第8話 異世界から戻りて

 ブレードマンティスを撃破したことにより、誇太郎は最終課題へ挑む資格を無事手に入れた。この日まで、彼は数々のモンスターを撃破してきた。累計数で数えるならば、少なくともスライムの撃破数のみで千体は下らない。いくら最弱候補のモンスターとはいえ、千体を相手取るとなると熟練の戦士であればまだしも並の人間であれば恐らく達成することは難しいだろう。しかし、彼はやり遂げた。戦闘未経験の身でありながらも、何とか戦える身体作りを果たし数々の課題を達成してきた。




 それでも、誇太郎は先のブレードマンティスとの戦いで痛感したことがある。それは「まだまだ実力不足なのではないか」ということ。誇太郎は確かにこれまで数々の課題を達成してきたが、それはスライムではライガの助言、ホーンラビットの件ではスミレの助力、そしてブレードマンティスの時はライムンドのお節介があってこそだった。昨日スミレに「もっと私たちを頼っていい」とは言われたとはいえ、誇太郎自身はそれでも「申し訳ない」という罪悪感があった。




 それ故に、ブレードマンティスを撃破した翌日。誇太郎はスミレに模擬戦の手合わせを頼んだのだった。それに対してスミレは快諾し、城の中庭へと連れていく。中庭は程よく広い空間となっており、模擬戦を始めるにはうってつけの舞台だった。一方で、戦闘はお互いに必要以上の怪我は負わないよう、武器は模擬戦用の木製の武器となっている。万全の状態を期した状態で、二人の模擬戦は始まった。




 先ずは誇太郎が仕掛ける。スミレに間合いを詰め、小手調べとばかりに木刀を振りかざす。対するスミレは、余裕を持ってその攻撃を木の棒で受け止めた。涼しい表情を浮かべる様子から、衝撃すら感じないほどの余裕さを誇太郎は感じ取った。




 ――なら、手数勝負はどうだろう。




 そう判断し、誇太郎はホーンラビットの動きをイメージして脱兎ダットを使用した。ブレードマンティスの時と同様に四方八方に動き回り、スミレをかく乱しようと試みる。何度か周囲を高速移動し、誇太郎は適当に頃合いを見定めてスミレに攻撃を加えようとした。その時である。




『南九十二度、背後から来るぞ』


 ――しまった……!




 聞き覚えのある声を耳にした瞬間、誇太郎の腹部に重い一撃がのしかかる。スミレの身体術フィジカルスキルである人面瘡じんめんそうが迫る攻撃を告げたその時、彼女は右足を軸に一回転しその遠心力を活かして誇太郎を迎撃したのだ。特有ペキュリアスキルである「金剛の加護」の影響もあり、人間の倍以上の力で殴られた誇太郎は容赦なく中庭の壁に吹き飛ばされてしまった。




「大丈夫、コタロウ?」




 一応スミレは手加減はして迎撃したが、それでもそれなりに破壊力は凄まじかったため誇太郎の身を案じて駆け寄った。そんな当の本人は、何とか右手を振って「大丈夫」と短く答えた。




「まあ、でも……かく乱にまで対抗できるなんて、やっぱその人面瘡じんめんそう強いなあ……」


『おうともよ!』




 ドヤ顔でスミレの右腕に宿る人面瘡じんめんそうが前へと出かかる。一方のスミレは、やや子供じみた表情でむくれる。




「ちょっと……私の力も強いでしょ?」


「あ、勿論……スミレの力も凄まじいよ。あの時食らったビンタもそうだけど、凄まじすぎるね……」


「当然よ、というかあなたが頑丈すぎるのよ。普通の人間じゃ死んでもおかしくないのに、もしかしてそれも『柔軟な肉体フレキシビリティ』の影響なの?」


「……らしいんだよね」




 そういうと、誇太郎はスミレが迎撃した腹部を上着をまくって見せる。するとそこには、転移する前とは比較にならないほどの腹筋が顔を出した。その腹筋をスミレが突っつくと、まるで鋼鉄のようにガチガチに硬化していたのだった。数日前にスミレからビンタを受ける際に、誇太郎は無意識に「体を硬質化するイメージ」をしていたようで、それがきっかけで発動できるようになったそうだ。




「すごい硬度……、この硬さなら確かに納得はできるわね。これも攻撃を食らう前にあなたがイメージしたものなの?」


「一応、ね。ただ……今回はともかく、これからどこまで柔軟にイメージした動きとかを実践できるか分からないから、もっと開発の余地はありそうだが」


「それだけでも十分すごいと思うよ、コタロウ」




 穏やかに微笑んで、スミレは誇太郎を褒め称えた。素直に褒めてくれたスミレに対し、誇太郎は再び謙遜するように照れくさそうにしていた。






 そんな二人の鍛錬を微笑ましそうに眺める者と怪訝な表情で眺める者がいた。




「むむむむむ~、コタロウさん……この短期間で滅茶苦茶強くなってまーすね」


「……にしても、程があろうに。お前は違和感は湧かんのか、シャロン」


「ぜーんぜん! むーしろ、短期間で強くなっていることに他人なーがら喜ばしいことでーすよ!」




 分身魔法の使い手であり魔法術マジックスキル研究者のシャロンと、軍師のライムンドであった。この日もシャロンは他の分身を雑務に回しながら、そのうちの一体を鍛錬の様子を伺う役として手配したのだった。




 一方のライムンドは、一先ずはブレードマンティスを撃破した実力までは認めたものの、フェリシアが与えたという心力しんりょくとやらで発動する魔法術マジックスキルの正体も分からない状態だったこともあり、半ば誇太郎の強さの成長ぶりに解せない様子だった。




「シャロン、フェリシアは奴にこの世界のことについてどの程度まで話した?」


「そーでーすね、一応教えた情報としては身体術フィジカルスキル魔法術マジックスキルで戦いが成り立っているという事、私たち魔人のみに宿っている特有ペキュリアスキルがあるっていうこと……ぐらいでっすん」


魔法術マジックスキルの詳細な情報はまだ伝えてないのか」


「あ、それは大丈夫でっすん! 近々私が魔法術マジックスキルの仕組みについて、骨の髄のズズイまで教える予定でっすん! 上位アークスライムの対策のためにーもね」


「……それは頼むぞ。とにかく、コタロウは戦闘経験はもちろん……この世界についてもっと知ってもらう必要がある」


「そーでーすね、うんうん」




 首を縦に振りながらシャロンは相槌を打ち、ライムンドはため息を付きながら続ける。




「というか、フェリシアがもっとそれを伝えるべきだったのだよ。そもそも、奴を勝手にこの世界に連れてきたのもよくなかろう。もしも奴に家族がいるのであれば、この世界に渡るという意思を示してからでもよかったのだ」


「相変わらずお節介がお好きでーすね、ライムンド」


「俺はフェリシアと同じようになってほしくないだけだ……ん?」




 何かの気配を左に感じ、ちらりとその方角を一瞥するとそこにはライムンド達と同様に誇太郎を見守るフェリシアの姿があった。ただ、この時の彼女はいつもと違う雰囲気を纏っていた。服装はいつも通りの黒装束なのだが、ドレスではなくスラっとしたスタイリッシュなスーツ調の服装であり、それに加えて黒いロングコートを纏っていた。表情もいつも見せるような明るい表情ではなく、憂いを帯びた複雑な表情で眺めるその姿はライムンドにとっても初めてだった。




「どうした、フェリシア」




 一先ずライムンドは声をかけた。しかし、聞こえていなかったのかフェリシアは何も答えず正面を見つめている。




「フェリシア!」




 再度、ライムンドはフェリシアに声をかけた。流石に二度目は気付いたようで、ハッとした様子でフェリシアはライムンドの方に目を向ける。




「どうした、複雑そうな顔をして。らしくもない」


「うるせ」




 短く発した一言だったが、やはりいつもの調子を感じないため息のような一言。そんなフェリシアの様子にシャロンは不安そうに見つめていたが、ライムンドはその複雑な表情の原因に心当たりがあった。




「……昨日言ったことが原因か」


「え、え? ライムンドが何か言ったんでーすか、フェリシア様?」


「あー……うん、うん……まあな」




 まばらに発した後、昨夜ライムンドが提案したことをシャロンに簡潔に説明した。改めて誇太郎を自軍の麾下きかに加えて育てていくためにも、彼の両親に正式に告げるべきだという事。それは即ち―。




「それってつまーり、コタロウさんを一時的に元の世界に戻す……ってことでーすか?」


「まあ、そういうことだ」


「あたしは別にそうする必要はねーと思うんだが、ライムンドがうっせ―からよ……」




 ため息混じりにフェリシアは言った。その話に対し、シャロンはある懸念が思い浮かぶ。




「もしも、もしもでーすよ。コタロウさんが……元の世界に戻りたいって言ったーら、その時はどうするんでっすん?」


「その時は……まあ、その時だ。とにかく先ずは聞いてみるわ」




 二パッといつもの笑顔を一瞬浮かべて、フェリシアは鍛錬中の誇太郎を呼び掛けてその場から立ち去るのだった。







「あ、あの……どうしたんですか、フェリシアさん?」




 フェリシアの違和感は、誇太郎も感じていた。彼女の自室に連れてこられるまでの道中、いつもからからと明るい笑顔が印象的のフェリシアだったが今回はそんな様子が一切なかったのだ。どことなく漂う緊張感がありながら、その無言の空間の中でフェリシアは口を開く。




「なあ、コタロウ。この世界の生活は、どんな感じだ?」


「え? そ、それは……もう楽しいですよ。何度か危ない目にもあったし、まだまだ皆に支えられてばかりだけど……体験したことないような経験ばかりで、すごく楽しいです」




 フェリシアの問いに、誇太郎は素直に胸中を伝えた。元の世界では感じられないような体験、創作物でしか見たことのない種族やモンスター、そして何より自身がイメージしている強さを具現化できる力すら与えられたのだ。怖い思いや不甲斐ないと感じることも多かったが、それでも「つまらない」などという言葉は思い浮かぶことは一切なかった。




 そんな誇太郎の肯定的な返事を前に、フェリシアは一瞬顔が綻んだ。




「そっか、そいつは何より。じゃあ、この世界にずっといたいと見ていいよな?」


「え、ええ。あの……改まってどうしたんですか、フェリシアさん?」




 先ほどから感じるフェリシアの違和感に、誇太郎は尋ねずにはいられなかった。対するフェリシアは、真面目な表情で口を開いた。




「コタロウ、今日まで色々よく頑張ったな。この短期間でお前はすごく成長したと思うぞ」


「あ、ありがとうございます」


「で、だ。残った課題は……上位アークスライム、暴君タイラントゴブリン、龍人族ドラゴニュートの最終課題のみだ。ここまではいいな?」


「はい」


「最終課題を控えた今だからこそ、お前に改めて問おうと思う。前の世界を捨てて、?」


「え……え?」




 異世界に連れてこられる前のフェリシアの問いを前に、誇太郎は一瞬困惑した。何故このタイミングで再びそれを問うのか。狐につままれた感覚に陥りながら、誇太郎は尋ね返す。




