第387話 老兵は死なず(その9)
思えば生まれてこの方ただひとつのことしかしてこなかった気がする。悪童どもの中でぶつかりあったのも、戦場で迫り来る敵と刃を交えたのも、そして今国を守ろうとしているのも、結局は心のままに思い切り出せるだけの力を出してしまいたい、という欲望に突き動かされただけではないのだろうか。戦えば戦うほどに、正義だとか地位だとか勲章だとか余計なものが増えていく一方だったが、そういった不純物を全部取り払ってしまえば、長く険しい道のりをただひたすらに駆け続けた人生、ティグレ・レオンハルトという男の本質はただそれのみに要約できるのかもしれなかった。
(それはそれで一興よ)
戦士がおのが血汐でもって空中に描いた壮烈な生きざまは、風に吹かれて塵のごとく消えていくのが世の定めなのかもしれなかったが、後に何も形を残さないことにかえって清々しさを覚えていた。心ある者の記憶の一ページに留められたい気持ちもないではなかったが、誇り高い男にはそれすらも憚られる気がした。
(あの娘に感謝せねばな)
リブ・テンヴィーの華やかな顔貌が老将軍の脳裏に鮮やかに蘇る。田園地帯に逼塞したまま一介の農夫として生を終えていたはずの男に「アステラの猛虎」として再び生きる機会を与えてくれたのだ。虎は猫として生きられず、剣に生きた者は剣に斃れるのが地上の摂理なのだろう。そして、隻眼の勇者は馬上で叫ぶ。
「ものども続け! おまえたちの命、このわしが預かる!」
鞭を入れるまでもなく将軍を乗せた馬は一段と速度を上げ、ボスを追いかける元軍人たちもさらに駆け足になる。
「ずるいぜ、大将。あんたは馬に乗ってるからいいとしても、他の連中は歩きだぜ?」
都までとてももたねえよ、と小男のガンスが愚痴をこぼせば、
「だったらそこで休んでればいい。おれは閣下と共に行けるなら途中でくたばったって本望だ」
元槍使いのジュ―ヴェがにやにや笑う。
「うるせえ。こっちだって行き倒れ上等だぜ。おれは『猛虎』にぞっこん惚れてるんだ。何処までだって追いかけてやらあ」
「家に帰ったらかみさんにもそれくらいサーヴィスしてやれよ」
軽口を叩くジュ―ヴェと憤然とするガンスはそれでも足を止めず、その他50人余りのよれよれの装備に身を固めた老人たちも走りながら、息は既に荒くなっていたが、
「閣下についていくぞ」
「これがおれたちの最後の戦いだ!」
どの顔も皆晴れやかで諦念などは何処にも見当たらなかった。
「ティグレ・レオンハルト、推して参る!」
森林地帯の暗闇を行軍する兵士たちは、先頭を征く勇将を無我夢中で追いかけることだけに必死になり、もう軍を辞めたことも自分が年寄りになったことも忘れて、十代の少年に戻ったかのように命の炎を燃やし続けていた。
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