第27話 2人の騎士、対決する(その5)

それは、彼が騎士として駆け出しで、覚えることが多くてとても苦労した頃の、人の上に立つ身分となった今となってはまだ気楽だった頃の記憶だ。

「おまえ、何考えてるんだ」

やってくるなりいきなり怒鳴りつけてきたシーザー・レオンハルトを見上げたセイジア・タリウスは、

「お説教しにわざわざここまで来たのか」

ぷい、と膝を抱えたまま顔を背け、焚火をじっと見つめた。天馬騎士団は既に夜の食事を終えたらしい、と黒獅子騎士団から抜け出してきた、当時はまだ少年だったシーザーは宿営地の様子を見渡してから考える。火の近くに座り込んでいるのはセイだけで、あたりには人の姿もまばらだった。

「そうじゃねえよ。一言言ってやらねえと気が済まねえから来たんだ」

そう言いながら当時はまだ少女だったセイの隣に座る。彼女は髪を伸ばしている途中でポニーテールが短かった。

「なんだ? おまえ、スバルさんに怒られたのか?」

そう言ってにやにや笑うと、金髪の少女は頬を膨らませて、

「まあな。命令を聞かなかったわけだから仕方ないと思っているが」

その日、天馬騎士団と黒獅子騎士団は共同戦線を組んで敵と交戦していたのだが、戦いが長引くのを不利と見た、天馬騎士団長オージン・スバルと黒獅子騎士団長ティグレ・レオンハルトが阿吽の呼吸で退却を命じたところ、天馬騎士団の一部が敵の追撃を受けて崩壊しかけたのを、セイが一人で飛び出して救出に向かったのだ。

「あの馬鹿」

それに気づいたシーザーも単騎で彼女の後を追い、どうにか2人で戦線を支えて逃れることに成功していた。

「でも、あのときはああするしかなかったんだ。わたしが行かなければ、もっとたくさんの仲間が死んでいた」

同志を思う少女の心には共感を覚えたものの、

「それはそうかもしれないけどよ。スバルさんはおまえを心配したんだよ。あんまり無茶するんじゃねえぞ、ってな」

無謀とも言える行動でセイの命も危機に瀕していたのを証明するかのように、彼女の右の頬に白い絆創膏が大きく貼られていた。まだ成長しきっていない少女の肢体は無数の傷に覆われているはずだったが、そんな娘の青い瞳がまじまじと自分を見つめているのに気づいてシーザーはたじろぐ。

「なんだよ。どうしてそんなにじろじろ見るんだよ」

「いや、おまえもわたしを心配してくれてるのかな、と思って」

ばくばく言い出した自らの心臓に当惑しながら、シーザーは彼女から視線を逸らして、星の少ない夜空を見上げた。

「ちげえよ。おまえのせいでおれまで死にかけたから文句を言いたいだけだ」

「嫌なら助けに来なければいい」

素直な思いを言葉にできない少年は、むぐぐ、と唸ってから、

「ダチが危なくなっているのを見捨てられるか」

とほとんど叫んでいた。出会った当初は険悪だったセイとシーザーは何回もの衝突を経るうちに、友情らしきものを育みだしていた。もっとも少年の中では友情以外の感情も確実に大きくなりつつあったのだが。

「それはすまなかった。確かにわたしだっておまえが危なかったら絶対に無視はしないからな」

まっすぐな性格の少女は陳謝してから、ふふふ、と鈴が鳴るように微笑んで、

「団長にも『命を粗末にするな』と叱られたのだが、でも、それは違うんだ」

「どう違うんだよ?」

セイはもう一度微笑みを浮かべると、

「わたしは命をとても大事なものだと思っている。そして、だからこそ今こうやって無事でいられるのだと思っている」

「話が見えねえよ」

「鈍いやつめ」と言いたげに、冷ややかに隣の少年を一瞥した少女は、

「昔、ある人が言っていたんだ。『大事な物をずっと握りしめている必要はない。本当に大事なら、一度手放したとしても必ず戻ってくる』とな。そう言われたことはずっと覚えている」