「えーと……、それは一体どういう意味でしょうか」


「言葉通りだよ。お前を正式にあたしの元に招き入れる以上、元の世界の未練はすっぱり断ち切ってほしい」


「す、すっぱり……ということは、もう元の世界には戻れない……と?」


「……その言い方だと、何か未練があんのか?」




 戸惑いの様子を見せる誇太郎を前に、フェリシアは意外そうな表情で彼を見る。




「驚いたな。あたしが最初に提案して、お前がそれを潔く受け入れたから未練なんてないと思ったんだが……違うのか?」


「……」




 何かを言いたげな誇太郎だったが、フェリシアは彼の返答を待つよりも先に言葉を続ける。




「いいか、コタロウ。お前はあの時、断ろうと思えば断ってもよかったんだ。だがお前は、あの時確かにこの世界で生きていこうと決めて付いてきた。あたしのおならを嗅ぎたかろうが何だろうが、元の世界の生活を捨ててこの世界に来た。何が言いたいか分かるか?」




 誇太郎に視線を合わせ、フェリシアははっきり告げた。




。でも、それを後悔しているわけじゃないんだろ? 実際今日まで色々見てきたけど、最初に会った時に比べたらお前は一番キラキラと輝いてた。だからあたしはもう元の世界のことなんてすっぱり忘れているもんだと思ってたんだが、違うのか?」


「……」




 フェリシアの質問に、誇太郎は未だに何かを言おうとするも口に出せずにいた。その様子にしびれを切らし、フェリシアは彼の眼前に距離を詰める。




「……黙ってないで何か言いな」


「ひっ……!」




 怒られると感じた誇太郎は、異世界に来る前と同様の態度で思わず怯んでしまう。が、フェリシアは目をそらさず向き合う。




「ああ、勘違いすんな。怒ってるんじゃない、ただ知りたいだけだ。元の世界に何か未練があるなら、教えてくれ。重ねて言うが、怒ってるわけじゃない。言いづらいならゆっくりでも構わん、だから言葉に出せ。中度半端に黙られるのは嫌いなんだ」




 なだめるように、フェリシアは優しく声掛けた。対して誇太郎は、高鳴る鼓動と早まる呼吸を整えながら、絞り出すように口に出した。




「元の世界の未練は、基本的にはもうほとんどありません。ただ、強いて申さば……」


「何だ?」


「……高齢の両親を置いてきてしまった、ことでしょうか。それだけが気がかりです」


「そんなにか?」


「俺は兄弟がおらず、一人っ子なんです。だから……俺がいなくなって、滅茶苦茶心配しているんじゃないかと。そもそも……、あの後家族には俺のことがどう伝わっているかも分からないので……ずっと気がかりでした」




 申し訳なさそうに返事を返し、誇太郎の発言はそこで終わった。その答えを前に、フェリシアはぶつぶつと呟きながら何度か頷いた後、改めて誇太郎と向き合った。




「そっか……よし、分かった。それなら一緒に親御さんに会いに行こう」


「分かりました……って、えええっ!? 今何と!?」


「ニッヒヒ、そのリアクションも久々だな! もう一度言うぞ! あたしも一緒に同行するから、しっかり親子で話し合おう!」




 予想だにしていなかったフェリシアの展開に、誇太郎は返す言葉も思い浮かばないほどに茫然としていた。が、即座にある不安がよぎった。




「待って待って、フェリシアさん! あなたはこの島の魔王様でしょ!? 勝手にいなくなって大丈夫なんですか!?」


「もっちろん大丈夫! あたしがいない間は……」


「……俺が島の指揮権を握るからな」




 スッと何もない空間から、突如ライムンドがゆっくりと姿を現した。その現状を前に、誇太郎は再び声を上げてリアクションを取ってしまいそれをフェリシアがからからと笑い飛ばした。




「おい、俺が現れただけで騒々しすぎるのだよ」


「だって……急に現れたもんだから……」


「ああ、そうか。お前には魔法術マジックスキルしか伝えておらんかったな。レイスの特有ペキュリアスキルは『幽体化ゆうたいか』なのでな、故に先の会話もすべて透過した状態で拝聴させてもらった」


「な、なるほど……」




 納得する誇太郎を尻目に、ライムンドはフェリシアに目線を合わせて告げた。




「いつも通り、留守は俺と海上隊に任せておけ。その代わり、しっかりコタロウに付いてやれよ」


「わーかってるって。そんじゃコタロウ、今すぐ行こう!」


「今すぐって……この自室からですか? いや、でもまだ心の準備が……」




 と誇太郎がこまねいている様子とは裏腹に、フェリシアは既に空間にライムンド直伝の黒穴クロアナを拳で叩き割って作り出し、誇太郎の世界へと向かう準備を整えていた。




「準備よすぎでしょ、フェリシアさん……」


「ニッヒヒ、誉め言葉として受け取るよ。んじゃ、いこっか!!」




 ぐいっと誇太郎の手を掴み、二人は宙に浮かぶ黒穴クロアナへと飛び込んでいった。







 程なくして、黒穴の内部から光明が差し込んできたのを二人は確認した。お互いにアイコンタクトを取りそこに飛び込むと、二人はある住宅の前へと降り立った。元の世界の時刻は、向こうとさほど変わらず真昼の日差しが煌々と輝いている。




「ふぃー、到着っと。とりあえず確認したいんだが……ここであってるよな、コタロウ?」


「ええ。大丈夫です」




 確認を頼むフェリシアに対し、誇太郎は即答で返事を返した。黒穴クロアナで元の世界に戻る際に、フェリシアは「記憶読み」で読み取った誇太郎の記憶を頼りに、一回で確実に誇太郎の自宅の前へと転移できるよう調整してくれたのだった。その結果は見事、見立て通りの大成功を収めた。




「んじゃ、早速行くぞー……って、どした?」




 ずんずんと前に進むフェリシアとは対照的に、誇太郎は及び腰になっていた。




「久々に会うから、何て言えばいいか……」


「あー、まどろっこしい奴だな! ほらっ、付いてこい!」




 しびれを切らしたフェリシアは、強引に誇太郎の腕を掴んで家の前に引っ張り出した。誇太郎は胸を押さえながらも、固唾を飲みつつ玄関のチャイムを鳴らした。それから程なくして、玄関の戸が開かれ七十前後の老婆が姿を現した。無難な服装で出迎えたその老婆は、誇太郎の姿を見るなり声を震わせて彼の両肩を掴んだ。




「誇太郎……誇太郎なのかい!?」


「……ただいま、お母さん」


「あなた! ちょっと、あなた! 来てください!! 誇太郎が、誇太郎が!」




 慌てた様子で誇太郎の母は家の奥へと入っていくが、数秒と経たないうちにすぐに戻ってきた。今度は父親も連れてきたようで、彼も誇太郎の姿を見るや否やすぐさま近づいてくるのだった。




「誇太郎……だよな?」


「ああ……」


「本当に、誇太郎なんだよな!? 幽霊でも何でもない、誇太郎なんだよな!?」


「そうだよ、お父さん……」


「ああ……ああ! そうか、よかった……誇太郎!!」




 実の息子が眼前に現れた。その事実がしかと確認できた瞬間、誇太郎の父は力強く息子を抱きしめた。母親も同様、涙を流しながら息子との再会を喜ばずにはいられなかった。そんな家族の再会を、フェリシアはやや離れた所で物憂げに眺めていた。




 それからしばらく時間が経過して、誇太郎の母はようやくフェリシアの存在に気付いた。




「誇太郎……そちらの女性は?」




 誇太郎の生まれ故郷では見ないような風貌であるフェリシアを前に、母親は戸惑わざるを得なかった。誇太郎の母と視線があったフェリシアは、ひらひらと手を振って微笑む。




「……話せば長くなるんだけど、いいかな」








 自宅に上がった誇太郎とフェリシアは、交互に今日こんにちまでのいきさつについて説明した。生きることを諦めて身投げしたところをフェリシアに助けられ、異世界にてフェリシアに仕える侍として切磋琢磨していたことを告げ、自身が与えられた身体術フィジカルスキルを披露してみせたりしながら簡潔に説明を終えた。




 その説明を前に、誇太郎の両親は揃って茫然と言葉を失うほかなかった。というのも無理はない。誇太郎たちの説明が終わった後、今度は誇太郎の両親が彼が異世界に渡った後の元の世界の出来事について説明してくれた。




 誇太郎が異世界に渡った次の日、元の世界では行方不明者として息子の捜索願が出ていたのだ。しかし待てど暮らせど手掛かりが一切見つからず、絶望的な状況が続いていた。そんな中である。突如として息子が自分たちの元に戻り、更には創作物さながらの世界にて生きながらえていたという事実が目の前に起きているのだ。その奇天烈な事実を目の当たりにして、それを受け入れるのに時間がかかることは火を見るよりも明らかだった。が、そんな奇怪な事実を真っ先に受け入れたのは誇太郎の父親だった。




「しっかし、あれだな。どうせそういうファンタジーな世界に行くんだったら、普通は勇者とかだろ? それがまさかの魔王様とは、人生何があるか分かったもんじゃないな!」


「べ、別にいいじゃないか! 俺は……本当に、この人に救われたんだからさ」




 年を取った老人とは思えないほどに、誇太郎の父は豪快に笑い飛ばしながら旧交を温めた。そしてフェリシアの方に視線を合わせて深々と頭を下げた。




「愚息がお世話になりました、誇太郎の父の樋口正文ひぐちまさふみです。こちらは妻の鹿波かなみです」




 正文に紹介され、誇太郎の母である鹿波も続いて一礼した。対してフェリシアは、いつもの調子で二パッと笑んだ。




「サキュバスロードのフェリシアだ。こちらこそよろしく、コタロウの親御さん!」


「快活な魔王様だなあ。ああ、そうだ誇太郎。ところでどうしてここに戻ってきたんだ?」


「それは……」




 正文に言われた言葉を前に、誇太郎は胸中を伝えようとした。が、ここでまた言葉がつかえる。




「それは……えーと……」


「何だ?」




 再び誇太郎が言いかねていたその時である。




 ぐう~~。




 誰かの腹の音が四人がいる居間の中で響く。やがて、腹を鳴らした音の主が静かに手を挙げた。その人物は―。




「俺です……ごめんなさい!」




 勢いづけて謝罪を入れたのは、誇太郎だった。気付けば外は日没が近づいており、徐々に夜へと向かおうとしていたのだった。




「おいおい、コタロウ。そこで腹の音鳴らすか~?」


「しょ、しょうがないでしょフェリシアさん……。生理現象なんですから」


「まあまあ、それなら今すぐお夕飯準備するから」




 鹿波がそういうと、一人台所へと歩を進めていく。すると―。




「あ、母上殿。あたしも手伝わせてもらってもいいかな?」




 意外にも、フェリシアが手伝おうと手を挙げたのだった。




「あら、よろしいので?」


「いいんでいいんで、異世界の料理の文化も色々知っておきたいのでね」




 子供のような無邪気な笑顔と共に、フェリシア等女性陣は台所へと向かっていく。




「家庭的な魔王様じゃないの、いいねえ」


「あ、あははは……」




 陽気に語らう正文とは対照的に、誇太郎は未だにぎこちない様子で相槌を返すのだった。




 それからしばらくの間、誇太郎は夕食を交えながら久々に家族の団らんを楽しんだ。そこにフェリシアも混ざり、とりとめのない話で盛り上がる様はかつてこの世界で味わった懐かしい心地よさを誇太郎に思い出させた。








