異世界転職戦記~マイノリティが集った人生逆転物語~

定光

第1章 異世界探索編

第1話 素直に生きること

 人生において、本当にやりたかったことって何なのだろうか?




 人生において、本当の幸福とはいったい何なのだろうか?




 そんなことを考えているうちに、人間の一生はあっという間に過ぎていく。




 ある一人の青年も、そんなことを思いながら今日も仕事場へと歩を進めるのだった。




 *




 マスクをすると心が落ち着く。




 自分の醜悪な姿を、公衆の面前に晒す必要がなくなるから。




 今日も今日とて、生産性のない仕事を終えて誇太郎は帰路に付く。






 かつて、誇太郎には夢があった。




 子供の頃は、話題になった物を面白おかしく表現して皆を楽しませることが多く、充実した日々を送っていた。主に漫画やアニメやゲーム……所謂オタク趣味をたしなみ、それらを楽しむ友人たちと語らうことでより充実した日々を送っていた。




 だが、その日々は時を重ねていくごとに消えていった。中学に上がればその趣味から離れる者が続出し、高校に入った時には最早指折りの人数しかいなくなった。




 そんな中、誇太郎は大学にてそういう仲間たちが集う学部へと進学した。そこで、誇太郎は普通にオタク趣味を嗜むだけではなく、色んなキャラクターの動きやアクション、そしてその人間ドラマに感銘を受けるようになり、いつしかその感銘は「そういうかっこいい人物になってみたい」と夢へと変わっていった。




 しかし、またしても現実は残酷な真実を突き付ける。周りが一斉に就職という当たり前の生活を果たしていく中、誇太郎は孤立した状態になってしまう。やがて、誇太郎もその周りに合わせるようにして就職を果たすが、そこに待ち受けていた運命は過酷そのものだった。就職を果たした企業は所謂ブラック企業と呼ばれるところで、連日連夜長時間拘束に追われ、日に日に精神を摩耗していくばかりだった。




 これだけでも十分過酷なのだが、誇太郎を真に苦しめたのは彼に対して事細かにネチネチと注意をしてくる上司や先輩だった。何かミスをしてしまったり作業スピードが遅かったりすると、上司たちによる説教と注意で時間が過ぎていき、最悪それらだけで定時まで時間をロスしてしまうという事もざらにあった。当然、その日の業務も完全にできていないため、残業をしなければならないのだが、それでも達成できず翌日また更に説教と注意に追われるという悪循環を繰り返す社会生活が、誇太郎の日常となっていた。




 だが、それでも尚本人が生きようとしていたのは、まだ自分の心の中で楽しめるアニメ等の作品があったこと。そして、それらに登場するキャラクターのようになりたいという想いがまだ完全に消えていなかったからであろう。しかし、だからといって今更そんな人間になれることはないのだろう。この時の誇太郎は、そのように強く思い込んでいた。目指そうと思えば他の仕事でもできなくはない。現実的に見てみれば、そのような発想はいくらでもできるのだが、心が擦り切れ視野が狭まるどころか徐々に何も見えなくなりつつあった誇太郎にはそんな余裕すらなくなっていたのだ。




 そして、とうとう限界を迎える日が来てしまう。ある日のこと、いつものように彼はまた上司からネチネチと説教を受けていた。ただ、唯一違ったのはこの時上司が触れた話題が誇太郎が送ってきた大学生活に対することだった。




「しかし、どうしてそこまで君は作業が遅いのかねぇ。大学まで出て? 何を学んできたのさ?」


「……」




 誇太郎は何も言えなかった。いや、何も言わなかった。どうせ、時が経てばこのやり取りも終わる。そう強く念じ、口をつぐむ。




「面接でも聞いたけど、確か……アニメやゲームに関する研究をしてたとか言ってたよね? それって今の仕事に役に立ってんの? 立ってないよね? 君が送ってきた大学生活なんてさ、所詮プライベートの延長線上だったんじゃないの? 社会のクソの役にも立たないような生活だったんだろうねぇ? それなら、高校からさっさと就職すべきだったんじゃないの?」




 ――まだだ、まだ耐えろ。




 誇太郎は、ひたすら耐える。だが、いよいよ最後に放たれた上司の一言に堪忍袋の緒が切れることとなる。




「ねぇ、君は何の為に生きてるの? 役立たずの学生君」




 ――何の為に生きてるの?


