第162話 死の罠(その3)

ひゅひゅひゅひゅひゅん!

風を切る音があたりに響きわたったのと同時に、先頭にいた2人の騎士が道端に昏倒する。全身に矢が突き立って人間から針鼠へと変貌したかのような無惨な死にざまとしか言いようがない。夜の路上に並んだ2つの屍を見た国境警備隊員たちは恐慌状態に陥った。さっきまで一緒にいた仲間が突然命を落として冷静でいられるはずもなかったのに加えて、

(またかよ!)

その死因がパニックを引き起こしていた。ほんの半時間前に襲い掛かってきた何百何千もの矢への恐怖心が未だ冷めやらないところへ、飛び道具による刺殺を目の当たりにしたものだから、戦士としての誇りらしきものは完全に崩壊してしまっていた。

「ひええええええええ!」

たちまち四方八方へと逃げ去る兵士たち。隊長であるヴァル・オートモも、すわ「魔弾の射手」の再出現か、と身体に震えが来るのを感じたが、人並み以上の胆力の持ち主である彼は同時にある違和感も覚えていた。積極的にやりたくはなかったが、必要に迫られて亡骸に近づいてよく観察してみると、

(やはりそうだ)

つい今しがた部下の遺体を刺し貫いたのは確かに矢だったが、それは山道における大量殺戮に用いられたものとは違っていた。「魔弾の射手」が放った矢は、よくある木製のものだったが、今回使われたのは鉄製で長さも短めだった。弓ではなくボウガンで発射されるものだ、と考えてから、オートモは別の事実にも気づく。死体のすぐそばに細いロープが横に張られているではないか。ちょうど大人の膝下にあたる高さに伸びていて、明かりのない真夜中の村落では気づかずに足を引っかけてしまうのは目に見えていた。

(これも罠だ)

つまり、このロープは何処かに設置されたボウガンと連動していて、何も知らない人間が接触した瞬間にそいつに向かって矢が放たれる仕掛けになっているのだ。先程の落とし穴と同じく、村への侵入者を陥れるためのトラップだ、とヴァル・オートモが考えた瞬間に、

「げえっ!」

「ぎゃあっ!」

あちこちから悲鳴が上がる。第二の罠の真相にたどりついた瞬間に第三の罠が牙を剥いたのに、「双剣の魔術師」と呼ばれる男は、ぎり、と屈辱を噛み締めた。完全に後手に回ってしまっている、というのは火を見るよりも明らかだった。

「隊長」

部下が背中に声をかけてきた。顔を見ずとも長い付き合いの古参の隊員だとわかったので、

「また落とし穴かい?」

と訊ねると、「ええ、まあ」と状況に見合った気落ちした声を発してから、

「5人やられました」

と報告してきたので、黙って頷く。やはり敵はかなりのやり手のようだ。ボウガンによる暗殺で動揺して逃走を図る者がいるのを予期して、その行き先を読んで穴を掘っていたのだろう。

(となると、次はどうする?)

ヴァル・オートモは視点を変えることにした。今の自分たちは狙われる側だが、狙う側ならばどうする、と発想を逆転させることで対抗できるかもしれない。慌てて逃げようとした者が仕留められたのを見た生存者は軽はずみに動くのをやめて固まろうとするのが自然な成り行きだろうが、一か所に凝集した標的ほど狙いやすいものはない、と背筋に寒気を覚えた青みがかった髪の騎士は、身振り手振りで分散するように部下に命令し、隊員たちもその通りに村のあちこちに身を潜めた。これで一遍に全滅することはなくなったはずだが、

(この後はどうする?)

それがわからなかった。進攻を続けるか、それとも撤退するか。正直なところ、この時点でのオートモの心は後者に傾いていた。すなわち撤退の方だ。率いる部隊の人数は当初の4割に低下し、対する敵の正体は依然として見えない。有効な手立てを見出せない戦いにこだわる意味などない、と計算高さを自らもって認じる騎士は考える。いかなるときも生き延びることを最優先すべきで、死んでしまってからいくら武勲を褒められたとしても何の意味などないに決まっていた。ここはいったん引き下がって、マズカ帝国から遠征してきた荒熊騎士団に助けを乞うべきだった。団長のザイオン・グリンヴァルトにはさんざん嘲笑されるだろうが、脳味噌まで筋肉で出来上がった熊男にどう思われようと知ったことではない。下層階級から成りあがってきた男はいついかなるときも虎視眈々と上昇の機会を窺っていて、「最後に勝つのは自分だ」と信じていた。だから、このジンバ村から立ち去るのも退却ではなく、来る勝利に向けての転進とでも呼ぶべきなのさ、ともっともらしい理屈を頭の中でこしらえながら、最終決定を告げようと声を上げかけたそのとき、

「逃げたければ逃げればいい」

暗闇から声が聞こえた。声量はさほど大きくないのに、不思議と心に残るつぶやきだった。目を細めてよく確かめようとすると、

「むしろその方が手間が省けて助かる、というものだ」

人影がひとつ見えた。黒い服を着た黒い顔の男だ。といっても肌が黒いわけではなく、心の黒さが滲み出て全身を染め上げてしまったように思われた。吐く息も黒く、こちらを見つめる視線も黒い。今までの罠を仕掛けたのはこいつだ、とオートモは察する。黒い男が黒い思考によって黒い陥穽に戦士たちを引き摺り込んだのだ。そして、「双剣の魔術師」にはもうひとつ気づいたことがあった。

(あいつだ)

昼間に村を訪れた際に妙にひっかかった、赤ん坊を背負った不気味な男が自分の敵だと悟る。あのとき声をかけていれば何かが違っただろうか、と過ぎ去った可能性にオートモが思いを巡らせていると、

「はははははははは!」

黒い男、この物語では「影」と呼ばれている男の黒い笑い声が夜の空気を振動させた。

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