいきなり交渉を始めたので、アンジェラは鼻にしわを寄せた。
「なんの話だ。あたしはここで殺されるんだろ」
「ルルーティカ様。王族の命を狙った者は、どんな事情があろうと処刑です」
きびしい口調のノアに、ルルはお腹から取り出した金貨三枚を振ってみせる。
「処刑なんてもったいないわ。アンジェラの身のこなしを見たでしょう? 素早かったし、メイドへの変装も見事だったわ。それに、感情的にならずに王族が命を狙われている理由を教えてくれたじゃない。追い詰められても自暴自棄にならないのは、アンジェラ自身がしっかりしているからよ。わたしは、味方に引き入れるなら、こんな人がいいって思っていたの」
ジュリオの対抗馬としてやっていくには、ルルの身支度を整える人員が必要だった。巣ごもりが板についたルルでは、一人で上手にできないのだ。
身の回りのことはノアがやってくれるとはいえ、ドレスの着付けや髪のセット、化粧を頼むのは気が引けてしまう。
さらに、護衛もいくばくか必要だ。できれば、お手洗いやバスタイムまで近くいてくれるような同性がいい。
アンジェラは、まさに降って湧いた率先力。
金額に色を付けてでも採用したい人材なのだ。
課金をするなら、絶好のチャンスである。
「わたしを暗殺できたら、アンジェラの手元に残る金貨は十枚。失敗したら、処刑されて使う機会がなくなるからゼロ枚も同じことよね。ここでわたしの侍女として雇われれば、お給金として一週間につき金貨三枚を渡すわ。しかも命も助かるのよ。どうかしら?」
「どうって……。あんた、自分を殺しにきた人間を側仕えにして、怖くないのかよ」
「怖くないわ。アンジェラを信じるもの」
アンジェラは沈黙した。悩むような間を置いて、ルルの手から金貨二枚をかすめとる。
「乗った。あんたの侍女になってやるよ、ルルーティカ王女さま。でも、この城にいたら明日まで生きてられないぜ。暗殺者はあたし意外にもうじゃうじゃいるんだから」
それに同意したのはヴォーヴナルグだった。
「聖王城は出た方がいい。暗殺者には、あのイシュタッド陛下も手を焼いていた。そういえば、王女殿下とノワールは今までどこにいたんだ。ノワールの実家に何度か聖騎士をやったが、ぼろ屋で誰も住んでいないって報告がきてたぞ」
「そのキルケシュタイン邸に身を潜めていました。あの家には、博士が残した強い魔晶石があるので、魔力でぼろ屋に見せかけていたのです」
ノアは淡々と答えるが、お屋敷に魔法がかかっていたとは初耳だ。安全に巣ごもれる場所がカントにあるというのは、ルルにとって不幸中の幸いだった。
「ヴォーヴナルグ団長、わたしたちは王城を出て身を隠しながらお兄様を探すつもりです。決して、他言されないようにお願い致します」
ルルーティカがこいねがうと、ヴォーヴナルグは白い団服の裾をひるがえして、その場にひざまずいた。
「第一聖騎士団が団長ヴォーヴナルグ、聖王イシュタッドに忠誠を誓った身なれど、ときは今。ルルーティカ王女殿下の身の安全のために尽力いたします」
こうして、ルルは新たな仲間を連れて、キルケシュタイン邸に帰ることになったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます