第93話 女騎士さん、老将軍に会いに行く(後編)

「どうなっている、と言われても」

金髪の騎士は質問の意図がわからずに困ってしまう。

(この様子だと、あの馬鹿はまだ告白してはおらんのか)

やれやれ、と老人は言いたくなる。シーザーがセイに気があるのは養父である彼の目から見ても明らかなのだが、戦場での勇敢さは何処へやら、臆病風を吹かせて目当ての女子にアタックしない息子を歯がゆく思っていた。もう一方の、アリエル・フィッツシモンズには以前、まだ戦争が続いていた頃に一度稽古をつけたことがあった。たまたま用事があって騎士団の本部を訪れたところ、天馬騎士団の期待のホープとしてセイから紹介されたのだ。いかにも才気走って見えたが、そういう若者はえてして自らの能力に寄りかかって肝心な場面で役に立たない、というのを老騎士は経験上知っていた。

(いざという時にセイジアの邪魔になっても困る)

と考えた将軍は少年の本性を確かめるべく稽古の名目で叩きのめすことにした。これを乗り切れれば女騎士の片腕として十分役割を果たせるということであり、乗り切れなければ早めに悪い芽を断ち切れるということで、どっちに転んでも悪くないと思っていたが、意外なことにアルは何度吹き飛ばされても食らいついてきた。

「もう一度お願いします!」

整った容貌を血まみれにしながら立ち上がろうとする気迫に、

(なるほど。才能ではなく闘魂こそがこの小僧の一番の武器か)

少年を騎士として認めるとともに、彼の上官であるセイもそれを見抜いていたのだろう、と考えた。そして、上官を見つめる少年の目に恋心を見て取って、息子に手ごわいライバルが出現したことにも気づいていた。

(まあ、美しい女性に声をかけるのは気後れする、というのは、わからんでもない。ましてやセイジアはうちの馬鹿息子やこまっしゃくれた小僧っ子よりも腕が立つと来ている)

将軍も若き日に恋心を抱いたこともあったので、恋愛に必要な勇気と戦場での勇気が別個である、というのに理解を示さないわけではなかったが、それにしたところであまりにも長い片想いではないか、と思わずにはいられなかった。蕾の期間が長すぎると花として咲くことは出来ない。シーザーもアルもそろそろ覚悟を決めるべき時が迫っているのだろう。

(それにしても)

将軍は隣に腰掛けたセイをあらためて眺める。襟元にファーをあしらったダークグリーンのジャンパーとデニム。色気などかけらもない服装だったが、贔屓目でなく美しい、と言えた。しかも、最後に会った時よりもずっと女らしくなっていた。騎士団にいた頃に常に身にまとっていた張り詰めた空気が若干緩んで、男の目を引き付けずにはおかない、と老境にある騎士にも感じられた。

「なんだよ、じいちゃん。人の顔をじろじろ見て」

「いや」

女子の顔を遠慮なしに見つめていた自分に気づいた老騎士は笑ってしまってから、

「スバルに今のおまえを見せたかった」

と思わずつぶやいていた。騎士としての育ての親、とも言える今は亡き男の名を耳にしたセイは俯いて、

「わたしはちょっと気が進まないな」

「何故だ?」

「だって、今みたいにふらふらしている姿を見たら、あの人にきっと叱られる、と思うから」

しょんぼり沈み込む金髪の騎士の頭を老人の分厚く傷だらけの掌が撫でていた。

「じいちゃん?」

将軍に優しくされるのは珍しいのでセイは驚く。

「おまえは子供の頃から戦い通しだった。少しくらいふらふらしても、スバルは大目に見てくれるさ。それに、騎士団を辞めさせられたのも、婚約が上手く行かなかったのも、おまえが悪かったのではなく、相手に見る眼がなかったからだ。気にせんでもいい」

女騎士は息を飲んでしまう。老人の発言はかなり衝撃的なものだったからだ。婚約の件はともかく、騎士団の件に関して言えば、彼女の退団を決定したのは国王なのだ。忠義に厚い将軍から、主君を批判する言葉が出るとは信じがたいことだった。

「スバルはおまえを自慢に思っておったよ」

それは事実だった。オージン・スバルと酒を酌み交わすことはたまにあったが、そのたびに「うちのセイ」の話をしつこくされて閉口したのを今となっては懐かしく思い出す。

「それが本当なら嬉しいのだが」

「なんだ? わしが嘘をつくように見えるか?」

いや、とセイは噴き出して、

「他ならぬじいちゃんの言うことだ。信じよう。信じることにする」

機嫌を直した女騎士は、ふふふ、と笑ってから、

「じゃあ、わたしからも言わせてもらうが」

「なんだ?」

青い瞳で老人の顔を見つめて、

「余計なことだと思うが、シーザーともっと仲良くした方がいい」

本当に余計なことだ、と思った老騎士の顔が苦り切るのを見て、セイはもう一度声を出して笑う。

「じいちゃんのためじゃない。シーザーのためだ。あいつは親孝行をしたがってる」

それは老人も気付いていないことではなかった。孤児から一人前の騎士に成長した息子が自分を慕ってくれているのはよくわかっていて、嬉しく思ってもいた。だが、男同士の付き合い方、というのは親子といえどもべたべたしたものであってはならない、というこだわりが「アステラの猛虎」と呼ばれる男の中には確固としてあった。

