第117話 少年騎士、村を訪れる(その3)

「アル、来てくれたんだってな」

村に戻ってきたセイジア・タリウスが道端でたまたま出会ったベルトランに教えられて、彼の家にやってくると、アリエル・フィッツシモンズがアンナとモニカの姉妹とテーブルを囲んで談笑しているところだった。

「お久しぶりです」

かつての部下が頭を下げてきたので、

「元気そうで何よりだ」

と言いながら自分も席に着く。「お茶を入れますね」とアンナが入れ違いで立ち上がって、ぱたぱたと足音を立ててキッチンへと向かう。

「ずいぶん楽しそうだが、一体何の話をしてたんだ?」

「セイさんが騎士団長だった頃にどんな感じだったのか、お2人に訊かれたのでお話していたんです」

「余計なことをしゃべっていないだろうな?」

嫌な予感がしたので睨みつけると、

「事実をありのままにお伝えしただけです」

少年騎士に涼しい顔で受け流された。

「セイジア様ってやっぱりおかしい人なんですね」

ぷぷぷ、とモニカが口許に手をやって笑っているので、

「やっぱり、ってなんだ。やっぱりって」

と女騎士の機嫌は悪くなる。軍事機密を漏らしたアルを後で締め上げておこうか、と再会したばかりなのに物騒なことを考えてしまう。「はい、どうぞ」とアンナがお茶を持ってきてくれたので受け取る。

「隣村のさらにもうひとつ隣の村までお出かけだったと聞きましたが」

貴族らしく音もたてずに茶を飲んでからアルが訊ねてきた。

「ああ、そうだ。最近はこの辺りを毎日飛び回っている。都を出た時は、辺境の地でのんびりスローライフを決め込もう、とも思っていたが、こっちにいる方が忙しいくらいだ」

「そんなに用事があるんですか?」

「田舎は田舎でなにかと大変なのさ」

そう言いながらもセイは楽しそうにしている。彼女が人のために働くのが好きなのは少年もよく知っていた。

「セイさんのお兄さんがこの前大変な目に遭われたのも、領地について揉めていたのが原因だったそうですが」

アルが言っているのは、セドリック・タリウス伯爵とレノックス・レセップス侯爵が茶会で衝突した件だ。

「そのことはわたしにも責任がある、というか、タリウス家が代々溜め込んできたつけを支払った格好だ。このジンバ村の統治を怠ってきたがために要らざる争いを招いたわけだからな」

責任感の強いセイが表情を若干曇らせたので、

「でも、セイジア様のおかげでおねえちゃんは戻ってこれたんですから」

とモニカが慌て気味にフォローして、アンナはかすかに微笑んで会釈をする。

「いえ、ぼくはセイさんを責めているわけじゃありませんよ。あの、レセップスとかいう侯爵の方に非があるのはちゃんとわかってますから」

「そう言ってくれるのはありがたいが、領地の管理が杜撰で、人々を苦しめているのはあいつだけじゃないんだよ、アル。みんなから話を聞けば聞くほど、ダメな貴族が多いのが分かってがっかりさせられる」

貴族出身の女騎士の気持ちが同じ生まれのアルにはよくわかった。高貴な身分の者が果たすべき務めを抛棄することなどあってはならないはずなのだ。

「それで、あちこちで相談に乗っているわけですか」

「まあ、正直なところ、わたしが出しゃばっていいのかな、とは思うのだが、だからといって困っている人たちを見捨てるわけにもいかないからな。本当に大変な思いをしている人たちは『助けて』と声を上げることもできずにいる。だから、こっちの方から見つけ出して手を差し伸べてやらなければならないんだ」

この人は骨の髄まで騎士なのだ、とアルは思う。やむにやまれぬ使命感に突き動かされる彼女は神々しくすらあり、その姿を2人の少女は眩しそうに眺めている。しかし、

(これはまずいかもしれない)

