【コミカライズ】黒騎士様から全力で溺愛されていますが、すごもり聖女は今日も引きこもりたい!
来栖千依
1 聖女による巣ごもり生活のすすめ
「すぅー。すぅー」
石造りの修道院では、春の訪れを祝う祭のためにシスター達がひっきりなしに手を動かしていた。
高い尖塔をいだく聖堂は天井が高く、煤を払うのも一苦労だ。
ていねいに拭かれていく木のベンチは、とうの昔にニスがはげて艶がない。
磨かれる窓には、まだガラスの製造がたくみでなかった時代の厚みがまだらなガラスがはまっている。
男手があれば清掃も少しは楽かもしれない。
だが、ここには女性しかいない。男性をこばむことで何百年も遠い昔から清く正しい場所として守られてきたのだ。
「すぅー。すぅー」
その修道院の、美しいステンドグラスがはまった聖堂の奥。野花が咲く原っぱを見渡せる回廊をわたった先に、シスターのための祈りの部屋が三つある。
その右端の扉に「起こさないで!」と書かれた札が下がっていた。
先ほどから聞こえている寝息はこの部屋からあがっている。
扉をあけると、本来なら拝礼用の石像があるだろう壁のくぼみに、こんもりと盛り上がった毛玉――いや、毛布包みがあった。
布の間から銀髪をはみ出させて、幸せそうに眠っているのは一人の少女だ。
「ルルーティカ王女、そろそろお昼ですよ」
シスター長がカーテンを開けながら声をかけると、包みがもぞもぞと動いて毛布から顔だけが飛び出した。
「おはよう、シスター・ケイト……。もうそんな時間なのね。昨日はついつい経理に熱が入っちゃって、気づけば朝方だったから、まだ眠い……」
ルルーティカ――ルルは、聖教国フィロソフィーの王女ながら修道院住まいだ。
五才で修道の門をくぐって以降、他のシスターと同様に祈りと奉仕の精神で暮らしてきた。
シスター達にとって、聖教国の王族といえば、崇拝する神に近い存在だ。
同じ部屋で寝泊まりはおそれおおいという理由で、ルルは拝礼室をまるごと一つ与えられている。
王族に掃除や雑用はさせられないということで、十五才になった昨年、ようやく与えられた職が『経理』だった。
いくら清貧をかかげて暮らしていても、食料品や生活用品の一部はお金を払って購入しなければならない。
人を疑うことのないシスターは、利益重視の商人にとってはかっこうのえじき。
前の月の二倍の値段で売りつけられそうになったり、お釣りを少なく渡されたりはしょっちゅうなので、出入金を記録してこまめに照らし合わせることが大事だ。
「シスター・ケイト。見てよ、これ!」
毛布から腕だけにょきっと出したルルは、床に散らばっていた帳簿をたぐりよせて開いた。
「昨日の礼拝に合わせて開いたガレージセールの売り上げが出たの。初の四ケタ大台突破よ。これで向こう六カ月の雑費はまかなえるわ」
「あらまあ。納屋に押し込んでいた不要品が、そんなに価値があるだなんて」
「だから言ったでしょう。欲しい人はいっぱいいるはずよって」
使われなくなった燭台や焼き菓子の型、誰かが落としたロザリオの欠片などを門の近くに並べると、礼拝に訪れた人々に飛ぶように売れた。
ついでに、頼んでもいないのに王宮から送られてきたリボンや羽根ペンなど、ルルにとっての邪魔な物も並べて売り飛ばした。
こちらは、何かあった場合にそなえて個人的に貯めている。
ルルがいる壁のくぼみ――アールコーブベッドとして使っている場所の壁につくった棚には、貯めた金貨を入れたポシェットと、何度も読み返した本、兄からの手紙といった私物が収められている。持ち物はこれで全部だ。
余計なものはいらない。
そう、巣ごもり生活ならね!
「他のシスターにも報せて参りますわね。お食事はどうされますか?」
「まだ眠いからいいわ。うとうとしてる……」
シスター・ケイトがいなくなった部屋で、ルルは大あくびをした。もうちょっとだけ眠ろうと思い、カメのように頭と手を毛布にしまいこむ。
体を丸くすると完全に毛玉なので、初めてここに立ち入るものがいたら驚くだろう。
美しく気高く、それゆえ民に聖女として崇められるルルーティカ王女なんか、どこにもいないではないか! と、失望するかもしれない。
いや、失望させることもないか。とルルは思い返した。
だって、見知ったシスター以外にここを訪れる者はいない。自分は永遠にここから出ない。王族として人前に出ることもない。
ルルは、王女として箔をつけるために修道院に入れられたのではなく、父王に捨てられたのだから……。
『王族だというのに魔力を失ったなどと嘆かわしい。しかも顔に傷なんて、政略結婚にも使えまい』
父の言葉を思い出すと、額にある古傷がズキンと痛んだ。
ああ、よくない。思い返してもどうにもならないことで悩むのは、ストレスなしののんびり巣ごもり生活の天敵だ。
こういうときは、眠ってしまうにかぎる。
カーテンを開けられた窓から差し込む陽光が、祈りの小部屋をあたたかく照らしている。寒い冬のあいだは毛布を三枚重ねにして、さらに巨大な毛玉になって耐えた。
最近では毛布一枚で過ごせるほど春めいているので、眠りやすくてありがたい。
毛布に包まって眠り、起きたらご飯を少し食べて眠ろう。つぎに起きたら帳簿に向かってまた眠り、たまに兄からの手紙を読んだり、本を開いたりしてまた眠ろう。
ここでそれを死ぬまで繰り返す。退屈ではないかと心配する人もいるだろうが、ルルにとって巣ごもりはまったく苦ではない。
王女として人前に出て、なぜ魔力がないんだと糾弾される方がよほど嫌だ。
それに、眠っている間は幸せなのだ。なにもかも忘れられるから。
恋や結婚、心を忙しなく揺り動かされるイベントなんて、起こらない人生でいい。
のんびり、まったり、ずっとずうっとこうして、丸くなっていればルルは満たされているのだから。
眠りに落ちるか否かのいい気持ちに包まれたとき、遠くのざわめきがかすかに聞こえた。
(なんだろう……)
もう安眠モードに入っているので目が開かない。頭も働かないし体も動かない。
閉じられない耳だけは、シスターにしては大きな足音とこばむシスター達のかよわい声をひろっている。
どんどん近づいてくる物音は、祈りの扉のまえでピタリと止まった。
ドゴン! 凄まじい音がして扉が打ち破られた。
さすがのルルもこれには飛び起きる。
「なに?!」
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