第242話 女騎士さんと「龍の王子」(前編)

迷いから解放されてポニーテールを揺らしつつ意気揚々と夕刻の野を征く女騎士の背中に、

「セイジア・タリウス!」

少年の甲高い叫び声がかけられた。何事か、と振り向いたセイの目に全身をぶるぶる震わせたジャロ・リュウケイビッチの姿が飛び込んだ。急いで追いかけてきたのと先程見舞われたばかりの一大事件のために、彼の整った容貌は真っ赤に染まっていた。その一方で少年は少し離れて立っている女騎士がけろっとした表情をしているのに腹が立って仕方がなかった。ぼくをこんなにドキドキさせておきながら、どうしてそんなに平気な顔ができるのか。もしそのように問われていたなら、

「一つの考えを引きずることなく、頭の中身をその都度切り替えるのは軍人としてのたしなみだ」

とセイは騎士の先輩らしくレクチャーしてくれたかもしれないが、「そういう問題じゃない!」と美少年の怒りを余計に掻き立てていた可能性が高いので、問答が成り立たなかったことを良しと考えるべきなのだろう。このときジャロの口から飛び出たのは、

「よくもやってくれたな!」

という怒りの声だった。「はあ?」と女騎士は思わず声を出してしまう。一人前の戦士になるための訓練を手伝ってようやく仲良くなれたと思ったのにどうして怒られるのかさっぱりわからなかったからだが、自分がしでかした行為の重大性を依然として理解していない様子の美女に少年の憤りはさらに沸き上がり、

「貴様、どうしてぼくにあんなことをしたんだ?」

怒号を飛ばされて、の女子もさすがに事情を察した。

(ははあ。さては、きれいなおねえさんからキスされて照れているんだな。素直に喜べばいいのに)

ペーパーテストでいえば赤点ギリギリの理解度だったわけだが、

「あーゆーことをしたらダメだったか?」

いたずらっぽく笑いながら訊ねられて、「うっ」とジャロは言葉に詰まってしまう。駄目なわけではなく嫌だったわけでもない。しかし、だからこそ困っているのだ、という気持ちを上手く説明するのは11歳の男児にはあまりに難しい作業だったので、

「ぼくはおまえを許さないぞ!」

結局また怒ってしまった。すると、怒鳴られたセイの雰囲気が一気に冷たいものになって、

「ほう、面白い。許さない、というなら、わたしをどうするつもりなんだ?」

少年の発言を「挑戦」だと受け取ったらしい。気が短すぎるだろ、と呆れながらもぎらぎら光る彼女の青い瞳に射すくめられてリュウケイビッチ家の御曹司は身動きが取れなくなる。

「喧嘩を売ってきたのはそっちなんだ。さっさと答えたらどうなんだ」

だから喧嘩を売ってるんじゃないんだって、と思ったものの、正直なところ、どうしてセイを追いかけてそして呼び止めたのか、彼自身にもよくわかっていなかった。急いで答えを導きだそうと自分の中にある問題集を大急ぎでめくってみてもヒントすら見つからない。硬直してしまった少年にあからさまに失望の色を浮かべて、

「用がないなら行くぞ。わたしは忙しいんだ」

セイは帰り道を急ごうとする。待ってくれ、違う、そうじゃないんだ、と大混乱に陥ったジャロに、

「おーい、待ってくれよー」

「一人で勝手に行くんじゃねえよ」

友人を追いかけてやってきたジンバ村の少年たちが近づいてきたそのとき、

「セイジア・タリウス!」

ジャロ・リュウケイビッチは全ての過程を素っ飛ばしていきなり彼の望む正解にたどり着いていた。そして、

「ぼくと結婚しろ! セイジア・タリウス!」

興奮のあまりひっくりかえった声でなされたプロポーズに、

「へ?」

セイは目を丸くし、「おーっ」と悪ガキたちは感嘆の声を上げた。一度堰を切った少年の激情は止まることなく、

「ぼくのお嫁さんになれ! ぼくのものになれ! いつもぼくのそばにいろ!」

恥ずかしすぎて泣きそうになりながらもジャロは言うべきことを全部言おうとする。矢継ぎ早に要求を突きつける貴公子の頭にはまっさらな欲望しかなかった。あんなキスをされて好きにならずにいられるものか。逆に言えば、恋を成就させるだけのテクニックを持ち合わせなかったがために、剥き出しの好意をぶつけるよりほかに手立てを持たない、あまりに未成熟な告白だと言えた。しかし、セイジア・タリウスを愛するシーザー・レオンハルトにしろアリエル・フィッツシモンズにしろカリー・コンプにしろ、なまじ大人になってしまったがために恋一筋に生きられなかった男たちを尻目に、目覚めたばかりの情熱のままに後先考えずに猪突猛進するジャロ・リュウケイビッチ少年が、「金色の戦乙女」をめぐる恋のレースにおける伏兵として、彼女への告白一番乗りを果たす、という大波乱の展開になったわけである。

(そんなことを言われたのは初めてだ)

驚き半々恥ずかしさ半々といった心境で気まずくなったセイは、たはは、と照れ笑いしながら指で頬をぽりぽりと掻く。この物語の序盤で書いた通り、彼女は以前婚約したことがあるが、それはいわゆる政略結婚であり相手から純粋な愛の言葉をささやかれたことはなかった。年頃の女性として求婚されて嬉しくないわけがなかったが、とはいえ相手は10歳近く年下の少年で、真剣に受け止めにくいのも事実だった。

(そうは言っても、あっちは本気で言ってくれてるんだ。適当にあしらうわけにもいかない)

真心から出た行為には真心をもって応えるべきなのだろう。背筋をしゃんと伸ばしてから、セイはジャロの顔を正面から見つめた。


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