第311話 最高の貴婦人、登場する(その2)

美しいものに接したとき、どのような行動をするかは人によって異なる。口を極めて賛美する者もいれば、跪いて永遠の忠誠を誓う者もいたが、ジムニー・ファンタンゴの反応はそのいずれにも当てはまらない、世間でも少数派に属するものだった。頭脳派の政治家として知られる男はどういうわけか、「美」に対して一貫して冷淡な態度をとり続け、時には排斥することすらあったのだ。

アステラ王国の宰相である彼は実力者の常として広大な屋敷を所有していたが、そこには絵画や彫刻といった芸術作品は影も形もなく、機能美を優先したシンプルな構造を追求したがために、邸宅の中はがらんとした殺風景なものとなって、そのせいなのか、権力の中枢に位置する男に取り入ろうとやってきた客人が再訪する機会はほとんどなかったという。また、ファンタンゴはその厳格さから使用人からも恐れられていたが、とりわけ女性に対する当たりがきつく、新入りのメイドがねちねちと長時間説教されるのに耐えきれず、泣きながら逃げ出して二度と戻らないことも珍しくなかった。といっても、この政治家が女性差別主義者だったわけではなく(本人は偏見を持たない平等な人間のつもりでいた)、ファンタンゴ邸の内情を注意深く観察する者がいれば、主人に叱られた娘がどれも平均以上の容貌を有していたのに気づいたはずだった。魅力的な女性を前にすれば、大多数の男は口説いたり歓心を引こうとしたりするものだが、王国の宰相はそれとは逆に過剰なまでに攻撃的になって、女性をいじめて傷つけようとするのだから、奇々怪々としか言いようのない現象であった。

ファンタンゴの不可思議な行動に関しては、現在に至るまで様々な見解が唱えられてきた。虐待された女性を見て快感を得る一種の性的倒錯(いわゆる「サディズム」に該当する)によるものなのか、理性を何よりも重んじた秀才が「美」や「愛」といった論理を越えた概念に強く反撥していたためなのか、「青瓢箪」と蔑まれるようになって久しい男の行動原理を突き止めるまでには至っていないのが実情である。

とはいうものの、ファンタンゴの内側深く、骨の髄にまで絡みついた「美」に対する憎しみに近い感情が、セイジア・タリウスへの嫌悪感へとつながっていたのはほぼ間違いない、という点において後世の研究者たちの意見は一致している。各種資料を調べ上げても、初めて面会した時点から、まだ少女だったセイが何の問題行動をしていないにもかかわらず、宰相が彼女につらくあたっていたのが確認されるのだから、若く美しい金髪の娘を第一印象から忌み嫌っていた、としか考えられない次第である。綺麗だから憎まれた、というセイにとっては災難としか言いようのない事態だったが、しかしながら、邪心から出た行動はやはり報いを受けるものらしく、おのれの権勢を利用して野望を実現しようとしていたファンタンゴの前に、より美しく成長した最強の女騎士が帰還したのに加えて、彼女と同行していたモクジュの美少女ナーガ・リュウケイビッチに致命的なあだ名をつけられ、さらにはセイとは別個の美しさを誇る妖艶な貴婦人までも登場し、3人の美女によって辣腕政治家は破滅へと誘われていくことになるのだから、ジムニー・ファンタンゴにとって「美」は天敵と呼ぶべき存在だった、と考えるべきなのだろうか。


話をアステラ王宮に戻す。

「ここはわが国の重要事を決する場だ。女子供の立ち入りなど断じて許されん。即刻立ち去るか、そうでなければ強引にでも出て行かせるぞ」

リブ・テンヴィーを恫喝するジムニー・ファンタンゴの語気はいつになく刺々しく、「そこまで言わなくても」と居合わせた人たちは突然現れた謎の女性に同情し、彼女に声を荒げる宰相に否定的な感想を抱いたのだが、役人たちを震え上がらせる権力者の威嚇にもリブはまるで表情を変えることなく、ファンタンゴの全身を値踏みするかのようにじろじろと視線を上下させた(彼は長身かつ面長だったので平均的な男性の場合よりも観察に時間を要した)。退去を命じられても、目の前の女性が怯むことなく、紫の瞳をますます輝かせたのに苛立った最高権力者は、

