第21話 倒れる

 ソニアはドジッ娘だ。

 今日も授業で使う教科書を机の上に忘れ、次の教室に移動している。


(プレイヤーが突っ込みたくなるくらい、ヒロインは悪役令嬢に攻撃材料を次々と与えていたわね、そういえば……)

 

 視線で追ってしまい忘れ物にも気づいてしまった。

 クリスティンがそれを手に取ると、メルが問うた。


「持っていってあげるのですか?」

「ええ」

 

 授業で使うもので、ないと困るものだ。

 メルは低い声で告げる。


「彼女は、クリスティン様を窮地に陥れるライバルです。放っておけばよいのでは」

「ライバルではないわ。アドレー様と幸せになっていただきたいと、思っているのよ」

 

 クリスティンは淡く吐息を零す。

 

 次の教室に移動すると、ソニアが眉を八の字にしていた。

 今から取りに戻ると遅刻してしまうから。

 クリスティンは彼女の前まで行き、教科書をすっと差し出した。


「ソニアさん、こちら、机の上に置いたままになっていました」

「あ、クリスティン様、ありがとうございます!」 

 

 ソニアはぱっと表情を輝かせて、それを受け取った。


「忘れたことに今気づいて!」

「この間も同じことがありました。どうぞお気を付けて」

 

 クリスティンが見つけただけで、これで四度目、彼女に手渡すのも四回目だ。

 彼女は頬を赤らめる。


「はい……わたし、ドジで……」


 ヒロインの特徴としてドジというのはよくある。だが実際にそうだと本人も周りも困ることだ。

 彼女は自覚があっても、改善しようとしているように感じられなかった。


(これくらいのドジさ加減だと、愛嬌といえるけれど)


 大きな失敗をしてしまったらどうするのだろう。他人事ながら心配になる。

 クリスティンは自席へつく。隣に座ったメルが眉間を皺めた。


「彼女は本当に『花冠の聖女』なのですか。どうしてもそうは思えないのですが……」

「いずれ覚醒するの」

 

 メルは釈然としないといったように、首を捻る。


「私がみたところ、普通の少女以上にそそっかしいような……? 今、アドレー様と彼女には、接点はないようです。今後二人が近づくことがないようにしましょうか?」

「いいえ。そんなことをしては決して駄目。話したでしょう、わたくし惨劇に突き進んでしまうのだから……!」

「ですが……」

 

 メルは眉を顰める。


「私は、納得できないのです」

「あなたは、わたくしがアドレー様と結婚したがっているように思うの?」


 クリスティンはアドレーを恐れているのに。

 メルは押し黙ったあと、素直に答えた。


「いいえ」

 

 クリスティンは重く首肯する。


「メル、そういうことなのよ」

 

 彼はすとんと腑に落ちたように、神妙な顔で頷いた。


「……不要なので差し上げたいということですね?」

 

 身も蓋もないが、そういうことになるのだろうか。

 地位も名誉もクリスティンは必要としていない。

 欲しいのは平穏、それだけなのだ。

 


◇◇◇◇◇



 フレッドは飛び入学を果たしただけあり、優秀だ。

 クリスティンは週に一回、彼と図書館で勉強をしている。

 

 教室では挨拶を交わすだけ、図書館でも二人無言で勉強しているだけだったが、わからないところがあれば教えてくれ、おすすめの本も紹介してくれる。

 彼との時間は有意義だった。

 彼に聞けば、難解なことも、するっと理解できる。

 


 その日も、充実した時を過ごして、図書館を出た。

 フレッドはまだ残っている。

 彼から図書室での勉強は内緒にしてほしいと言われている。

 互いに目立ちたくはない。クリスティンは了承した。

 メルに、二回に一回は代わりに生徒会に出てもらっていて、今日もそうである。


(色々と面倒をかけてしまっているわ。お詫びに寮の調理室で、メルのために何か作ろうかしら)

 

 寮へ戻りながらそう考えていると、突如胸に鋭い痛みが走った。

 

「……っ」

 

 クリスティンは焦った。

 

 これは……発作がくる前兆である。

 約一ヵ月ぶり、入学してからは初めて。

 以前はもっとしょっちゅう発作が起きていたが、ラムゼイのお陰で、頻度は半分に減っていた。

 だがまだ起きるのを止めることはできていない。


(どうしよう……!)


 人に見られたら、ちょっとした騒ぎになる。

 蒼白な顔で、ひとけのない場所を求め、彷徨う。

 寮までたどり着けそうにない。

 

 誰もいない木陰で、クリスティンは膝をついた。

 痛みは強く激しくなっていく。

 肩で大きく息をし、ポケットに入れてある薬を取って口にした。

 薬を飲めば、約五分で発作はおさまる。

 しかしそれまでこの苦痛と戦わなければならない。

 荒い呼吸を繰り返していると、その場に声が響いた。


「どうした……」

 

 顔を上げるとそこに、ルーカスの姿があった。


「……ルーカス、様……?」


 クリスティンは生徒会で長居するのを避けているので、こうしてルーカスとまともに顔を合わせるのは、初日以来だった。


「大丈夫か!?」

 

 彼はクリスティンの肩に手を置く。


「大、丈、夫です……」

 

 クリスティンは滲む汗を拭い、喘ぐように答えた。


「休めば、すぐに、おさまります……」

「だが……」

「ただの、発作です……もう、薬も、飲みました」


 彼はクリスティンを抱え上げた。


「ルーカス、様……!?」


 驚くクリスティンに構わず、彼は西日のあたる場所から移動した。

 柔らかな下草の生えた日陰へとクリスティンをそっと下ろす。


「本当に、大丈夫?」

 

 クリスティンは顎を引く。


「ええ……」

「水を持ってくるから、待っていて」

「いえ、大丈夫ですから……」

「すぐ戻る」


 クリスティンの言葉をきかず、彼は水を求めに行った。

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