第7話 惨劇回避のために

「アドレー様に今婚約解消を迫るべきではないと思います。このまま婚約は続行すべきです。『花冠の聖女』が覚醒し、アドレー様が実際そのかたに心を奪われれば、そのとき初めて婚約解消について話されればよいのでは。そのほうが事はスムーズに運ぶと思いますし、今はアドレー様も婚約解消に応じられないでしょう。困惑させてしまうだけです。旦那様も決してお許しにはなりません。未来を心配なさるクリスティン様のお気持ちはよくわかりますが、私が必ずお守りいたします。万一に備え、護身術もお教えいたします。ですから、どうか婚約解消を働きかけるのはおよしください」


「メル、護身術を教えてくれるの?」

「ええ。基礎体力がついたあとにですが」


 クリスティンは吐息をつく。


「……わかったわ、婚約解消をアドレー様に直接頼むのは当分の間やめます。アドレー様が花冠の聖女と恋におちたとき、わたくしがすぐに身を引けば、円満に婚約解消してくださると望みをかけるわ」

「身を引かれるのは、最後の最後になさってください。アドレー様の婚約者はクリスティン様なのです。お気を強くお持ちください。私はクリスティン様がアドレー様とご結婚され、未来の王妃となられるのを願っております」


 メルは元気づけるようにそう言う。

 きっとクリスティンの話を完全には信じていないのだ。

 マリッジブルーとでも思っているのだろう……。

 

 とにかく護身術を教えてもらえることになった。

 それは収穫である。  



◇◇◇◇◇



 メルが退室し、それと入れ替わるようにして、兄のスウィジンがやってきた。


「クリスティン、何をしているんだい」


 室内で腹筋をしていたクリスティンをみて、スウィジンは驚きつつも、微笑んでクリスティンの手をとり、立ち上がらせた。


(基礎体力作りの邪魔をしないでもらいたいのだけど……)


「女の子は着飾って、微笑んでいるだけでいい。身体を鍛える必要はないよ。おまえは美しいのだから、それが何よりの武器となる」

 

 彼はクリスティンに利用価値があるから、甘い言葉を吐く。

 価値がないとわかれば、すぱっと切り捨てるのだ。

 クリスティンは心を覆い隠し、笑顔を浮かべた。


「お兄様は口がお上手ですわね」

「早朝、庭を歩いているともお母様から聞いた。あまり無茶をしてはいけないよ。おまえは殿下の婚約者なのだから」

「無茶なんていたしません。ご心配なさらないで」

「このところ、おまえはいやに活動的だね」

「虚弱体質を治したいと思っているからですの」

「腹筋を鍛えるのは、声を出すのにも良い。歌う際、お腹から声を出せるようになるだろうけれど」


 クリスティンははっとする。


(お兄様のお腹は真っ黒だけれど、歌声は透き通っていて素晴らしいのだった)


 響きの良い声をしていて、歌声は伸びやかで、高い声も低い声も出せる。


「お兄様!」

「なんだい?」

「どうかわたくしに歌を教えてくださいません?」

「歌?」

「はい」 

 

 もし将来刺客に狙われても、七色の声を出せれば、別人のフリをして逃れられるのではないだろうか。

 惨劇を回避する術を、できる限り多く身に付けておきたい。


「色々な声の出し方を知りたいのです」

「うん、歌声が美しい女性は良いね。殿下もお喜びになるだろう。いいよ、教えてあげよう」

「ありがとうございます!」

 

 兄は何を考えているかわからない人物なので、心を許すことはできなかったけれど、声の出し方を習えることは嬉しい。



◇◇◇◇◇



 数日後、ラムゼイが屋敷へやってきた。


「アドレーのことで大切な話というのは、何だ」

 

 応接の間に通すと、彼は脚を高らかに組んで座り、目を眇めた。

 ラムゼイは、悪役令嬢の断罪イベントに積極参加する。

 だからこそ、頼みをきいてくれるのではと思ったのだ。


「わたくし、アドレー様に自分はふさわしくないと思っています」

「自信にあふれた君が、先日に引き続きそんなことを言うとはな。今も熱が?」

「いいえ」


 お茶はいらないと、メルは下がらせている。


「ラムゼイ様も、わたくしがアドレー様にふさわしくないと感じていらっしゃいます。わたくし、同じ気持ちなのです。婚約を破棄された場合、素直に受け入れるつもりですわ」


 だから暗殺者を放つ必要はまったくないのである。


「よくわからないな。君の話というのはそれか?」

「意思をラムゼイ様に、はっきりと表明しておきたかったのですわ」

「オレにそんなことを話す時間があるのなら、アドレーにふさわしくなるよう、将来の王妃として皆に認められるよう精進すべきでは?」

「この先、アドレー様には素晴らしい出会いがあります。わたくし、将来の王妃とはなりませんので」

「何を言いだすのかと思えば」


 ラムゼイは席を立った。


「オレも暇じゃない。大切な話というのが、それならオレは帰る」

「ラムゼイ様」

 

 メルにはああ言ったが、できれば早くにアドレーに婚約を解消してもらいたかった。

 最後の最後まで待っていたりなんかしたら、取り返しのつかないことになるかもしれない。


「お願いします、どうぞラムゼイ様のお力をお貸しください」

「力? なんの?」

「一刻も早くアドレー様が婚約を解消してくださるよう、お力添えしていただきたいのですわ」


 ラムゼイはまじまじとクリスティンを見下ろす。


「君は何を言っているのか自分でわかっているのか?」

「ええ、もちろん」

「王太子との婚約解消を望むのはなぜだ?」

「ですからわたくしはあのかたに、ふさわしくはないからですわ」


 その場に沈黙がおりる。

 冷ややかな静けさに、クリスティンはじりっとした焦りを覚えた。


「そうか」 

 

 ようやく言葉を発し、ラムゼイは唇に笑みを刷いた。

 

「ではオレは、婚約が決して解消されることのないよう動こう」

「は?」 

 

 クリスティンはぱちぱちと瞬いた。


「ラムゼイ様? わたくしは今──」 

「オレは天の邪鬼なんだ」

 

 ──そういえば彼は冷血で、非常にひねくれた性格をしていた。


(……しくじってしまった……!?)


 不敵な笑みを浮かべて彼は去り、その場には呆然と立ち尽くすクリスティンのみが残った。

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