第122話 先制攻撃(その1)

その夜は空に星はなく、風も吹かなかった。昼の余熱が消え去ったよどんだぬるい空気の中で、大勢の男たちが動き回っていた。彼らは揃って鎧を身にまとい、剣と槍と弓矢で武装し、数十頭もの馬も見える。そんな光景を一人の巨漢が眺めていた。視線だけで人を殺せるのではないか、と思えるほどに目つきは鋭かったが、別に不満や敵意があるわけではなく、自らの性向の赴くままに生きてきた結果、そのような人相になっただけのことであった。山のような体躯を覆った鋼の鎧をがちゃがちゃと鳴らしながら、

「頃合いか」

地響きにも似た野太い声で言ったのは、マズカ帝国荒熊騎士団を率いるザイオン・グリンヴァルトだ。巨大な戦斧バトルアクスを振り回し、並み居る敵を粉砕することから、「熊嵐」と恐れられる強豪だ。

「はい。そのようで」

その隣で、アステラ王国国境警備隊隊長ヴァル・オートモが甘ったるい笑みを浮かべていた。彼らが現在いる場所は、ジンバ村の西方にある野原で、ふだんは村の子供たちが遊び場として親しんでいる場所だが、そんないつもは平和な広場に、騎士たちが箱に詰められたかのようにぎっしり群れ集まっているのは、いかにも異様な眺めだった。とはいえ、国境警備隊と荒熊騎士団がそれぞれ100人ずつ、合計200人もの人間が集結しているとあっては、少年少女が駆けまわるには十分な広さがあったとしても、軍隊の集合地点としてはかなり手狭だと言わざるを得なかった。騎士団長もそのように思っていたのか、

「これほどの人数が必要なのか、おれは未だに疑問だが」

数え切れないほどの細かい傷跡が埋め尽くしている日に焼けた赤銅色の顔面を歪めた。小さな村を攻略するのに、この野原にいる軍勢だけでも十分すぎるほどだと思われるのに、騎士団から別動隊として50人ずつを、村の南と北へと至る道にそれぞれ派遣していた。集落に暮らす住人より攻め込む兵士の数の方が多いのだから、馬鹿馬鹿しくなって戦いを直前にしながらも気分は白けたまま、まるで興奮できずにいた。戦いを何よりの生き甲斐とする大男に、「念には念を入れて、ということですよ」とオートモはなだめるように言ってから、

「なにしろ、あのセイジア・タリウスがいる村ですからね」

ずっとへらへら笑っていた警備隊長の話しぶりにかすかに緊張が入り交じったのが、グリンヴァルトにもわかった。「金色の戦乙女」と会ったことはないが、その武名はマズカでもよく知られていた。だが、

(いかに強かろうと、女の使い手などたかが知れている)

生まれついてこの方ずっと女性を蔑んできた(本人にはその自覚すらない)男は、金髪の騎士の力量を低く見ていた。噂話に尾鰭がつくのは戦場ではよくある話で、あるいはアステラ側が宣伝工作を行った可能性も大いにあった。そんなつまらないでっちあげを、おれの手でぶち壊しにしてやるのも悪くはない、と思い、バトルアクスの一撃で女騎士の細身の体を両断することを想像して、わずかながらサディスティックな充足感を得た。そのおかげなのか、

「今夜の主役はおまえたちだ。われわれは後ろで控えさせてもらう」

余裕をもって答えることができた。正直なところ、正規の軍ではない国境警備隊と共に行動するのは決していい気分ではなかったが、騎士団を率いて母国を出立する前に、

「向こうの指示に従え」

と皇帝から厳命されていた。アステラ王国など恐れるに足らなかったが、主君の意向に背くことを考えるだけで、グリンヴァルトは巨体がすくむのを感じてしまう。今回の作戦行動は皇帝自ら裁可したものであり、失敗するわけには行かなかった。成功したとしてもその過程でミスがあれば、どのような罰が下されるかわからない。ほんの少しの気の緩みのために、何人もの騎士たちが処罰され地位を剥奪されてきたのを、男はよく知っていた。峻厳な帝王の意のままに動くことのみがただひとつの生きる道なのだ、とザイオン・グリンヴァルトは信じ込んでいた。

(まあ、われわれにとってはこの後が本番だ)

多数の兵隊に完全に包囲された小さな村のことは巨大な騎士の頭には既になく、その名を覚える気にもなれなかった。これから間もなく攻め落とされて誰一人いなくなる土地のことを誰が気にするというのか? 彼がアステラへと派遣されたのはのためであった。今夜はそのついで、というか、予行演習のようなものでしかない。そんな風に考えていたからなのか、「ふむ」と太い首を動かし、ごきりごきり、と鳴らしてから、

「貴殿は昼間に村まで行ったというが、それはどういう意図からなのか?」

と訊ねていた。国境警備隊などつまらない存在でしかなかったが、その隊長であるヴァル・オートモは傲岸不遜な「熊嵐」であってもむげに扱えはしなかった。「双剣の魔術師」と呼ばれたのは伊達ではない、と実際に相対してわかっていた。もっとも、1対1で戦えば自分が必ず勝つ、とも信じて疑いもしなかったが。

「おや、『熊嵐』殿にお気にかけていただけるとは光栄です」

青みがかった黒髪を後ろに流した騎士の笑顔は夜目にもはっきりと見えた。

「別に気にかけてなどいないが、余計な真似をしたのではないか、という気がしてな。貴殿がやってきた、と知れば、セイジア・タリウスも警戒するかもしれん」

グリンヴァルトの言葉を聞いたオートモは、とても面白いジョークを聞いたかのように、声を上げて笑い、戦いの準備に追われていた騎士たちは思わず動きを止める。

「おれが何かおかしなことを言ったか?」

広い肩を怒らせた騎士団長の口調に、噴火寸前のマグマのような危うさ(グリンヴァルトの気の短さはマズカではジョークの種になるほど有名だった)を感じて、

「これは失礼いたしました」

甘いマスクの騎士はすぐに非礼を詫びてから、

「しかし、あなた様ほどの戦士がそのようなことを言われるとは思いもしなかったので、つい驚いてしまったのです」

「どういうことだ?」

男の怒りがなおも消えやっていないのを感じながら、はっ、とオートモは姿勢を正してから、

「先程、閣下は『セイジア・タリウスが警戒するかもしれない』と仰られましたが、仮に警戒したところでそれに何の問題があるのか、という話です。あの村で戦力と言えるのは、セイジア・タリウスとナーガ・リュウケイビッチ、それにモクジュから不法に侵入した者の中に騎士が何人かいるかもしれませんが、最大限の可能性を考慮したとしても、十人いるかいないか、といったところでしょう。村の男たちを集めたところで所詮は素人です。その程度の力ではいかに『金色の戦乙女』といえどもどうしようもないのではないでしょうか?」

ふむ、とグリンヴァルトは頷いてから、

「そう言われればそうだ。向こうは2人、こちらは300人。まともに考えるのも馬鹿馬鹿しい話だ」

警備隊長の話は明快そのもので、よく見積もっても人並みの知力しか持たない騎士団長にも伝わったらしい。

「そういうことか。なるほど、よくわかった」

「熊嵐」の怒りが鎮火したのを感じて、こわごわと様子を見守っていた荒熊騎士団の部下たちはほっと胸を撫で下ろし、出陣の準備を再開した。

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