 やがて時間は過ぎていき、夜九時。




 風呂から上がり自室へと戻る途中、誇太郎は煩悶としながら廊下を歩いていた。久々に家族に出会い、丁重に育てられたことを思い出していたのだ。親から嫌われるどころか、むしろ一人っ子ということもあり最大限の愛情を受け取りながら誇太郎は育てられてきたのだ。一歩、また一歩歩を進めていく度にその記憶は鮮明に蘇っていく。




 そして、気付けば自室の前へとたどり着いていた。眼前の扉を前にため息を付きながら扉を開くと、そこにはベッドの上でごろんと寝ころびながら部屋の中の漫画に手を出していたフェリシアの姿があった。




「おー、おかえり。温まった?」


「ええ……っていうかフェリシアさん、滅茶苦茶はまってませんかそれ?」


「ニッヒヒ、そりゃそうだろ? コタロウ、お前が思う侍の戦い方は……この本の中にあるんじゃねーの?」




 そう言って、フェリシアは読みかけたページに指を挟んで自身が読んでいた漫画を反対の手の人差し指でトントンと叩いた。その漫画のタイトルは、「二大剣豪列伝」と記されており、漫画の表紙にはライムンドに見せた二人の剣豪が背中越しに異なる表情で並ぶイラストが描かれていた。




 一方尋ねられた誇太郎は、表紙に映る主人公たちの活躍を思い出してか噛み締めるように頷いた。




「仰る通りです……その二人の侍の活躍が、俺の『柔軟な肉体フレキシビリティ』に反映させている動きです。スライムの時はライガの動きを参考にしましたが……」


「ニッヒヒ、そっかそっか。一巻とやらは読ませてもらったが、自由奔放に生きる男と戦好きの男がそれぞれの人生を送る物語。正反対な性格のこいつらだが、戦う場面は絵とはいえ思わずあたしも息を飲んじまった。お前が参考にしたくなるのもわかる気がするぜ」


「恐縮です……」




 照れながら、誇太郎は答えた。




「よっし、そんじゃあコタロウ。続きはベッドの中で話そうぜ」


「分かりました、ベッドの中……ベッドの中ああああああああああ!?」




 すんなり受け入れようとしかけた誇太郎だったが、咄嗟に踏みとどまりツッコミを入れる。一方のフェリシアは、涼しげな表情で返した。




「何驚いてやがる、あたしがサキュバスだってこと忘れてないか? 一人や二人ぐらい、あたしからしたらどうってことねーんだよ」


「い、いや……それでも心の準備と言いますか……」


「あー、はいはい。いいからこっちに来い!」




 誇太郎がしり込みするのを見計らっていたのか、フェリシアは彼がそういう態度に出た瞬間強引にベッドに連れ込み寝かせるのだった。掛け布団を羽織り、誇太郎とフェリシアは横たわりながら二人正面に向き合った。




「ニッヒヒ、こうして直に向き合うのは初めてじゃねーか?」


「言われてみれば、確かにそうですね……」




 女性と一緒にベッドに入るという事など、誇太郎にとっては前代未聞の出来事だった。穏やかに見つめるフェリシアの表情を見ると、自然に鼓動が高鳴って仕方なかった。その時である。




 ぶうっ! ぷすぅ……。




「ニッヒヒ、すまん。ずっと我慢してたから、いつもより腹が張っちまってさ。ガス抜きしてもいいか、コタロウ?」


「だ、大丈夫ですけど……俺興奮して眠れなくなっちまいますよ?」


「それならそれでいいじゃねーか、ニッヒヒヒ」




 放屁の音を鳴らしながら、フェリシアは続ける。




「……ところで、コタロウ。一つ聞かせてくれ」


「何でしょう?」


「何で、さっき発言躊躇ったんだ? そんなに自分の思いを告げるのが怖いのか?」




 誇太郎が発現を躊躇ったところを、フェリシアは改めて追求した。対して、誇太郎はフェリシアの放屁の香りに鼓動を高鳴らせながらも、理性を保ちつつ短く答えた。




「……怖いです」


「どうしてだ。お前の人生だろ、お前自身がしっかり伝えなきゃ駄目じゃないか」


「否定されるんじゃないか、そう思うと……怖いんです」


「いたずらに否定なんかするご両親じゃねーと思うけどな。むしろ、お前がしっかり意思を伝えたら応援してくれると思うぞ」


「……だとしても、俺の両親……フェリシアさんも見た通りかなり歳を召してるんです。日に日に老いていく両親の姿を見ると、不安になってしまうんです。両親を置いて向こうの世界に行ってしまっていいのだろうか。そもそも、両親はそれを許してくれるのか。色々考えてしまうと……言葉が詰まって何も言えなくなってしまう。だから……自分の気持ちを騙しながら、心を押し殺す生き方しかできなかった。それが……俺なんです」




 申し訳ない気持ちに苛まれながら、誇太郎は声を振り絞った。震えた声で伝える誇太郎を前に、フェリシアは理解した。




 誇太郎は真面目過ぎるがため、自分の心を押し殺してしまうところがあるという事を。特に、高齢の両親を慮ろうとするあまり自分のやりたいことを全て捨てて、自分の心に蓋をして我慢を常に重ねていたことを。




 一人っ子だから、高齢の両親がいるから。




 そういう理由で、誇太郎は常に自分の心を押し殺し続けていたのだ。その結果やりたいことがあっても実行できず、最終的には生きることに憔悴してしまい、両親のことも何もかも全てをかなぐり捨てて人生を終えて楽になってしまおうという極論にたどり着いてしまったという事を。




 だからこそ、素直に心情を吐露させてからの誇太郎の成長の伸びしろ具合の異常さはその分の反動もあったのだ。尤も、そうなった仕組みとしては「柔軟な肉体フレキシビリティ」の影に隠れたもう一つの能力によるものなのだが、それを誇太郎自身が知るのはまだ先の話である。




