第318話 切り札(その4)

リブ・テンヴィーは広げた扇から、すっ、と何かを取り出した。

(手紙か?)

セイジア・タリウスは訝しむ。赤い蝋で封がされた一通の白い封筒が右手に収まっているのを満足そうに見つめた女占い師は、

「ねえ、そこのあなた」

壁際に立つ小姓へとややハスキーな声で呼びかけた。職務柄あまり目立たないように心がけていた少年(「陛下のおそばで勉強するように」と父の命で修行に出されていたとある貴族の末っ子である)は、今までお目にかかったことのない見目麗しい女性にいきなり声をかけられて慌てふためいたが、

「これを陛下にお渡しして」

リブが手紙を差し出したのに、王の身の回りの世話をする大事な役割を担っているのを思い出して急いで駆け寄る。自ずから光を放つかのように白く細い手から封筒をうやうやしく受け取った。

「ありがとう。お願いね」

ふふふ、と笑うリブの顔を間近で見た小姓は、まるで恋文を受け取ったかのようにのぼせ上がり、真っ白な包みから目が離せなくなる。

「これ、早う持ってこぬか」

主人に急かされて、あまりにも短い夢想から覚めた少年は、

(絶対に失敗できない)

と王宮で働くようになって一番の緊張を味わいつつ、ぎくしゃくと脚を動かして王の元へと近寄る。この手紙にはとても大事なことが書かれている、となんとなくわかっていたし、それ以上に手紙を託してくれた彼女にみっともない姿を見せられない、という誇りらしきものが未熟なお坊ちゃんに「前へ進め」と促していたのだ。

「どうぞ」

震える手で封を切り、玉座にある主君に手紙を差し出す。「うむ、ご苦労」といかなるときも臣下への思いやりを忘れない若き王はおつきの少年をねぎらってから、もどかしそうに封筒から中身を抜き取ると、広げた書状を両手に持って貫通しそうなほどに強い視線でもって内容に目を落とした。数分が経過してもスコット王は口を開かない。さほど長い文面でもないから既に読み終えているはずなのに何も言わない。最初から最後まで通読してから、また読み返す。それを何度も繰り返しているうちに、

「その手紙を送ってきたのは何処の何者なのでしょうか?」

侍従長が問いかけた。老人が仕える高貴な青年の顔から血の気が引いただけでなく汗が幾筋も流れ、がさがさがさ、と握りしめるあまり手紙が音を立てている。詳しい内容はわからないが、時節の挨拶のようなお決まりの文章でないことだけはわかったので、主君の平穏をまず第一に考える頑固な爺さんは王の身を案じずにはいられなかったのだ。すると、国王スコットは右手を額にやって、上着の袖口で汗を拭った。貴人らしからぬ不作法な振る舞いだが、マナーを気にしていられないほどに動顚しているのだろうか。そして、ふう、と何度も大きく息をついてから、

「サタドだ」

と小声で短く呟いた。君主の発言の意味がわからずに固まる家臣たちの顔を見て取ったのか、

「これはサタド城国の太守から、余に宛てられた手紙だ」

と付け加え、その言葉の意味を理解した高官たちは一気に色めき立った。

「太守、っていうと、サタドで一番偉いやつ、ってことだよな?」

シーザー・レオンハルトに訊かれたアリエル・フィッツシモンズは「はい」と頷いて、

「あの国の絶対権力者です」

と固い表情で答えた。サタド城国はアステラ王国の南方に位置する専制国家である。大陸で最大の領土と最多の人口を誇るマズカ帝国に匹敵する大国であるが、長きにわたって他国と国交を結ばない方針を取り続け、アステラとも正式な外交関係はなかった。取り立てて敵対することはなかったが、親しく付き合うわけでもなく、両国間には常に一定の緊張感が存在していたわけなのだが、

(その太守が文書を送って来るなんて、我が国の歴史上今までになかったことだ)

「王国の鳳雛」と呼ばれる秀才少年は前代未聞の出来事が持ち上がっているのを理解して顔を強張らせる。国境を高い城壁で囲んだ閉鎖的な砂漠の国の指導者が、一体何を伝えようとしているのか。

「サタドの太守殿は」

王国開闢以来の事態に遭遇しつつあるのを認識したスコット王の声は大きく揺れ、

「こたびの『平和条約』にサタドも加わりたい、との旨を申し出ておられる」

手紙の内容が集った人たちに知らされると、謁見の間は熱湯が天井から降り注いできたかのような大混乱に陥った。その中でも、

「馬鹿な、そのようなことはありえぬ。あってはならぬ」

宰相ジムニー・ファンタンゴの受けた衝撃は甚だしく、ぎりぎりぎり、と秋の夜長を鳴き通す虫のごとき怪音を体内から発していた。そんな政治家とは対照的に余裕たっぷりのリブ・テンヴィーは、

「ねえ、宰相閣下。サタドからの申し出を断ったりはしないわよね? モクジュと違って、今度はちゃんとがあるんだから」

と国王スコットが持ったままの手紙を指さした。謎の貴婦人の策にまんまと嵌ったばかりか、悲願である「平和条約」の成立に邪魔が入るという二重の屈辱に、宰相は黙ったまま苦痛に耐えるかのように長身を折り曲げることしかできなかった。

「いやあ、すげえなあ。さすがは姐御。とんでもない切り札を持ってやがった」

シーザーが能天気に感心する一方で、

(リブ、きみは一体何者なんだ?)

ひとつの国家をも動かす親友の真の力を目の当たりにしたセイジア・タリウスの心は激しく揺れていた。

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