 その一言が、誇太郎をギリギリ支えていた心を完全に瓦解させてしまった。会社の為に生きるなら、無理をしてでも仕事を頑張る、効率的に頑張れる方法を模索する。そういうやり方はある。




 だが、今の自分にはそれができていない。ならば、自分のために生きればいい。しかし、その自分自身に何ができている?


 日に日に激務に追われ、自分の楽しみを謳歌できているか?


 「創作上のキャラクターみたいに、かっこいい人物になりたい」という夢を、自分は叶えているのか?




 否、できていない。何も。何もかも。何一つすら、できていない。その真実に気付いた時、誇太郎はそのまま放心しながらその日を終えてしまい、休日を迎える羽目になった。




 程なくして、誇太郎はその会社を辞めてしまうのだった。その後も幾度も次の会社を求めて転職活動を重ねるも中々上手くいかず、運よく入社できたとしてもどの道長続きはすることなくすぐに辞めるという悪循環を繰り返していた。




 そんな生活が数年続くうちに、誇太郎の心が摩耗するのに時間はかからなかった。そして、それは最悪の選択を選ばせてしまう。




 *




 気付けば、誇太郎は見晴らしのいい断崖絶壁へと足を運んでいた。




 窮屈なマスクを外し、視線を正面に向ける。




 眼前には雄大な海が広がり、潮風の塩辛い匂いが鼻腔を刺激する。




「いい、天気だな」




 時刻は午後十時。




 人気が無いことをしつこく確認し、誇太郎は深くため息をついた。


 自分の生きる人生に、充実さを感じない。


 人間とは、夢を叶えて充実する日々を送るために生きるのだろう。




 それが、人生を楽しくして生きる糧となるのだろう。




 だが、結局彼はなれなかったし、ならなかった。




 社会の波にもまれるうちに、次第に心は廃れ腐っていく。そうして不毛な日々の中、貧しく哀れに老いていく。




 それならばいっそ、早く幕を引いてしまった方がいい。




 不毛に続く人生を送るくらいなら、早々に幕を引いてしまった方が自分の為になる。




 そう思った誇太郎の覚悟は、既に決まっていた。




「さようなら」




 短くつぶやき、誇太郎は断崖から前面に倒れるように海へと落ちていく。




 ――ああ……これで終われる。やっと、やっとだ。ただ……もしも、もしもやり直せるのなら……もっと、自分の思うがままに楽しく生きたかったなあ。




 そんな想いを胸中に馳せる中、誇太郎の眼前に海が近づいた。


 静かに目を閉じ、誇太郎の視界は黒い画面へとフェードアウトしていった。




 それから数分後。


 誇太郎は、海に入った感触を感じなかった。


 否、感触どころか海にかすった形跡すらない。


 視界がフェードアウトしたのは、まだ体に残る防衛本能が働いたのか、海が近づいた瞬間目を瞑ったことによるものだったのだ。




 ――とにもかくにも、先ずは現状を把握しよう。




 そう思った誇太郎は、ゆっくりと目を開けていく。すると、信じられないことに自分自身が宙を浮いていることに気付くのだった。いや、宙を浮いているというのは誤りだ。誇太郎は、右足首を何者かに掴まれている感覚を感じていた。




 何者かが、自分自身を助けたのか?




 何の為に?




「お? ようやく目ェ覚ましたか」




 足を掴んでいる張本人だろうか。


 ハスキーな女性の声が、誇太郎に話しかけてきた。


 姿をよく見ようとするが、飛び込む途中で掴まれたせいか思うように姿を確認できない。




「あ、こら! 暴れるなっての!」


「ご、ごめんなさい……。一体どなたが俺を掴んだのか、気になってしまって……」


「ったく、しょうがねーなぁ。陸地に移動すっから、動くなよ?」




 誇太郎は、身投げしたことも忘れたまま女性の言われるがままに動くのをやめて陸地に到着するのを待ってしまう。やがて、先ほど飛び降りた断崖に近づくと、ぽいっとやや粗雑に地面に投げられてしまうのだった。




「しかし、異界の天気は面白ェモンだな。人間が降ってくる天気があるなんてよ」




 誇太郎の目に飛び込んできた女性は、とてもじゃないが人間とは思えない容姿をしていた。




 やや胸が露出している黒いドレスを身にまとい、衣服とは対照的に輝く金髪のロングヘアーが月夜に照らされている様子は妖艶と評するほかなかった。そして何より、人間とは思えないと誇太郎が感じた理由は、頭部にくびれの付いた角が生えていることと、長い尻尾が彼女の後部から生えているという点だった。




