第396話 夜半の襲撃(その4)

「しぶといアマだ」

アステラ王宮の中庭を囲む胸壁の一角にて、横に陣取った部下の愚痴を耳にしたソジ・トゥーインは眉をひそめた。品位を欠く発言をするのも作戦行動中に無駄口を叩くのも栄誉ある大鷲騎士団の一員としてすべきことではなかったが、にもかかわらずあえて咎めなかったのは極度に高まった集中力を削ぎたくなかったからだ。瞬きをするのも呼吸をするのも惜しく思うほどに彼は全身全霊をかけて獲物と対峙していた。

(確かにしぶとい)

「マズカの黒鷲」は先程の部下の言葉にひそかに同意する。帝国に並ぶものなき弓の名人であるこの男が一撃で標的を葬り去れなかったのはいつ以来になるのか思い出せない。既に十本以上の矢を費しながらも眼下の敵が依然として健在であるのに心中穏やかならざるものがあった。

(さすがは「金色の戦乙女」というべきか)

セイジア・タリウスを今宵のうちに始末しなくてはならない、という想念がトゥーインの中に芽生えたのは、美しき女騎士によってアステラ王の面前から追い払われた直後のことだった。団長の後から同じくセイに退散させられた大鷲騎士団の別動隊(本隊がアステラ王立騎士団に壊滅させられたのを団長である彼はまだ知らなかった)を王宮の中庭に配備し、彼女を仕留めるための罠を張っておいたのだ。そんな重大な決断を「黒鷲」が下したのは、無様な敗北を味わわせた娘への復讐心に駆り立てられたから、というのは否定できなかったが、

(あの娘はわたしにとっても帝国にとっても災いとなる)

という強い確信があればこそ、同盟国の中枢において強襲を仕掛けるという許されざる暴挙に打って出たのだ、とトゥーインの中では正当性を保てたつもりになっていた。実際、彼女は今夜帝国の野望を粉砕したではないか。臣下の勝手な行動を許さないマズカ皇帝の怒りを買うのを覚悟のうえで、黒い髭を整えた戦士は戻れない川を渡りセイを道連れにしようとしていた。だが、

(何故当たらん?)

またしても射撃をかわされた。精妙かつ正確無比な一矢も軌道に変化を加えたトリッキーな攻めも、アステラの女傑はギリギリのところで避け切る。恐るべき反射神経、としか言いようがないうえに、体力を激しく消費しているにもかかわらず、その動きが衰える気配はまるでない。事ここに至っては最初の攻撃が当たったのが奇跡のように思われるとともに、最大の好機を逸したのを悔やまざるを得なかった。天才は初弾で仕留めるのが鉄則なのだろう。

(あれは人ではない。獣だ)

セイが聞いたら「なんだと!?」と激怒しそうな考えをトゥーインは思い浮かべる。大鷲騎士団長はごくたまに休暇を得ると、帝都ブラベリを離れて狩りを楽しむのを習慣としていた。軍務を外れても弓矢を手放せない業の深さを思いながらも、大自然の中でただのオスとして野生の動物と単身勝負するのに戦闘とは異なる興奮を覚えてもいた。狩猟においても「黒鷲」はおくれを取ることはなく、「山の主」と呼ばれた巨大な灰色熊も荒野を我が物として君臨した白き牝鹿も百頭余りの大群を率いた狼の王も全て倒してきた。彼の屋敷の一室に飾られた数多くのコレクションを思い浮かべるうちに、

(おまえもわたしの戦利品トロフィーとなる)

ソジ・トゥーインはおのれがセイを殺すための自動機械になったのを感じた。焦ることはない。あの女騎士にできるのは防御と回避だけで反撃する術を持ってはいないのだ。いかなる強者も永遠に逃げ続けることはできはしない。

(なるべく長く楽しませてもらいたいところだな、セイジア・タリウス)

渾身の一撃は当たらなかったが、「マズカの黒鷲」は失望するどころか快さすら感じていた。一射ごとに獲物を確実に追い詰めている実感があったからだ。勝敗は既に決し、後はいつ終わるかが問題だと思っていた。

(心臓と眉間、どちらを射ってやろうか?)

暗闇に包まれた中庭を完全に掌握したトゥーインは、今までになく力をみなぎらせながら次の矢をつがえ、激しく動き回るセイに狙いをつけた。

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