と「王国の鳳雛」と呼ばれ、将来を嘱望される若き騎士は冷静に頭を働かせて危惧もしていた。志の高い優秀な者が民衆を救っていったとすれば、他の困っている人たちが助けを求めてさらに集まってきて、やがて一つの集団を形成していくこととなる。実際にそうなりかけているのは、姉妹から少し話を聞いただけでもわかっていた。ジンバ村だけでなく、東の国境地帯にセイを信奉する人たちの輪が出来上がりつつあるのだ。だが、既成の秩序から外れた場所で発生したグループは権力にとって脅威とみなされ、いずれ取り締まりの対象になるのが必然というものだった。特にセイジア・タリウスというアステラ国民に絶大な人気のある最強の女騎士が中心となっている、となれば危険視されない方がおかしい。もちろん、彼女に野望など一切ないというのは元部下としてよくわかっている。だが、権力欲に取りつかれた者には誰もが自分と同じように見えるはずで、欲望に対してあまりにも無垢でなおかつ無防備なセイは彼らの憎悪の的になってしまう、というのが賢いアルにはありありと見えてしまっていた。そして、彼にはもうひとつ不安の種があった。

「ナーガ・リュウケイビッチがこの村にいるそうですが」

かつて一度だけ会ったことのあるモクジュ諸侯国連邦の騎士の名を挙げた。

「なんだ、シーザーから聞いているのか。そうだ。ナーガもここで暮らしているぞ。村の中ではなく、北の方に少し行ったところだが」

はきはきと答える女騎士に、そうですか、と返事をしながらもう一度茶を口に含んだのは内心の不安を押し隠すためだった。

「ナーガさんとは初めて会ったが、あの人なら何も心配要らねえだろ」

先にこの村を訪れたシーザー・レオンハルトはそう言っていて、セイも何ら不安視していない、というのはすぐにわかった。おそらくはその通りなのだろう。だが、問題なのは、実際に危険なのかそうなのか、ではなく、周囲が危険だと思うか、なのだ。「蛇姫バジリスク」と恐れられたかつての敵国の騎士がひそかに国内に潜り込んでいる、と知って脅えない方がおかしいというものだ。今はまだ知られていないが、いずれ都までこの情報が届けば何事も起こらないはずがない。つまり、平穏に見えるこの小さな村には大きな爆弾が眠っている、とアリエル・フィッツシモンズは理解せざるを得なかった。そして、それはセイジア・タリウスの未来がきわめて不安定なものになっている、ということも意味していた。

(言ったところで、この人にはわからない)

恋する女性に対して少年は諦めも持っていた。セイは周りから自分がどう思われているかまるで気にしないうえに、この世界は美しく人間は善であることを疑いもしないように彼には見えていた。それもまた彼女の魅力ではあるのだが、自覚無しに発散されるカリスマ性は諸刃の剣にも似て、持ち主を絶えず危険に晒す代物でもあるのかもしれなかった。本人はその気はなくても誰かしらに常につけ狙われる星の下にこの女騎士は生まれついたようにアルには思われた。

(ぼくがなんとかするしかない)

シーザー・レオンハルトは大雑把で深く物事を考えられない男なので、こういった局面ではあてにならない(別の局面では大いに頼りになることは恋敵でも認めざるを得ないのだが)。だから、セイを守れるのは自分しかいない、と少年は思い詰めていたのだが、

「何を難しい顔をしてるんだ?」

金髪の女子に顔を覗き込まれているのに気づいて驚きのあまり飛び上がりそうになる。久々に見る青い瞳の鮮烈な輝きにたちまち動悸が速まる。

「いえ、あの、すっかり村に溶け込んでいるようなので安心しました」

どうにかごまかそうとすると、

「だろう? わたしは誰とでもすぐに仲良くなれるんだ」

あっさりごまかされてくれた。ちょろいなあ、と呆れながらも安心するアル。

「ねえねえ、アリエルさん。もっとセイさんの面白い話をしてくださいよ」

モニカがせがむと、

「まだまだ天然エピソードがあるんでしょう?」

アンナも身を乗り出した。

「こら! おまえたち、やっぱりわたしのことを笑い物にしているだろ?」

立ち上がって怒りをあらわにするセイに、

「してませんってば」

姉妹は声を揃えて笑い転げる。その和やかな光景に笑みを浮かべながら、

(せっかくここまで来たんだ。難しいことを考えるのはよそう)

とりあえず懸案事項を保留しておくことにして、セイと過ごす休暇を楽しもう、と少年は思い直す。しかし、自らの不安が的外れのものでなかった、とアリエル・フィッツシモンズが知り、彼とシーザー、そしてセイが試練に立たされることとなるまでに、それほど長い時間を必要とはせず、この物語の最終段階はすぐそこにまで迫っていたのであった。




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