第49話 吟遊詩人、歌姫に会いに行く

「つまんない、つまんない、つまんなーい」

アステラ王国一の最高級ホテルの最上階を占めるスイートルームにいながらも、歌姫アゲハはご機嫌斜めだった。ふかふかしたソファーに腰掛けて駄々をこねている。今日も夜から貴族の邸宅で歌を披露することになっているのだが、全くもって気が進まないのでドタキャンしてやろうかと思っていた。

「やっぱりこんな田舎に来るんじゃなかった。早くマズカに帰りたい」

14歳の天才歌手の銀髪は湯上がりということもあって、しっとり濡れたままセットもされず背中まで垂れていた。短めの白いガウンに身を包んだその姿は妙になまめかしく、その正体が少年であることを忘れてしまいそうになるが、逆に少年だからこそいいんだ、と一部の好事家が主張しそうな奇妙な美しさもあるにはあった。

「辛抱しろ。『ブランルージュ』が終わるまで帰るわけにはいかない」

ダキラ・ケッダーはお抱えのタレントのわがままを注意していたが、ふかふかした高級カーペットに横たわったまま言い聞かせたところで説得力などあるはずもなかった。しかも、その横顔はアゲハの白い右足に踏みつけられている。

「うるさいなあ。足ふきマットは黙っててよ」

ぐりぐり、と踵を押しつけられて青年の顔が苦痛に歪む。

「おまえ、いい加減にしろよ。いつまでもいい気になってるとぶっとばすぞ」

「なに言ってんだか。わたしにいじめられてうれしいくせに」

げしげし。とうとう歌姫はダキラの顔を蹴り出したが、男は呻きながらも避けも逃げもしないところを見ると、「彼女」の言っていることは当たっているのかもしれない。加虐の喜びに蝶の名前を持つディーヴァの瞳が赤く妖しく輝きだしたところで、

「お取り込み中のところ、誠に申し訳ありません」

のんびりした声をかけられて、彼らだけの世界にいた2人は目を覚ます。

「少しお時間を頂戴したいのですが」

カリー・コンプが涼しげな微笑みをたたえて広い部屋の中央に立っていた。

「おまえ、いつの間に」

慌てて立ち上がったダキラの顔は度重なる打撃で赤くなり、カーペットの毛羽も付着していた。吟遊詩人は面会の予約を取っていない。そうなると、アポ無しで来たことになるが、このホテルには厳戒態勢が敷かれていて一般の宿泊客でも出入りに苦労するほどだった。人気絶頂のタレントを守るためにマネージャーである青年がとった手立てであったが、それを彼の目の前に立っている盲目の詩人があっさり破ったことになる。

「どうやってここまで来た?」

「ちょっとお願いしたら通してくれましたよ。みなさん親切で助かります」

いけしゃあしゃあと言いやがって、と思ったが、それがただの「お願い」ではない、というのはダキラにはよくわかっていた。カリーが荒事を苦にしない、というのをこの前思い知らされていたからだ。

「それで何の御用なの。かわいいわたしを袖にした、いけずなお兄さん」

ソファーに腰掛けたままアゲハが妖艶に微笑む。

「いや、その節は大変失礼いたしました。で、まさにその件についてお話しに来たのですが、やっぱり申し出を受けさせていただこうと思いまして」

「あら。ということは」

「はい。大晦日はあなたと共演させていただきたいのですが」

自分の思い通りに行ったはずなのに歌姫は冷ややかな声で、

「どうして考えが変わったのかしら?」

と訊ねた。

「考えが変わってもいますが、変わっていない、とも言えます」

「と言うと?」

「あなたと共演するのは気が進まない、と今でも思っているのですが、それでもやるべきだ、と思うようになったのです」

わけのわからないことを言いやがって、とダキラはかっとなったが、

「ならいいわ」

アゲハは頷いた。

「コロコロ考えを変える人間は信用できないし、あなたなりの信念で動いているみたいだから、それならそれでいいわ。わたしの思い通りにしか動かない人間もわたしは嫌いなのよ」

