第238話 目覚める騎士たち(その7)
ぶわっ、とジャロ・リュウケイビッチ少年から吹き付ける熱風がセイジア・タリウスの頬を叩いた。
(ついに来たか)
セイは一瞬だけ目を大きくして、すぐに厳しい表情に戻る。それは自然界に吹く風ではなく、人の心が生み出した風だった。真夏でも涼しい辺境の地にそぐわない熱さをはらんでいるのもそのためだ。試練を潜り抜けているうちに、肉体の限界をとうに通り越して頭の中から不純物が全て取り除けられ、むき出しのありのままの少年の本質が露出していた。一言でいえば「魂」と呼ぶべきものだ。
「やああああああっ!」
勝利への渇望に目をぎらつかせたジャロがセイに向かって突撃を仕掛けるが、「魂」は万能の道具ではなく、発露したところで手足の痛みが和らぐことも底を尽いたスタミナが回復することはない。だから、貴族の少年のアタック自体にそれまでと変化があったわけではなく、
「ちいっ!」
女騎士は御曹司の突進をたやすくいなし、足首にけたぐりを入れて転倒させる。結果そのものも変わりはしなかったが、
(ほんの少しだけ反応が遅れた)
セイはわずかにミスが生じたのを認めざるを得なかった。コンマ1秒かそれ以下のディレイでしかなかったが、常に完璧を心掛ける最強の戦士がわずかな瑕瑾も看過できるわけがない。何故遅れたのか、その理由を考えるゆとりもなく、
「やああああああっ!」
ジャロが素早く起き上がってさらなる攻撃を仕掛ける。
「くっ!」
伸びてきた腕を取って思い切り抛り投げると、激しくスピンしながら少年の身体は宙から墜落する。
(また遅れた)
今度はさっきよりも明らかにタイミングを逃がしていた。だからこそ、技とも言えない力任せの防御をせざるを得なかったのだ。心の内のかすかな動揺を感じながら、ふらふらと手をついて体を起こしたジャロの方を見ると、彼の背中から陽炎が揺らめいているのが見えた。
(おお)
セイは思わず息を飲む。それが決して夕陽が反映したものでないことは、沈みゆく日輪にあるまじき生命力にあふれた黄金の色彩を帯びているところからも明らかだった。女騎士が母親から受け継いだ髪の毛と同じ輝きから彼女は目を離せなくなる。
(わたしの中にもあれと同じ光がある)
無明の前途を照らし、底知れぬ不安を打ち消し、人々に希望を与える金色の光。これまでセイはその輝きに包まれてただ前を見て走ってきた。永遠に沈まぬ太陽のごとく、彼女の頭上には常に輝きがあり続けるはずだが、煌々と照らし出された眩い世界に居ながらも、セイジア・タリウスは今征くべき道を見失っていた。普通の人々を守りたい、という思いと、かつての主君への忠誠心との板挟みになって身動きが取れなくなっていた。天衣無縫の少女も戦いの日々を送るうちに多くのものを背負うようになり、自由に翔けてばかりはいられなくなった。それが大人になる、ということなのかもしれなかったが、それが唯一の正解とも思えず悩んできたのだ。しかし、今、答えの出ない問いに苦しんできた女騎士の前に新たな光が生まれつつあった。
(ひたむきさ)
セイは少年から生まれた輝きの正体に気づく。今のジャロ・リュウケイビッチは、立ちはだかる困難を突破することしか考えていない。騎士になる夢も家を継ぐ責務も、父のことも姉のことも執事のことも頭の中にはない(目の前に立っているのが誰なのかも忘れた)。ただひたむきに前に進むこと、それだけが少年を支配していた。
(そういうのっていいな)
女騎士は羨望を覚えていた。何も考えずに無我夢中で駆け続けられたら、どんなに素敵だろうか。自分も昔はそんな風に生きていたはずなのに、いつの間にかできなくなっていた。少年の攻撃にうまく対応できなくなってきたのもそのせいなのだろう。ひたすらまっすぐに生きるのは、わたしにはもう無理なのかもな、と下を向きかけた顔の動きが止まる。
(「できない」ってどうして決めつけるんだ?)
確かに今はできなくなっているかもしれない。しかし、だからといって、これからもずっとできないと決まりきったわけではないではないか。今からもう一度できるように動き出せばいいのではないか。そう思った瞬間、彼女の中の暗黒の宇宙で超新星が炸裂し、新たな眺めが目前に広がっていた。
(なんだ。そういうことだったんだ)
村を襲った戦火を潜り抜けてからというもの、深い迷いの中にあったセイは、ようやく目の前に道が開けたかのような気分になる。わかってみれば単純きわまりないが、だからこそ見えにくいことでもあった、という気がした。
(ありがとう、坊や)
自分に気づきを与えてくれた少年を見つめる女騎士の青い瞳がほのかに光る。やるべきことが分かった以上、彼女にはしなければならないことがたくさんあった。しかし、
(まずは決着をつける)
ジャロ・リュウケイビッチとの「対決」を終わらせるのが先だ、と心を決める。騎士志願者の思いを受け止めるのが年長者としての務めであり、そして相手が誰だろうと一度始めた勝負を中途半端に終わらせたくない、という負けず嫌いな性格がその判断を導いていた。
「来いよ、少年」
不敵な笑みを浮かべる女騎士をジャロは強く睨みつけると、体勢をこれまでになく低くして疾走を開始した。
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