少し前にシーザーはオージン・スバルとたまたま話をする機会があった。少年にとって雲の上の存在と呼ぶべき騎士団長が、

「セイのことをよろしく頼む」

と頭を下げてきたのに驚愕しつつも恐縮したのを、少女の話を聞きながら思い出していた。

「おれみたいなぺーぺーに何ができるんですか」

思わずそう問い返していた。スバルほどの立派な戦歴を誇る勇者にできないことが、青二才の自分にできるはずもない、と当然のごとく思ったからだが、

「同じ年頃の人間にしかわからないこともある。あいつの話し相手になってくれ」

そう言った男の苦み走った顔に浮かんだかすかな笑みに少年は見とれてしまい、「こういう人になりたい」と心から憧れていた。強さと優しさを兼ね備えた戦士。それがシーザー・レオンハルトの理想像となった瞬間だった。そして、貴族でありながら少女でありながら騎士になろうとしているセイをスバルが心から案じているのを知って、未熟な少年としても意気に感じるよりほかになかった。そして、そのとき、少女が母親を亡くしたばかりだというのもスバルの口から知らされていた。

(それを言ったのは、こいつのおふくろさんなのかもな)

孤児だったシーザーでも親の愛情の大切さはなんとなくわかっていたので、茶化すことなく口をつぐんでいた。

「だから、わたしは決して命を捨てようとしているわけではない。ただ、一時の間手放しているだけだ。必ず戻ってくると信じて、もう一度つかみ取ろうと思って、手放しているだけだ」

単純な脳味噌の持ち主である少年にはセイの言っていることは難しすぎたが、彼女の思いが真剣なことが、そして、焚火に照らされている顔がとても美しいのはよくわかった。

「それをスバルさんにも言ったのか?」

「言った」

「で、なんて言ってた?」

「何も言われなかった。『次からは気を付けろ』って頭を一発叩かれて、テントから追い出されて、それでおしまいだ」

さすがのオージン・スバルも天真爛漫な少女を扱いかねているようだ。謹厳実直な騎士の困り顔が目に見えるようで、シーザーも笑いそうになる。

「で、おまえはどうだったんだ、シーザー」

セイがにやにや笑いかけてきたので、どきり、としてしまう。

「なんだよ急に」

「いや、おまえもじいちゃんに怒られたんじゃないか、と思ってな」

「その『じいちゃん』っていうのをやめろよ、おれの親父だぞ」

「じいちゃんはじいちゃんだから仕方ないじゃないか」

シーザーの育ての親であるレオンハルト将軍のところにセイはよく通っては稽古をつけてもらっていた。

「せっかく来たんだから茶でも飲んでおけ」

稽古が終わると老騎士は必ず茶と菓子を傷だらけになった少女に振る舞っていたので、

(おれはおやつなんかもらったことねえぞ)

といつもぞんざいに扱われている息子としては不満を感じずにはいられなかったのだが、セイを可愛がりたくなる気持ちは大いに分かったので、それを口にすることもできなかった。

「それでどうだったんだ?」

「いや、特に何も言われなかった」

金髪の少女騎士は目を丸くして、

「え? 本当か? じいちゃん、怒らなかったのか?」

「嘘ついたって仕方ねえだろ。おれだって驚いたんだ」

へえ、とセイが短めのポニーテールを揺らしているのを見ながら、シーザーもついさっき起こったことを思い出す。友人を助けるためとはいえ、勝手な行動をとったことは事実だったので、呼び出される前に自分から父であり上官である将軍の元に出頭したのだが、少年の顔を見るなり「やれやれ」と言いたげに「アステラの猛虎」は溜息をついて、

「騎士としては失格だが、男としては正しい行動だからな。わしには何も言えん」

と速攻で追い払われてしまった(ただし、違反したのは事実なので、後で副長から掃除当番をするよう命じられはした)。いつものようにボコボコにされるのを覚悟していたシーザーは呆然とするしかなく、自らの恋心を将軍に見抜かれているのにも気づくはずもなかった。

「それは珍しいこともあったものだ。霊峰ヒーザーンが崩れ落ちるくらい珍しい」

「そんなわけあるか。てめえ、人の親父を馬鹿にするんじゃねえよ」

シーザーが歯を剥き出しにして怒ると、

「悪く思うな。冗談だ」

セイににっこり笑われて何も言えなくなる。そして、

「今日はおまえに助けられたから、次はわたしがおまえを助ける番だ。この恩は忘れないから、そのつもりでいろ。絶対に恩返ししてやるから覚悟しておけよ、いいな?」

感謝しているつもりかもしれないが、何故か脅迫めいた口調になっているのに少年は首を傾げたものだった。その後本当にセイは何度となくシーザーのピンチを救うこととなり、彼は彼女に頭が上がらなくなってしまうのだが、今、アルとの決闘において絶対の危機に立たされたシーザーをセイはまたしても救おうとしていた。







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