第49話 女占い師、デビューする(その3)
「それはそうと」
占い師テンヴィーは木の匙をテーブルに置き、
「そろそろあんたにも一人前になってもらわないとね」
「えっ?」
目を丸くして驚くリブに、
「何をそんなにビックリしてるんだい。あんたと同じ年頃の娘さんは、もうみんな世間に出て働いてるか、何処かの男に嫁いでいるんだ。赤ん坊だっていてもおかしくはない」
この物語の世界では庶民向けの教育制度は整備されていないため、10代で働きに出るのは当然のことだった。
「いつまでもあたしの助手ばかりやってないで、自分だけで稼げるようになりな。この3年間、あんたは十分に頑張ってきた。それだけの力は身についているはずだよ」
でも、と少女は花の
「わたしに『力』はないから、おばあちゃんみたいにはいかないと思う」
確かに老婆に従って修業をしているうちに、自分の「力」に翻弄されることはほぼなくなっていた。しかし、師匠のように他者の心を読んだり、異界への扉を開くようなことは自分には出来ない、というのも痛感させられていた。おのれの未熟さを思い起こしてしょんぼりする弟子を「はっ!」と婆さんは笑い飛ばして、
「何を当たり前のことを言ってるんだい。あんたは賢すぎて馬鹿になっちまってるよ」
と叱りつけた。呆然としてもなお美しいリブを睨んでから、
「いいかい? あたしはあんたに一度たりとも『あたしのようになれ』とは言っていない。あたしのやりかたはあたしにしかできないことで、他の誰かが身につけられるようなもんじゃない」
きっ、と視線により強く力を込めて、
「だから、あんたはあんたにしかできないやりかたで世の中を渡っていくしかないんだ。そして、あたしの見たところ、あんたはそのやりかたをちゃんと見つけ出している」
「そんな」
リブは叫びそうになる。何らかのメソッドをマスターした実感などまるでなかったからだ。そもそも、この老婆はそれらしき方法論など弟子には一切教えず、「見て覚えるんだよ」と仕事を手伝わせていただけなのだ。そんな少女を見た婆さんは「おやおや」とおどけた表情を作って、
「呆れたねえ。ついこの前、あんたはあたしの力を借りずに、お客の悩み事を解決してみせたじゃないか。そのことをもう忘れちまったのかい?」
先日のこと、テンヴィー婆さんがたまたま外出中のときに、一組の中年の夫婦が飛び込みで仕事場にやってきたのに留守番をしていたリブが対応したことがあった。幼くして天に召された息子ともう一度会いたい、と願った両親は、死者を呼び出す力のある凄腕の占い師のもとを訪れたのだ。師匠が戻ってくるまでの間、弟子の少女が代わりに話し相手をしていたのだが、
「おや、お客が来ていたのかい。すまないことをしたね」
しばらくしてから、帰ってきた老婆が相談に乗ろうとすると、
「いえ、もう大丈夫です」
男女は揃って涙に濡れたままの笑顔を見せてから、
「こちらのお嬢さんと話しているうちに、すっかり気が楽になりました」
と頭を下げて、多額の礼金を置いて仕事場を去って行ってしまった。
「勝手なことをしてごめんなさい」
リブは申し訳なさそうに頭を下げたが、詳しく話を聞いてみると、彼女は特別なことをしたわけではなく、夫婦の話によく耳を傾けてから、自分も同じように身近の大切な人を亡くしたことがある、と語りかけて同情を寄せたのだという。「それだけのことです」と少女は謙遜したが、
(とんでもないことだ)
テンヴィー婆さんは驚愕を押し殺すのに苦労せねばならなかった。ただ一緒に話をするだけで相手の心の傷を癒すとは、それこそまさに一種の超能力と呼ぶべきものだろう。老占い師にも真似できない優れたスキルだ。だから、少女が「自分には『力』がない」などとくよくよしているのが、馬鹿らしく思えるのと同時に歯痒くてならなかった。
(この子は本来の才能の半分も出せてはいない)
占い師はそのように見込んでいた。今、表に出ている限りでも、リブの能力は目覚ましいものがあったが、まだ途轍もないものが彼女の中には隠されていて、それを引き出すのが自分の役割なのかもしれない、と貴族出身だけあってマナーに則って静かに食事を続けるリブをじっと見る。
少女が思うままに力を発揮できない理由は明白だった。3年前、叔父に命を狙われ、森の中で危うく殺されかけて、大好きな侍女を死なせてしまったこと、そのトラウマから回復できていないのだ。さらには、祖父の死に対する自責の念もリブの心をきつく縛り付けているのが、老婆の目にはありありと見えていた。
(しかし、あたしが何か言ったところでどうなるものでもない)
あんたが悪いんじゃない、と実際に何度も励ましていたが、言われたリブの表情がまるで晴れなかったのを婆さんは思い出す。そもそも、「元気を出せ」「自信を持て」と言われてその通りにできるのなら、誰も苦労しないし、占い師という商売は成り立たなくなる。なくした元気、失われた自信を取り戻せるのはあくまで自分自身ひとりだけなのだ。占い師にできるのはそのきっかけを作って、手助けをしてやること、それくらいのものだ、と50年以上にわたって職歴を重ねてきた老女は心得ていた。
(さて、どうしたものか)
スープを完食した占い師は短い腕を組んで物思いに耽る。リブの魂を束縛する力はかなりのもので、生半可なことでは解放できないだろう。そうなると、
(荒療治が必要だろうね)
弟子に苛酷な体験をさせることになるが、それも彼女を思えばこそのことだ、と心を鬼にしたつもりでいたが、
「何か変なことを考えてない?」
リブが紫の瞳を光らせてきたところを見ると、無意識のうちに人の悪い笑みを浮かべてしまっていたのかもしれない。勘の鋭さは占い師にふさわしく、なかなかのものだ、と弟子を心の中で褒め称えつつ、
「その通り。変なことを考えておるよ」
テンヴィー婆さんは悪びれる様子もなく、今度は堂々とにやりと笑ってみせた。
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