 今まで数多くの作品に目を通してきた誇太郎には、その者が人間ではない存在であるという事は、現実的ではないと分かりながらも理解できていた。女性の姿は、まるで……。




「悪魔……?」


「お? 悪魔のこと、知ってんの? 嬉しいねぇ」




 嬉々とした表情で、女性は無邪気に笑む。




「だが残念。単なる悪魔じゃないんだ、あたしはサキュバス。サキュバスロード」


「サキュバス……ロード?」




 一旦、耳にした情報を整理する。




 サキュバスという存在は、耳にしたことも目にしたこともある。




 男性を誘惑し、エネルギーを吸い取ってしまうという代表的な魔物。




 ――そんな種族という設定のコスプレなのか?




 まず、誇太郎の脳裏によぎった疑問はそれだったが、即座にその考えは消えることとなった。




 ならば、あんなにも真面目な口調で「サキュバス」を自称するのか?




 その疑問を確かめるべく、誇太郎は質問を投げる。




「あ、あの……本当にサキュバスなら、その証拠というのは?」


「え? あ、あー。そっか、こっちの世界じゃああまり馴染みがないってか?」


「いえ、そういうわけじゃなくて……名前は聞いてはいるんですが、現実的じゃないというか」


「ニヒヒ、分かった分かった。そんじゃ、ちょっとサービスしてやる。あたしの体を全部見てみな?」




 そういうと、サキュバスは豪勢なドレスをゆっくりと脱ぎ始めた。




「なっ、ちょっ、ちょっと!?」


「何だよ?」


「い、今ここで脱ぐんですか!?」


「あたしがサキュバスって証拠見てェんだろ? なら、黙って見てみな。ほらっ」




 言い終えるのと同時に、サキュバスの女体が露わになった。ちょうど胸元と下半身が、黒い下着で覆われているところは、直接見せないことによるサキュバスなりの誘惑のスタイルなのだろうか。しっかり守られていた。