 ともかく、素直になろうと思ってもいざという時に心を押し殺す不器用な誇太郎の心情を耳にして、フェリシアは優しく彼の頭を撫でる。




「そうだったのか……。思えば、最初お前に会った時……こう言ってたよな。『やりたいことをやれて生きられる人間なんてほんの一握りでしかない』って。それはただ単にやりたいことから逃げたわけじゃなく、親御さんのことを慮ろうとするあまり……やりたいことを拒否せざるを得なかったってことか?」


「そうですね……。それに加えて、俺が実際にやりたいことである『創作上のキャラクターみたいにかっこいい人物になりたい』という想いは……少なくとも、この世界ではできなかった。憧れたことを現実にできない、だから……心を押し殺すことしかできなかった。この二つの理由が、主だと思います」


「なるほどな……。そうやって、ずっと自分を縛って我慢してたんだな」




 無言で頷く誇太郎を前に、フェリシアは自身の胸に抱きよせた。




「今までよく頑張ってきたな、コタロウ。親御さんのこともしっかり思って、よく頑張ったな。偉いぞ……コタロウ」


「フェリシアさん……」


「だが……だからこそ、だぞ」




 いったん区切るように言うと、フェリシアは誇太郎を身体から離して改めて向い合せた。




「だからこそ、ここで本当に自分がやりたいことを親御さんに伝えろ。しっかりお前が本当にやりたいことを伝えて、白黒はっきり告げるんだ」


「い、いいんですか……?」


「当たり前だろうが!」




 語気をやや強めて、フェリシアは告げた。




「お前の人生だぞ、コタロウ。お前の選択は、お前自身にしか決められないんだ。いいか、よく聞け。あたしは――」




 この後フェリシアが放った一言を前に、誇太郎は思わず耳を疑ってしまうことになる。が、フェリシアの思いを全て聞き入れた後には既に自分の覚悟と答えは決まっていた。






 翌日、午前九時半ごろ。




 朝食を済ませた樋口家一行とフェリシアは、昨日の続きと言わんばかり居間に4人で面と向かい合っていた。神妙な空気の中、先に口を開いたのは父親である正文だった。




「誇太郎、何か話があるからお父さんたちを呼んだんだろ?」


「……お父さん、俺は……」




 再び、ここで言葉が詰まる。しかし、誇太郎は息を荒くしながらも短く告げた。




「俺は、この世界に戻ってきたのは……フェリシアさんの元で本格的に生きたいという事を告げるため、一時的に戻ってきたんだ」


「本格的に生きたい……か。ふむ……」




 正文は初めに鹿波を一瞥し、続いてフェリシアを一瞥するとため息を付いて尋ねた。




「誇太郎から真意を聞く前に、フェリシアさん。いくつか尋ねさせてもらってもいいだろうか?」


「どうぞ」


「あなたのいる世界について、詳しく教えていただきたい。昨日は誇太郎が帰ってきたことを喜ぶあまり、それに関しては詳しく聞けなかったのでね。あなたのいる世界はどういう感じなのか、その世界においてあなた方はどういう立場なのか。それらも全て教えていただきたい」




 真剣な眼差しで尋ねる正文を前に、フェリシアは考え込むように一度目を瞑り思案する。そして、目を見開き誇太郎を一瞥した後彼女は慇懃な口調で口を開いた。




「……分かりました。本当はコタロウが最終課題を達成したら話そうかと思っておりましたが、今ここで話した方が確かにいいかもしれません。改めてお話しましょう、私たちの住む世界のことについて」







 誇太郎は、改めてフェリシアに目を奪われていた。それは、初めて出会った時に性癖を受け入れた時の衝撃とはまた違った意味で奪われていた。いつものおちゃらけて明るいフェリシアとは全く違う、魔王としての風格も持ちながら慇懃な態度でしっかり向き合う様子はいつもとは違う妖艶さを感じたのだ。




「先ず、私たちの世界を紹介する前に……改めて自己紹介をさせていただきます。私の名は、フェリシア・グランデ・アロガンシア。本土の西に位置する大魔帝国、アロガンシア帝国の魔帝王の娘です」


「て、帝王!? っていうか、本土っていったい何ですか!? しかも、その帝国の王家の娘ってえええ!?」




 いつもの通りに激しいリアクションを見せる誇太郎だったが、フェリシアは優しく彼の肩に手を置いて無言で諫めた。「静かに」という意味であることを誇太郎は把握し、何とか押し黙った。




「ところで、紙とペンはございますか? 地図を持ってくるのを忘れてしまったので」


「ああ、お待ちを。鹿波、あるよな?」




 正文に促され、鹿波は引き出しの中から油性ペンと印刷用紙をフェリシアに手渡した。対するフェリシアは、短く礼を告げて大陸図を描いていく。




 一枚の紙に大きな大陸図が描かれて行き、フェリシアがそれを書き終えると次に平行四辺形を斜めにしたような島を大陸図から南側に少し離して記していった。




 島国を地図に記し終えると、最後にフェリシアは大陸に三つの線を引いていく。先ずは大陸を二つに割くように中心に、続いて東側の領土を北と南に分割して最後に南の領土を半分に分割した。




 最後の国境線を引き終え、フェリシアは鹿波に油性ペンを返した。そして、今度は指で本土をなぞりながら各国々を取り上げていく。




「先ず、こちらの西にあるのが……私のようなサキュバスを始め多くの魔人たちが治める西の大魔帝国、アロガンシア帝国です。


 対してこちらの東北部にある国は、エルフ・ドワーフ・妖精族などの魔法術マジックスキルに長け文芸に強い種族が暮らしているラッフィナート。


 その南に位置する国は人間が住まう国が二つあり、帝国側にある国の名はツーガント、その隣にある国は……ツーガントの冒険者たちが独立して作り上げた独立国家のギーア。そして……」




