第49話 事実

 メルは殺意を隠さずルーカスを見下ろし、クリスティンに謝罪した。


「クリスティン様、申し訳ありません。いいつけを破ってしまいました。ですが我慢できません……!」


 拳を握りしめ、ルーカスに近づいていくメルを、クリスティンは慌てて制す。


「メル、駄目、やめて!」

 

 ルーカスは立ち上がり、エメラルド色の瞳でメルを睨む。

 木の裏からメルが出てきたことは気付いていないようだ。


「なぜ、君に殴られなければならない?」

「動けないクリスティン様に、不埒な真似をしようとした。髪一筋でさえ、このかたに触れるのは許さない」


 ルーカスは頬を赤らめた。


「軽い気持ちじゃない。彼女と結婚をするつもりだ」

「あなたはこの国の人間ではない。公爵家の承諾を得られるとでも?」

「俺は確かにこの国の者ではなく、隣国の人間だ」


 ルーカスは自嘲的な笑みを浮かべた。


「俺はギールッツ帝国の皇太子。彼女の家も断ることはしないだろう。アドレーとの婚約は白紙となっているんだ」

「皇太子……?」


 彼の言葉にメルは眉をひそめる。ルーカスは事実、大国ギールッツの皇太子である。それについては間違いない。


 魔術の勉強のため身分を隠し、留学しているのだ。

 

 クリスティンはルーカスを仰ぎ、きっぱりと告げた。


「ルーカス様、わたくしはあなたが皇太子であれ誰であれ、あなたと結婚なんていたしません」

 

 ルーカスは珊瑚色の唇の端を上げ、上品に微笑む。


「あらためて、君の家に正式に申し込みに行く。さっきは失礼した。すまない」

 

 クリスティンが横を向くと、彼は踵を返して立ち去っていった。

 メルのほうを見れば、彼の瞳には悲愴な翳りがおちていた。


「クリスティン様……ルーカス様も『風』の術者です……彼も……治療は可能で……」 


 クリスティンは首を左右に振った。


「わたくしは、愛してるあなたじゃなきゃ、嫌」


 瞬間メルは腕を伸ばして、攫うようにクリスティンを深く抱きしめ、唇に唇を押し当てた。ひたむきで熱情を孕んだ激しい口づけだった。

 彼は泣いていた。

 壮絶な彼の情熱を身と心に感じ、クリスティンは胸を衝かれる。

 

「あなたと想いを結べ、私は、このまま息絶えても構いません」

 

 身を寄せ合って、ずっとキスをしていた。

 

 

 彼はもう一度噴水まで行くと、ハンカチを濡らし、クリスティンの首元にそっと当て、身の火照りを冷やしてくれる。

 

「……お兄様のところに行って、あなたの着替えを用意してもらうわ」


 そのとき、がざっと灌木から音がして、そこから再度ルーカスが姿を現した。

 立ち去ったと思っていたが。


(ひょっとして見られていた……?)

 

 クリスティンは身が強張った。

 クリスティンと、上半身裸のメルが至近距離でいるのを見、ルーカスは低い声で言う。


「君達はそういう関係?」

「──ルーカス様、ずっとここにいらっしゃったのですか?」

 

 もしキスしていたのを見られていたのなら、それを誰かに話されたら──。

 

 メルは公爵家に仕えている。

 クリスティンはその家の娘だ。

 恋仲だと周囲に知られれば、メルは処罰を受けてしまうかもしれない。

 最悪殺されるかもしれなかった。

 その可能性にはじめて思い至ったクリスティンは、色をなくした。


「……いや、今来たところだが。なぜメルが上半身裸だったのが気になって戻ってきた。クリスティンの体調も心配で」


 クリスティンは秘かに安堵の息をつく。

 なら誤魔化せる。


「──メルはさっき噴水におちてしまって、服が濡れてしまったのです。今はわたくしを介抱してくれていたのですわ」


 嘘ではない。ルーカスは小さく肩を竦める。


「そうだろうね。君達は主従。仕える家の令嬢と、使用人がそういう関係になるなどありえない。身分が違いすぎる」


 クリスティンは、心臓に鋭い槍を刺されたような気がした。


「……体調が優れませんので、わたくし、もうそろそろお暇します」

「ああ」

 

 もし今後何か問題になれば。

 

(公爵家を出る。メルと駆け落ちをするわ)


 長い間、自身の気持ちに気づいていなかったが、メルを好きだった。

 誰より彼を大切に思う。ずっと一緒にいたい。他は何もいらない。

 

 ルーカスは自分の上着を脱ぎ、メルに差し出した。


「これを着るといい」

「……結構です」


 強張った顔でメルが彼の横を通り過ぎれば、ルーカスが悲鳴のような声を発したのだ。


「君……!」 


 メルの肩にルーカスは手を置く。


「背中を見せてくれ!」


 訝しげにするメルの後ろに立つと、ルーカスはメルの背を凝視し、喘ぐように呟いた。


「まさか……俺の捜していた人物が、君……!?」


 クリスティンはルーカスの異様な様子に、戸惑う。


「捜していた……ルーカス様……どういうことですの?」

「彼のアザ……この模様は、昔からあるのか……!?」


 メルの背には、蔓のような綺麗なアザがある。

 クリスティンも知っていた。


「それがどうしたのですか」


 メルが怪訝な顔で答えれば、ルーカスは取り乱しながら説明した。


「……この印は……ギールッツ帝国の第一皇子にある印だ……。君は、俺の兄だ」


(──兄……?)


「ルーカス様、一体、何を?」

 

 メルは当惑し、クリスティンは立ち尽くした。

 

(ルーカスの兄がメル──)

 

 そんなこと、ゲームでは明らかにされていない。

 嘘や冗談で、ルーカスが言っているとも思われない。

 ルーカスは以前誰かを捜していると話していたが……。

 

 悪役側のメルは非攻略対象。しかし攻略対象と同じくらい人気は高かった。続編で攻略対象になった可能性はある。

 

(続編予告……『あの人気キャラの意外な事実が明らかに!』だったけれど……。まさか……メルのことなの……!?)


 クリスティンは愕然とした。

 ──いつの間にか、続編に突入しているのだろうか……?

 

 未知なる展開に、鼓動が乱れ、意識は薄れそうになった。

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