「さっ、どこからでもじっくり見てみな」


「あ、あ……」


「お? どーした、照れてんのか?大人のくせして、可愛いとこあんだな」


「え、それはその……」


「ん~?」




 ずいっと、サキュバスは誇太郎の眼前に迫った。




「ひぃっ!」


「あ、おいおい。怖がらなくていいって。本題だが、どこを見せればサキュバスだって信じてくれる?」




 誘惑するように、優しくサキュバスは尋ねた。対する誇太郎は、先ほどまでの暗い覚悟は何処へ。心の奥底から湧き上がる欲のまま、声に出した。




「……りを」


「ん~?」


「尻尾を……確認したいので、お尻を突き出してもらえ……ますか」




 震える声で、発した誇太郎だったが即座に激しい後悔で胸がいっぱいになった。




 ――あああああ! 何を言ってるんだ、俺は! こんな淑女に俺は何て不埒なことを言って……。




 と、激しく後悔していた矢先に、サキュバスは誇太郎の額と自らの額を合わせていた。




「あ、あの……何を?」


「しーっ……ちょっと黙ってな。証拠以外に何かあるか、気になってな」




 サキュバスは、静かに目を閉じて何かを見るかのように「ふむふむ」と時折相槌を打つように頷き始めた。




「ふーん……へぇ、こんな人間の活躍も……。じゃあ、次は性癖の記憶でも覗かせてもらおっか」


「!!??」




 誇太郎は、思わず息を飲んでしまった。誘惑によるものではなく、激しい羞恥によるものだ。何故ならば……。




「……ん? ぶはっ、何だぁお前の性癖? 女のおならが好きなのか?」


「はい……」




 抑えきれない羞恥心とともに、誇太郎はか細く返事を返した。


 性癖とは、普段は誰にも言えないものである。ましてや、彼の荒んだ生活においては尚更。


 それをあろうことか、普通の異性に知られることは愚か、異世界の住人に知られてしまったのだ。激しい羞恥に襲われるのも無理はない。


 だが、幸運なことに相手はサキュバスだった。彼女は、知った時は笑ったものの馬鹿にした様子はなく再び二パッと笑って誇太郎に告げた。




「いいぜ。尻尾が生えてる証拠を見せるついでに、一発嗅がせてやるよ」


「え!? い、いいんですか……!?」


「あのなあ、少しは喜んでみな? 遠慮ばっかしやがって、ほれっ」




 呆れた様子を見せながらも、サキュバスはグイっと尻を誇太郎の眼前に突き出した。




「どうだ? 本場サキュバスの尻、いい眺めだろ?」


「は、はい……」




 思わず、そのまま尻に吸い込まれそうになったが「おい!」と、サキュバスが声を張り上げてたしなめる。




「まーずは、本題の確認からだ。言ったろ? 後者はついでだって。さあ、先ずは尻尾をよく見な。ああ、もちろん。それでも実感が湧かないなら、触っていい」




 正気に戻った誇太郎は、先ずは素直に本題の確認から始めた。ちょうど腰よりやや下の位置から生えている尻尾は、決してコスプレのようなものではなく、本当に体の所から生えていると確実に証明できるものとして存在していた。




「本当だ……本当に、体から直に生えているん……ですね」


「ニヒっ、ようやく信じてくれたみたいだな。そんじゃ、お次のお題……っと!」




 勢いよく言うのと同時に、サキュバスは誇太郎の頭部を掴み自身の尻に密着させた。




「むぐっ!」


「どうだ、中々夢見心地だと思わないか?ん~?」




 実際、誇太郎は否定できなかった。今まで自分に縁のないことを、今現実に体感しているのだから。




「そんじゃ、行くぞーっ!」




 ――念願の女性のガス。ようやく堪能できるのか……!




 誇太郎は、不安と高揚のあまり思わず目を閉じてしまった。




 それから三十秒ほどが経過した。


 鼓動が高まる中、誇太郎は恐る恐る目を開く。


 そこには、弾力のあるサキュバスの尻があるのみで臭いらしきものは何も感じない。


 そして、サキュバスは何をしているのかというと、自身のお腹をさすってため息をついた。




「うーん……残念。今回は出ないな」


「え、ええ……」




 思わず、愕然と膝をついてしまった。


 まさか、こんなところで性癖が叶うのかと期待した自分自身を憎く思うほどに、誇太郎は愕然としてしまった。


 一方のサキュバスは、そんな誇太郎に再び迫る。




「だが、これからの返答次第じゃ、考えてやらんこともない」


「え……?」




 キョトンとする誇太郎をしばらく凝視し、サキュバスは口を開く。




「お前……この世界で、上手く馴染めずに生きてるみたいだな」


「な、何でそれを……!?」


「さっき、額合わせたろ? あの時に、勝手に記憶見させてもらった」




 とんとんと、自身の額を指して答える。




「なあ、さっきここから飛び降りたのって……そんな馴染めない人生に絶望してやっちまったのか?」


「……」


「図星、か」




 誇太郎は何も答えなかったが、サキュバスは答えるにも答えられない彼の様子を察した。




「聞いて、どうするんですか? というか、そもそも何で俺を助けてくれたんですか……?」




 ちょっとだけ、攻撃的に誇太郎は尋ねる。そもそも、自分はここで終わるつもりだったのだ。それを、意外な形で助けられたことに疑問を抱かずにはいられなかった。


 だが、サキュバスは意外な返答で返した。




「気まぐれ」


「はぁ!?」


「っていうのは、嘘」


「いや、嘘なんですか!」




 即座に返った答えが嘘と知り、誇太郎はツッコミを返してしまった。その反応の速さに思わずサキュバスは吹き出すも、真面目な表情にすぐに戻り語る。




「まあ、気まぐれだってのも否定はできないんだが……半分は、こんな楽しい世界なのに何で勿体ないことしてんのか、気になってな」


「勿体ない? どうして、そんなことを言えるんですか……。いくら楽しい世界だって、この世は所詮苦痛にまみれて生きる価値のない……」


「それは違う」




 遮るように、サキュバスは人差し指を誇太郎の唇に近づけて発言を制止させた。




「お前は、本当に自分がやりたいことをできていないだけだ。何でそれを実現せずに、この世を去ろうとしてる」


「だって……この世界で、自分がやりたいことをやれて生きられる人間なんて……ほんの一握りでしかない。俺は、何者にもなれずにそのまま消えていくだけだった。それならいっそ、早く終えてしまった方が楽になれると思ったんだ……」


「……本当にそう思うか? じゃあ、何であたしがおならを嗅がせてやるって言った時、お前は素直に行動した? 心から望んだことを、我慢せずに実行したからじゃねぇのか?」