セイジア・タリウスがこの場に居合わせたら「本当にわがままだな」と呆れそうなことを言ってから、すっ、とアゲハは細長い脚を詩人に向けて延ばした。

「おいでなさい。あなたもご褒美に踏んであげるから」

くいくい、とつまさきが手招きするように動く。それは船乗りを破滅させるセイレーンの歌のような蠱惑的な力を帯びていたが、

「そちらへ行ってしまうと、戻れなくなりそうなので、遠慮させていただきます」

カリーは頭を下げて断った。

「あら、つまらない。戻れなくなるからいいんじゃない」

アゲハは溜息をついてから、

「せっかくだから、この前の質問にも答えてあげようかしら」

と言って立ち上がった。

「無理に答えていただかなくても構いませんよ」

カリーが眉をひそめたのは、彼は自分の質問をしっかり覚えていたからだ。声変わりはまだなのか、と予選会が終わった後で、少女にしか見えない少年に彼は訊ねたのだ。

「別にいいわよ。わたしが答えたいんだから」

くすくす、と「彼女」は笑うと、

「声変わりはもうしてるわ。わたしもそういう年齢だしね。でも、そう聴こえないのはちょっとしたテクニックを使っているから。それだけの話よ。どう、これで満足?」

「はあ。やはりそういうことですか」

詩人は相変わらず眉をひそめたまま頷き、その甘いマスクを歌姫は興味深そうに見つめる。この美形もいずれ我が物にしてしまおうか、と王位を窺う簒奪者のように「彼女」が考えていると、

「おい、アゲハ。おまえ、なんて恰好をしてる」

ダキラが注意したのも当然だろう。アゲハが身に着けたガウンの前がはだけて、裸の身体があからさまになってしまっていた。少女にはついているはずのない、少年にも似つかわしくない雄大な代物も当然見えてしまっている。

「いいじゃない。この人にはわかりっこないんだから」

けらけら、と笑うとアゲハはまたソファーへと腰掛ける。

「じゃあ、ダキラくん。この方を表までお送りして。くれぐれも失礼がないようにね」

そう言われただけでも不愉快だったが、

「ご面倒をおかけします」

見送られるのがさも当然であるかのようにカリーが頭を下げたので青年は心底むかむかした。だが、歌姫の命令に背くわけにもいかないので、

「行くぞ」

と言って、扉へと向かった。

「それでは、アゲハさん、失礼します」

「カリーくん、ばいばーい」

挨拶を交わす2人を見てダキラは舌打ちすると「行くぞ」ともう一度促し、吟遊詩人とともに部屋を出ていった。

「さて、と」

豪華なスイートルームに自分一人だけになると、ふんふーん、と鼻歌を歌いながら、アゲハはペティキュアを塗り始める。爪が光沢を帯びた紫に染まっていくのを、満足げに眺めていると、自分の下僕と化した青年がいつの間にか戻ってきていた。

「どうかした?」

そう訊ねたのは、心ここにあらず、という顔をダキラがしていたからだ。

「いや、その、なんというか」

少し言い淀んでから、

「警備員が全員眠っていた」

「はあ?」

流石の歌姫もこれには驚く。

「この階も、途中の階段も、玄関もみんな眠っていた。赤ん坊みたいにぐっすり眠ってやがった」

ふーん、と感心してから、

「カリーくんの仕業か」

アゲハはにやりと笑う。

「おい、本当にいいのか? あいつ、何か妙なことを企んでるんじゃないか?」

「かもしれないけど、別にいいじゃない。どうせ最後に勝つのはわたしなんだから」

マズカの天才歌手は青年に流し目を送ってから、

「ほら、嫉妬しないの。あなたを見捨てたりしないから。わたしのかわいいワンちゃん」

そう言われるとダキラの顔が苦しげに歪んだ。見えない首輪が首に嵌まっているのを思い出したかのようだ。

「じゃあ、わたしもそろそろ本気になろうかしら。大晦日までに調子を上げておかないとね」

どうやら今夜はキャンセルせずに済みそうだった。気まぐれな歌姫がやる気になってくれたのはいいとしても、吟遊詩人が参戦したことに、ダキラ・ケッダーは言い知れぬ不安を覚えずにはいられなかった。


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