 本土から南にやや離れた島国を指して、フェリシアは告げた。




「私が治めている島である、『嫌われ者の秘島』。この秘島は、差別や争いによって本土で住処を追われた難民種族など生きるのに困窮している者たちを、種族問わず私が引き入れて作り上げました」




 フェリシアの説明を前に、誇太郎はライガが言っていたことを思い出した。あの時は何気なく「そういう経緯でこの島国が作られた」という認識でいたが、簡潔に告げた説明とはいえ「差別」や「争い」という不穏な言葉を耳にした途端、誇太郎は思わず固唾を飲みこんだ。




 一通りの国の説明を受けた後、正文は更に深く切り込むように質問を投げかけた。




「先ほど、差別や争いによって本土を追われた種族がいる……と仰いましたが、本土は戦争や諍いが絶えない状態なのでしょうか?」


「……その通りです」




 浮かない様子で、フェリシアは本土において発生している情勢について説明を始めた。先ず、フェリシアの生まれ故郷でもあるアロガンシア帝国。本土の西を全て掌握しており、その圧倒的な武力を前に向かう所は敵なしという。その為、ラッフィナートと人間が住まう国であるツーガントとギーアにとって、帝国は共通の脅威として対立している状態にある。




 しかし、帝国はその場に鎮座した状態で大規模な侵攻は未だに行わない様子を続けている。とはいえ、それでもラッフィナートとツーガントの国境付近では紛争などの小競り合いが絶えず、いつ本格的な戦争に突入してもおかしくない状況下なのだそうだ。




「なぜ、二つの国への侵攻を行わず小競り合いにとどまっているのか……フェリシアさんは何かご存じですか?」


「……もちろん知っております。ですが、これは……言いたくありません」


「それは、なぜまた?」


「……認めてはいけないから。小競り合いを仕掛けているのは父上の思想によるものですが、その思想だけは……からです」




 言動に静かな怒りが混じったフェリシアを前に、誇太郎は再び固唾を飲む。こんなにも真剣な表情で誰かを否定するフェリシアを見るのは初めてだったからだ。




 続いて、今度はラッフィナートと人間が住まう国々についてフェリシアは説明を始めた。基本的にラッフィナートとツーガントとギーアの三国は、先も語った通りアロガンシア帝国に対して利害が一致しているため、一先ずは同盟関係にあるとのこと。誇太郎と正文はフェリシアが語った「一先ず」という単語に引っかかりながらも、この場ではとりあえず納得した。




 最後に、「嫌われ者の秘島」と本土の周辺国家との関係についてである。基本的に密接な関係を持っているのは、東北部に位置しているラッフィナートのみでその他の国々とは一切関わっていないとのこと。そして、そのラッフィナートに「嫌われ者の秘島」は島でしか取れない希少な果物や食物、素材などを提供して友好的な関係を築いているのだ。




 そんなラッフィナートに今度は帝国に対抗するための「武力」を提供できるようにするべく、フェリシアは「嫌われ者の秘島」の統一化を目指していた。それを実現させるために、誇太郎がこれから挑もうとしている「三つの最終課題」が関わってくる。フェリシアが孤島内において統治していないのが「上位アークスライム」、「暴君タイラントゴブリン」、「龍人族ドラゴニュートの砦」の三つのエリア。それらを達成できるように、誇太郎に戦える能力を与えて共に目標を達成するべく目指している。というのが現状である。




 ここまでで理解できた情報として整理すると、フェリシアの生まれ故郷であるアロガンシア帝国は強大な国として本土にある他の国と対峙し合っているという事。




 対峙している国の中でラッフィナートと友好関係にあり、今後は武力を提供するべくフェリシアは孤島の統治を統一させるのが最初の目標だという事。




 様々な情報を一先ず簡潔にまとめ、正文は次の質問をフェリシアに問う。




「フェリシアさんはそんな不安定な世界情勢の中、誇太郎のどういう面を見て……あなたの配下に加えたいとお考えになられました?」


「主に三つです。一つ目は、彼の記憶を覗いて……思い通りにいかず辛い人生を送っている彼を変えてあげたいと思ったから。二つ目は、私のいる世界では思いつかない戦いのイメージをたくさん持っていたから。そして三つめは……誰よりも強靭な『心力』を持っていると感じたから。この三つです」


「なるほど……可能でしたら、具体的にそれぞれの理由について詳しく教えてください」




 その問いに、フェリシアは簡潔に述べていった。一つ目に関しては、可能な限り誇太郎が引きずっていることに触れないようにしつつ、元の世界で「彼のやりたいことができない状態で心を押し殺して生きている人生を変えてやりたい」と告げた。




 二つ目は、昨夜誇太郎の部屋で読んだ「二大剣豪列伝」の登場人物たちの戦い方がフェリシアのいる世界では思いつかないような柔軟かつ豪快な物ばかりで、その戦闘スタイルのイメージの全てが誇太郎の脳裏に焼き付いているため、それらを実践しやすくするためにイメージした通りに身体が動く身体術フィジカルスキルの「柔軟な肉体フレキシビリティ」を授けたことを説明した。




 そして三つ目。この理由については、一つ目の理由にやや付け加えるように説明した。今の今まで誇太郎は、身投げを決意するその寸前までずっと心を押し殺して生きてきた。その忍耐と根性から発せられる強靭な「心力」を、フェリシアは高く評価した。なぜならば、その「心力」を糧にして発動できる魔法術マジックスキルも存在するからである。そして、その魔法術マジックスキルも密かに誇太郎に与えていたという事もこの場で明らかにした。




 その説明を前に誇太郎は「何ですか、その力! 初耳なんですけど!」という好奇心旺盛なリアクションを見せたが、対してフェリシアは「戻ったらまた色々教える」とその場を軽く流してしまった。