「……」




 感情のままに動いた自身の行動に、誇太郎はぐうの音も出せずに黙り込んでしまう。




「はっきり言うぞ、人間。お前は……逃げただけだ。自分のやりたいことからも、自分の夢からも。全部全部投げ捨てて逃げようとしただけだ。あたしから言わせるなら、『勿体ない』と『ふざけるな』。これに尽きるね」


「じゃあ、サキュバスさん……貴女はどういう人生を送ってるんですか?」


「あたし? にっひひ、よくぞ聞いてくれました……」




 サキュバスは、待ってましたと言わんばかりに高らかに語り出した。




「あたしは、そう。色んなものを楽しんで生きたい! 目で見て、耳で聞いて、肌で触れて、自分が色々感じられるものは全部全部感じて自由に楽しんで生きたい! そんなもんだ」


「自由に楽しんで、か……うらやましいなあ」


「あ? 羨む必要ねーだろ」


「え……?」


「なーにキョトンとしてやがる、さっきから! いいか、ここからは一言一句聞き逃すな!」




 うだうだする誇太郎を一喝し、サキュバスは告げた。




「お前の記憶を全て見て、感じたことがあった。今の言動も含めて……お前の本当の声は、『この人生を変えたい。もっともっと楽しく生きて充実させたい』。違うか?」


「そ、それは……!」




 思わず、本音を発することをためらう。社会で生活するうちに、我慢することを覚える術を得てしまったせいか、言えるはずの本音が口から出にくくなっていたのだ。


 そんな誇太郎に、サキュバスは諭すように言った。




「脅してるわけじゃない。はっきり言え、お前の心に素直になって」


「お、俺は……」


「本当は、どうしたかったんだ?」


「俺は……!」




 大きく息を吸って、誇太郎は叫んだ。




「もっともっと、人生を楽しみたい! 美味しいものを食べてみたい! まだ見ぬ景色をこの目に収めたい! 色んな人ともっともっと仲良くなって、友達を増やしたい! 創作上のキャラクターみたいに、強くてかっこいい人物になりたい! そして……サキュバスさん、貴女のおならもいつか……味わってみたい、です……!」


「にひっ、何だ。しっかり言えるじゃねーか!」




 優しく微笑み、サキュバスは誇太郎の背を押すように告げた。




「お前の人生はもっと明るくなる!」




 ずっと、素直になりたかったこと。我慢なんかせずに、ずっとやりたかったこと。素直に告げることが、こんなにも清々しくなれるものだったのか。誇太郎の目からは、思わず涙が零れていた。まさか、同じ世界に住む人ではない。いや、人ではなく魔人から勇気づけられるなんて夢にも思わなかった。誇太郎は、フィクション作品も驚くような体験を今、目の当たりにしていた。そして、その体験は今発せられるサキュバスの発言から続くことになる。




「だが、だが、人間。残念だが、今のお前じゃあまだそれは叶えるのは難しいだろうな。何せ、力がなさすぎる!」


「うぐっ……」




 再び、ぐうの音も出ない現実を突き付けられ、誇太郎はまたもや愕然としてしまう。




「少なくとも、この世界じゃずっとそのままで一生を終える羽目になる。だから、一つ提案がある」




 小太郎の視線にしっかりと向き合い、サキュバスは告げた。




「この世界を捨てて、一緒に来い! あたしの、部下として!」


「ぶ、部下!?」


「そう、部下!」




 オウム返しに答え、サキュバスは続ける。




「あたしはな、お前のように理不尽に耐えるような奴らを集めてる。あたしの世界の奴らもすっげーぞ、お前以上に過酷な目に遭ってきた奴らがごまんといる。だけど、そんなのあっていいと思うか? ねえだろ?」




 サキュバスの問いに、誇太郎はもはや先ほどまでのうじうじした態度はもう消えていた。即答とばかりに、頷いた。




「だろ? あたしはさ、そんな奴らが幸せになれる国を作りたい。種族も、年齢も何もかも関係ねえ。自分の思うままに、楽しく面白おかしく生きられる世界を! 皆が幸せになれる、そんな国を!」


