第149話 女騎士さんvs荒熊騎士団(その5)

「兄上! ご無事なのですか?」

セイの悲痛な叫びを耳にしたセドリック・タリウスは跪いたまま顔を上げて、

「セイジア!」

声を限りにして妹の名を呼んだ。感動の再会だな、と囚われの身の伯爵の傍らに立つザイオン・グリンヴァルトはほくそ笑む。ジンバ村へと至る道路を見回っていた警備兵が女騎士の兄を捕らえた、との知らせを受けたときから、手に入れられるものと確信していた勝利がさらに近づいてきたのを感じ、あらゆるものを噛み砕く金剛石のごとき歯を剥き出しにして黒い喜びに打ち震えた。セイジア・タリウスはその強さもさることながら、いったん戦いから離れれば慈しみ深い振る舞いをすることでも知られていて、敗れた敵将や心ならずも捕虜となった兵士にも常に思いやりを持って接したことから、自国のみならず敵国からも尊崇の念を集めていたのだが、

「くだらん」

グリンヴァルトはそういった彼女への賞賛の声を聞くたびに決まって不快になった。「熊嵐」と呼ばれ蛮勇を誇る騎士は、弱肉強食のことわりを信奉していて、そんな男にしてみれば「金色の戦乙女」のしていることは偽善にしか見えなかったからだ。勝者が全てを手にし、敗者は這いつくばって泥にまみれる。それこそが世界を支配するただひとつの掟であり、いかに取り繕ったところで変えられはしない、と巨漢は信じ込んでいた。そもそも戦争という「男の世界」に軽々しく足を踏み入れた女騎士に対してグリンヴァルトは根強い偏見を持っていて、生意気な小娘に一泡吹かせてやりたい、という願望を巌のごとき肉体に無意識のうちに隠し持っていた。そんな彼にしてみればセドリック・タリウスの登場はまさしく千載一遇の好機と評すべき出来事であった。

(お優しいお嬢ちゃんは兄弟を見殺しにはしないだろう)

気高い心を持つ美女が、その気高さ故に敗れる様がこれから見られるのだ。偶像を破壊する興奮を抑えかねた「熊嵐」が鼻息を荒くする一方で、少し離れた場所で「ぶち」にまたがったままのセイは言葉を失っていた。超高性能の視力を持つ彼女の瞳は、暗闇も距離もものともせずにセドリックの顔の様子をつぶさにとらえ、端正な顔貌のそこかしこに生々しい傷があるのをしっかりと認めていた。殴打によって傷つけられたのは明らかだった。気絶させられてから、荒熊騎士団の陣地に連れてこられた伯爵は特段逆らうことなくグリンヴァルトらの質問にも答えようとしたのだが、にもかかわらずつまらない因縁を付けられて殴られたり蹴られたりした、というのが事の真相だった。野獣にも劣る脳しか持たない粗暴な騎士たちにとって、礼儀正しく身なりも整った貴族の青年は存在するだけで腹立たしい存在で、そんな連中の真っ只中に投げ込まれる格好になったのが、この夜のタリウス家の当主のさらなる不幸だと言えた。

(やつらが。兄上を)

セドリックが怪我をさせられた、という事実がセイの頭を駆け巡った瞬間、夜の戦場にかぼそい音が流れた。洞窟の深奥でほのかに光る水晶が、外部から力を加えられていないのに自ら砕け散ったかのような、実にささやかでありながらもこの世のものとは思えない美しい響きだったが、最強の女騎士に対して絶対的な優位に立っているものと信じて疑わない団長グリンヴァルト以下荒熊騎士団員たちは誰も異変に気づくことなく、したがってこれから何が起こるのかも察知できるはずもなかった。

「何が望みだ?」

兄を人質に取られた女騎士の声はどんな感情も持たないきわめて平坦なものだったが、「熊嵐」は気に留めることなく、「そうだな」と顎に触れながら考え込む振りをしてから、

「とりあえず、武器を捨てて馬から下りろ」

にやにや笑いを消さずに告げた。

(やめろ。セイジア)

伯爵はセイを止めるべく声を上げようとした。わたしのためにおまえまで犠牲になることはない、と言おうとした。だが、

「余計なことは言わない方がいいぜ」

ひひひ、という嘲笑とともに背中をちくちくと刺してくる痛みが口をつぐませた。彼が動こうとすれば、グリンヴァルトの部下が後ろから剣か槍でたちまち刺し貫くつもりなのだろう。だから、今のセドリック・タリウスに用意された選択肢は、「何もしない」ただひとつだと言えた。それでも動かずにいたセイに向かって、

「どうした? おまえの大事な兄弟がどうなってもいいのか?」

荒熊騎士団団長の揶揄するかのような大声が飛ぶ。すると、女騎士は黙ったまま兜のバイザーを挙げて白蝋の仮面と見まがう美貌を外気にさらしてから、右手に持っていた突撃槍ランスを、ぽいっ、と無造作に抛り投げた。槍が地面にバウンドした数瞬の後、戦場に笑いが爆発する。セイジア・タリウスが降伏した、と敵兵たちは受け取ったのだ。

(これで完全に勝った)

ザイオン・グリンヴァルトはひそかに胸を撫で下ろしていた。実のところ、セイが兄を見捨てて突撃してくる可能性も捨てきれない、と思っていたが、やはりあの娘は甘っちょろいやわな根性しか持ってなかったのだ。無抵抗の彼女をさんざんいたぶった後で、目の前で兄を殺し、村人たちも皆殺しにしてやる。そして、絶望のどん底に落ちた「金色の戦乙女」の四肢を断ち切りにしてから、なぐさみものにしてくれる、と嗜虐主義者が悪趣味な空想を誰はばかることなく展開させているのをよそに、

(そんな)

セドリックはうちひしがれて、頭をがっくりと下げた。何故だ。どうしてだ。わたしはおまえをさんざん嫌な目に遭わせてきたのに、守ってもらう資格などありはしないのに、そんなわたしをどうして庇おうとする? 妹が自分のせいで死地に落ちようとしているのだ。おのれのふがいなさをいくら呪っても足りるものではなく、セドリックは強く目を閉じて血が吹き出そうになるほど歯を食いしばった。

夜の草原をひとしきり駆け巡った狂騒が落ち着いたのを見計らって、美しい騎士はゆっくりと馬から下り、愛馬「ぶち」にそっと触れてから、表情を消したまま顔を寄せた。端から見れば別れを告げているようにも思える光景だった。

「よし、いい子だ。そうしたら、こっちまで歩いてこい」

と言ってから、「ゆっくりとだ」と「熊嵐」は付け足す。彼女が一気に駆け寄ってきて奇襲に出る可能性も潰しておきたかった。敵将の命令を素直に聞いたのか、セイは向かい合った騎士たちの方へ静かに歩き出す。苦境にあるようには見えない悠然とした歩き方で、待つ者にとってはじれったく感じられるほどの速度でもあった。

(セイジア・タリウスの伝説も今夜限りだ)

そして、おれこそが最強の騎士になる、とザイオン・グリンヴァルトは徐々に近づいてくる金髪の女騎士を眺めながら、ぐふふ、と大声を出して笑うが、彼が有頂天になっていられる時間はもうまもなく終わりを迎えようとしていた。

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