 誇太郎を招き入れた理由を一通り聞いた正文は、メモを取った後手を机に組んで最後の質問を投げた。




「最後にもう一つ伺います。私の世界の魔王のイメージは、ゲームや漫画といった娯楽作品で強大な最後の敵として立ちはだかる世界征服を企む悪の帝王……というのが一般的です。


 そう考えると、フェリシアさんの出身地であるアロガンシア帝国……でしたよね? もしも世界征服がお望みであれば、そこにいれば実現は可能だと思うのですが……フェリシアさんはどうしてわざわざ帝国を離れて島国を作ったのか。困窮する種族たちを引き入れて、国を作ったのはどういう考えがあったのか。それを教えてください」


「その答えは至ってシンプルです。私は……皆が幸せになれるような国を作りたい。それが理由です」




 テーブルに置かれたお茶を一杯あおって、フェリシアは続ける。




「昨日申し上げましたが、私はサキュバスです。父上殿は、サキュバスという種族をご存じでしょうか?」


「……昨夜軽く調べましたが、異性を誘惑して……最終的には精力を搾り取ってしまう悪魔……だそうですね。一見するととても恐ろしい悪魔だなと感じましたが、先ほど『皆が幸せになれるような国を作りたい』と仰いましたね。改めて、その理由について教えてください」




 正文のその問いに、フェリシアは毅然とした態度で答える。




「私は生まれてから二百年ほどの歳月になりますが、長年サキュバスとして生きてきて……一つ感じたことがあるんです。『どうしたら生きとし生けるもの全てが充実した人生を送れて幸せになれるのか』、と。


 それを模索していくうちに、私は……帝国ではそれを実現できないと確信しました。特に、父上と私の考える『幸せの価値観』は……絶対に相反するものだから、尚更でした。


 それ故、私は帝国を離れ……困窮している種族や生きる希望を失くした者たちを集めて、皆が充実して幸せに生きられるような国を作っていこう。そうすることで、父上と私は違うと……証明してやろう。そういう想いから、私は『嫌われ者の秘島』を作りました」




 迷うことなく答えられたフェリシアの答えに、正文は感心するような様子で頷く様子を見せた。




 そして、それは誇太郎も同様だった。フェリシアと出会った当初に語られた、彼女の想いである「自分の思うままに楽しく面白おかしく生きられる世界」。その意味が、今初めて詳細に語られた。よこしまな想いなどではなく、純粋に「幸せとは何か」を求めたい。その思いが、今ひしひしと誇太郎の心に強く響くのだった。




 一通りの質疑を終え、正文は一度鹿波と共に居間を後にした。それから数分後、何かを決めた表情で二人が戻ってきた。席に着くと即座に正文は誇太郎に告げた。




「誇太郎、一応……母さんと話し合ったんだが、はっきり言うぞ。お前は、その世界で本格的に生きたいと言ったけど……親としては反対だ」




 真っ向から正文は反対の意見を出した。誇太郎自身もその覚悟はできてはいたが、改めてこう告げられると心が苦しくなった。




「行方不明だった子供が無事だと分かって喜んだ次の日に、そんな世界情勢が不安定な世界で『本格的に生きたい』と言われても……正直私たちは受け入れられる状況ではない。


 それに、フェリシアさんは忍耐や根性があると言っていたが……本当にそうか? それならば、なぜ大学を卒業して……就職したところで頑張ってこれなかった? その会社を辞めた後も、幾度も転々と職場を変えて……長続きできなかったお前のこれまでを見てみると、とても忍耐や根性があるとは思えない。そんなお前が、どうしてその世界で生きていけると断言できる?」




 棘のある言い方だが、正論でもある為誇太郎は反論できなかった。思わずフェリシアが反論しようと何か言いかけたが、意外にも誇太郎がそれに待ったをかけた。呼吸が荒くなりながらも、誇太郎は何とかその場をいさめた。




 対して正文は、冷静に且つ真摯に質問を続ける。




「誇太郎、勘違いしないでほしい。反対だとは言ったが……、お前の選択を完全否定したいわけじゃない。だが親としては心配なんだ。長続きできずに色々と場所を変えてきた、お前の生き方を見ると。


 ちなみにフェリシアさん、誇太郎を配下に置くと正式に決まった場合……この世界に戻れるという保障は?」


「ありません。申し訳ありませんが、彼を正式に加える以上この世界の未練は断ち切ってもらう必要があります」


「ならば尚更だ。誇太郎、もしもお前がまた道半ばで諦めたら……今度こそお前は天涯孤独になってしまうんだぞ。そうならないと断言できるのか?」




 ここで一度ため息を付いて、正文は誇太郎に視線を合わせて尋ねた。




「こちらの世界とは文明も何もかも全てが違う、そんな異世界での生活を前にして本当に末永くフェリシアさんの元で生きていけるのか? 断言できるのなら、今この場でお父さん達に示しなさい」




 面と向かって尋ねられた父を前に、誇太郎は不安で頭がいっぱいになった。次の言動で両親はどう反応するのか、考えが否定されるのか。




 そんな不安で頭がいっぱいになったその時。誇太郎の背を、ぽんぽんと優しく叩く存在があった。フェリシアの尻尾だった。彼女はあくまで正面を向いて正文たちと向き合っていたが、こっそりと誇太郎を激励するべく尻尾で彼の気持ちをなだめた。




 ――フェリシアさん……。




 昨夜ベッドの中でフェリシアから告げられた想いと先ほど掲げられた理想が、誇太郎の脳裏をよぎる。それらがよぎった時、誇太郎の迷いはようやく吹っ切れた。そして、誇太郎は自身が思う全てを両親に告げるのだった。

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