「それが、貴女の夢……なんですね」




 抽象的ながらも壮大な夢に、誇太郎は感銘を受けながら呟いた。




「だけど、あたしはまだサキュバスロード駆け出しでね。まだまだ発展途上なのよ」


「そういや……サキュバスさん、そのロードって何なんですか?」


「ん?あ、そういやまだ言ってなかったな。あたしは魔王、サキュバスの魔王なんだ」


「へえ、そうなんですか。魔王様……魔王様ああああああああああ!?」




 さらっととんでもない発言に、誇太郎はエビのように背後に沿って驚いてしまった。そのオーバーリアクションに、ケタケタとサキュバスは笑う。




「何だそのリアクション! 面白ェな、お前本当に!」


「いやいやいやいや、笑い事じゃないでしょうよ! 何で魔王様がこんなところに!?」


「あー、だから言ったろ? 発展途上だって。まだまだ人手不足なんだ、うちの国は。だから、一人でも多くの人員が欲しいんだ。特に、お前のように現状に不満を強く持っている奴をな」




 ビシッと指をさして、サキュバスは告げた。




「でも、だからと言って何で俺みたいな非力な奴を? さっきの話からすると、わざわざこちらの異世界に来なくても……」


「ああ、それは本当に気まぐれ。でも、お前の本音を聞いて気が変わった。お前は、あたしのいた世界の奴ら以上に頑張れる見込みがあると確信した」


「そ、そんなもんなんですか?」


「信じろ。何より、お前の欲はさっき聞いた感じだと間違いなく強欲だ。あたしも伊達にサキュバスロードをやってるわけじゃない。本気で欲を叶えたい奴ほど、色んな欲望を素直に話してくれるんだ。何より、お前がさっき語った時の表情は! 誰よりも生き生きとして、輝いてた!」




 再び、サキュバスは背を押すように告げた。誇太郎の心境は、最早疑問から徐々に信用の方向へと傾き始めていく。




「まあ、とは言っても全ては『自分次第』に限られてくるんだがな! どうする?」




 全ては自分の手に委ねられた。枯渇した欲を、夢を。再び蘇らせてくれたこの人に、付いていかない理由なんてない。誇太郎は、迷わずに答えた。




「……よろしくお願いします、サキュバスさん!」


「潔し……! 気に入ったぜ、人間……って、これから部下になる奴に一々人間っていうのも変だな。改めて、お前の名前を聞かせてくれ」




 言われてみれば、ここまでお互いに自分の名前を告げていなかったことに誇太郎は気づいた。改めて、誇太郎は意を決して告げた。




「誇太郎……、樋口誇太郎ひぐちこたろうです!」


「ヒグチコタロウ? どれが姓だ?」


「樋口が姓で、誇太郎が名前です……!」


「コタロウ……いいねぇ、それじゃあ今度はあたしの番だ」




 サキュバスは、少々見得を切って高らかに告げた。




「あたしの名は、サキュバスロード・フェリシア! この世の幸せを探求する魔王だ! 付いてこい、コタロウ!」


「はい! ……って、どこに?」


「ふんっ!」




 尋ねる誇太郎を尻目に、フェリシアは何もない空間を右ストレートを打つように力強く殴りつけた。すると、殴られた空間におびただしいヒビが走っていき、ガラス窓が割れるような音がしたと思いきやそこには先の見えない空間が新たに表れるのだった。




「よし、改めて付いてこい! コタロウ!」


「いや、そんな力技なの!? ですが、了解!」




 決意を新たに、フェリシアと誇太郎は空間へと飛び込んでいった……その時である。




「あ、そうだ」


「どうしたんですか?」




 誇太郎が、尋ねた瞬間フェリシアは彼の頭部を掴み自身の尻に引き寄せた。




「ふぇ!?」


「お前の決意に敬意を表し、夢を一つ叶えてやるよ! んっ……!」




 ぶううううっ!




「ふぅ」と短いため息をつき、フェリシアはその美貌とは対照的に豪快なおならを浴びせるのだった。一方の誇太郎は、喜び半分戸惑い半分と混沌とした感情に苛まれていた。




「何で……? さっき、出ないって言ったんじゃ……?」


「ああ、あれ、嘘。お前の覚悟を試したかっただけ♪」


「え、ええ……」


「さあ、改めていくぞコタロウ!」




 混沌とした感情が晴れぬまま、誇太郎はフェリシアに連れられ異世界へと連れていかれるのだった。




 やがて、この二人は異世界にて様々なトラブルや災難に見舞われることになるのだが、それはまだ先の話になる。

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