(その辺の機微を説明したところでこの娘にはわからんだろう)

とはいえ、彼女の善意を無にするわけにもいかないので、

「考えておこう」

とだけ言っておいた。

「ああ、考えておいてくれ」

女騎士は罪のない笑顔でそう言った。

それからしばらく、他愛のない話を続けた。戦場での思い出話、騎士を辞めてからのセイの様々な体験、老将軍の田舎での隠居暮らしなどを語り合っているうちに、いつしか日は西に傾きだしていた。

「じゃあ、そろそろおいとまさせてもらおう」

セイは立ち上がると尻についた土を手で払う。

「何処かに馬を預けているのか?」

「いや、歩きで来たんだ。正確には歩きと走りの半々、という感じかな。2時間くらいで着く。新年で身体がなまっていたから、ちょうどいい運動になる」

おいおい、と老人は呆れる。普通に歩いて一日かかる距離を散歩みたいな感覚で往復するのはいかがなものなのか。

「本当のことを言えば、じいちゃんに久々に稽古をつけてほしかったのだが」

「よさんか。年寄りの冷や水もいいところだ」

遅れて立ち上がった老人の目は女騎士がさらに強くなっているのを正確に見抜いていた。本気ではなくても、そのような相手とやりあって無事でいられる自信は彼には無かった。もっとも、ティグレ・レオンハルトの実力は今でも健在で、つい最近も近所の村を襲った窃盗団をひとりで全員捕えた、という事件もあったのだが、それを話せばセイがますます稽古をつけてほしがるのは火を見るより明らかだったので黙っていた。

「今度はじいちゃんがわたしのところまで来てくれ。そのときは、わたしの作ったごちそうをたらふく食べてもらう」

「そのうちにな。おまえと一緒に住んでいる色っぽい占い師には一度お目にかかりたいものだ」

「ははは、『アステラの猛虎』がリブに骨抜きにされるのが楽しみだ」

仔猫になってしまうかもな。そう笑ってから、よく光る眼で老人の顔をじっと見て、いきなりセイは老いてなお屈強な肉体に抱きついた。

「おい。何をする」

「じいちゃん。いつまでも元気でいてくれ。でも、もしも、病気になって歩けなくなったら、わたしが面倒を見るから」

女騎士の声が潤んでいたせいか、将軍の乾いた精神も若干湿っぽくなる。

「若い者の迷惑になるつもりはない」

「お互い様さ。わたしだってじいちゃんにたくさん迷惑をかけたんだ。そのお返しをすると考えてくれ」

こうなると頑固な娘だというのはよく知っていたので、

「わかった、わかった。そうならないように毎日体操でもして体を鍛えておこう」

「食事にも気を付けてくれよ。肉ばっかり食べてちゃダメだぞ」

「何を言うか。最近は自分の畑で取れた野菜を毎日食べておる」

なら安心だ、と笑ってから、セイは身体を離し、

「じゃあな、じいちゃん」

大きく手を振り、柵を軽々と飛び越える。

「セイジア!」

背中に大きな声をかけられて、女騎士は振り向く。

「ドゥコのことはよくやってくれた。上官として礼を言う」

セイはわずかに微笑んで、

「当然のことをしたまでだ」

とだけ言って、たったったっ、と農道を駆けていく。あのまま都まで走っていくつもりなのだろうか、と呆れる思いで眺めているうちに、女騎士の姿は見えなくなっていた。

(図体は大きくなっても、中身は子供のままだ)

遅れていた作業に取りかかりながらも、女騎士のことを考え続ける。

(若く美しく強い「金色の戦乙女」を誰も抛ってはおかんだろう。セイジアの人生はこれからも波瀾万丈なものになるに違いない)

ざく、と鍬をふるうたびに、掘り返された土の強い香りが冬の空気に溶け込む。

(何よりわしがあの娘を抛っておくことができん。まったく、面倒をかけてくれるものよ)

暮れかけた空に低くかかった太陽を見ながら、老騎士は思う。

(ドゥコよ、それに先に逝った者たちよ。すまんな、わしはまだおまえたちの元に行くわけにはいかんらしい)

かつての部下たちに詫びながらもレオンハルト将軍は手を休めることなく畑を耕していく。その代わり、今夜は彼らのことを思いながら一人で酒を飲もうと考えていた。それが老いた騎士なりの悼み方でもあるらしかった。


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