「動きたくないなら好きにするがいい。兵士たちに連行させて監獄に入れることにする。少なくとも1カ月は拘置するから、たっぷり泣きわめいて後悔するのだな」

司法手続きの観点から適切とは考えにくいセリフを吐いてから、廊下に立つ衛兵を呼ぼうとしたが、

「ずいぶんとご立派になられたものね、ジムニー・ファンタンゴ」

リブににっこり微笑まれて、為政者は声を出すのに失敗する。

「なんだと?」

驚きながらもファンタンゴの頭脳はかなりの速度で検索を開始していた。今の言い草から考えて、この女は以前にも自分と会ったことがあるに違いなかった。だが、どうしても思い出せない。このような人を一度見れば忘れるはずがないのに、と彼女がとてもチャーミングだと認めてしまいそうになって慌てて思考を打ち切った男にリブはもう一度笑いかけて、

「覚えていなくても無理はないわ。もう10年以上も前の出来事で、わたしはまだ子供だったし、あなたを一方的に見かけてたまたま覚えていただけだから、面識があった、とも言えないわけだしね」

そう言うなり、貴婦人になりおおせた女占い師はゆっくりと歩き出した。こつこつ、と床に高く響くハイヒールの音までも蠱惑的に響くのに、男たちは憧れを通り越して恐れさえ感じてしまう。

「今はもうお亡くなりになられたラクマン侯爵、あの方はわたしのおじいさまと古くからの友達で、うちの屋敷にもよくやってこられて、まだ小さかったわたしも可愛がられたものだったわ。それで、あなたも侯爵の従者として屋敷に来たことがあった、というわけ。聞くところによると、書生をしていたそうね?」

ファンタンゴの長い顔に赤みが差したのは羞恥心によるものだが、美しい女性に見つめられたからではなく、出世のためなら泥水をすする事も厭わなかった過去を無理矢理に思い出させられたからだ。

「食事も満足に出来ないのか痩せ細ってしまって、あちこちに継ぎの当たった服を着た、明らかに裕福でない青年が侯爵の顔色を伺って、何かというとすぐに『はい!』『只今お持ちします!』とか大声で叫んで、ご主人様のためにコマネズミのように動き回っているのを見て、あの頃のわたしは世間知らずのお嬢様だったから『平民の方も大変なのね』って上から目線で失礼なことを考えてしまったのを、今になって申し訳なく思っているけど」

自らが「成り上がり者」である現実を直視させられた男が立ちすくむ横を行き過ぎた美女は、ぱたぱた、と手にした扇で顔を軽くあおいでから、

「でも、侯爵はそんな苦学生だったあなたを『将来有望だ』って高く評価されていたから、今こうして宰相にまで上り詰めた姿をごらんになられたら、さぞかしお喜びになられたでしょうね」

リブの言い回しに悪意めいたものは感じられなかったが、

(あなたのことは全部お見通しよ。過去も現在も、そして未来もね)

ファンタンゴだけには彼女の瞳に宿る短剣のごとき閃きが見えていた。この女は気まぐれに遊びにやってきたわけではない。自分に挑戦するために王国の心臓部まで単身やってきたのだ、と即座に察したところを見ると、ジムニー・ファンタンゴは愚物ではないのだろう。

「貴様は一体何者なのか」

平常心を保とうとしたおかげでかえって波立った男の声を受け流しつつ、

「すぐにわかるから焦らないで、宰相閣下殿」

リブ・テンヴィーは柔らかく微笑む。あまりに美しすぎたがために、その笑顔が一国の執政官に対する宣戦布告だと気づく人はほとんど居はしなかった。

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