第322話 砂漠の覇者、手紙を受け取る(その4)
(あの娘には気の毒なことをした)
とリブ・テンヴィーについて親衛隊長は当時思ったものだったし、今になってもそうとしか思えなかった。麻薬密売の大元と見られていた藩主を追及するためにうら若き娘を誘拐まがいの手段で
「あれほど賢い娘なら上手く行く、と信じたからやったのだ。それに、危なくなったらちゃんと守るつもりでいた」
まだ髭を生やしていなかった後の太守が反省の色をまるで見せなかったのには呆れ返ったものだった。もっとも、リブが藩主に襲われそうになったときに青年は言葉通りに彼女を救い出したので、怒るに怒れない面もありはしたのだが。
「リブ・テンヴィー殿から手紙が届いた、ということは、かつての所業について上様に損害賠償を請求してきた、ということなのでしょうか?」
文面を読む前に当て推量してきた家臣に太守は明らかにむっとして、
「何故そのように考える? リブが我に手紙を送ってきたということは、恋文しかありえないではないか。あのときは逃げてしまったが、今になってようやく我の魅力に気づいたから妻にしてくれ、と懇願してきたものだとばかり思ったのだ」
どうしてそこまで虫のいいことを考えられるのか、と隊長は閉口してしまうが、恋多き男であっても、「去る者は追わず」というポリシーでもあるのか、自分を振った女性をさっさと諦めるのが常の主にしては珍しく、
「かえすがえすも惜しいことをした」
とリブに逃げられてしばらくの間酔うたびにぼやいていたのを、酒の席に付き合わされた家来は思い返す。
(まあ、あの美しさと利発さなら上様が嘆くのもわかる気はしたが)
わずかの時間しか接していない親衛隊長にとっても、女占い師の魅力は忘れがたいもので、身分は違っても同じ男性として恋の悩みに共感した家臣は、太守が今夜後宮に行かずに執務室でひとり酒を飲んでいた理由をなんとなく理解していた。ハレムに住まう愛人たちはサタド全土から集められた選りすぐりの美姫ばかりだったが、彼女たちが束になってもリブひとりには勝てはしないのだ。だからこそ、彼女から送られてきた手紙を読みながら、甘い追憶に浸っていたのだろう。そこで宮廷の守り人は顔を上げて、
「しかし、上様の先程の物言いからすると、テンヴィー殿から送られてきたのはラブレターではなかった、というようにわたしには聞こえましたが」
すると太守は小さく頷き、
「ああ、その通りだ。あの者が送ってきたのはそのような色っぽいものではなかった。期待を裏切られたわ」
土瓶からグラスに酒を注いで、がぶがぶ、と行儀を気にせずに一息で飲み干すと、
「ただ、別の意味では期待以上のものだった、とも言える。一皿のケーキを楽しみにしていたら、豚の丸焼きが運ばれてきたかのような思いがけなさだ」
今一つよくわからない例えだったが、主君の顔にふてぶてしい笑みが浮かんでいるところからすると、リブからの手紙に彼はそれなりに満足しているように見えた。
「中身を拝見させてもらってもよろしゅうございますか?」
「おまえが手紙を読まないことにはこれ以上話が進まんではないか」
二人きりの場でも礼儀を守る臣下を面白そうに見つめながら太守は許しを与える。「では」と頭を下げてから隊長は封筒から便箋を抜き取る。実を言えば、このときまで彼は事態を軽く見ていた。リブ・テンヴィーがいくら聡明だからといっても所詮はひとりの平民なのだ。それほど大したことは書かれてはいないだろう、と思っていたのだが、
「なっ!?」
驚愕のあまり短く叫んだ幼少の頃からの友を見て、
「ははは。やはりそうなったか。我も初めて読んだときは目が飛び出そうになったものよ」
にやにや笑いながら長く伸びた顎髭を右手で触れて、
「まさか、マズカ・マキスィ・アステラの間で『平和条約』が結ばれる、とあのリブが知らせてくるとは夢にも思わなかったわ」
太守は瞳の中で黒い炎を燃やしながら低い声で呟く。赤銅色に焼けた顔にまとわりついていた快い酔いは吹き飛び、支配者の冷酷さを取り戻したかのように親衛隊長の目には見えていた。
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