第37話 女主人、女騎士さんに会いに行く
林の中でセイジア・タリウスが一心不乱に剣を振っている。昨夜、「くまさん亭」で中年騎士から借りたものをそのまま使っていた。「影」にひびを入れられてしまい、武器としてはもう使い物にならないのだから、自分の稽古に使わせてもらおう、と「借りパク」を堂々と正当化していた。女騎士はただ漫然と素振りをしているわけではない。時折素早く動き、高く飛びながら剣を振っている。目の前に敵がいるのを想定して剣を振っている。ひとりだけの稽古とはいえ、限りなく実戦に近いものだ、とシーザー・レオンハルトかアリエル・フィッツシモンズがこの場にいたならレベルの高い鍛錬に賛辞を贈ったに違いなかった。日は既に高く、本来なら食堂に働きに出ている時間だったが、今日からはその必要はない。そのことを考えまい、とすることでいつもより稽古に熱が入っていることは、セイ本人にも否定できなかった。
「ふう」
ようやく動きを止めた少女の額から汗が滴り落ちる。激しい運動を終えた後の余韻にひたっていると、ぱちぱちぱち、と背後から拍手が聞こえた。見ると、ノーザ・ベアラーが微笑みを浮かべて立っている。いつものTシャツとデニムではなく、黒いレザーのジャケットとズボンを身に着けていた。
「おかみさん」
予想だにしない来訪者にセイが驚いていると、
「大したもんだ。あんたの本職はやっぱりそっちなんだろうね」
と言いながら女騎士に近づいてくると、
「リブ先生にこっちにいると聞いたんだ」
横倒しになった大木に腰掛けた。
「どうしたんです、一体?」
「あんたに話がある。結構長くなると思うから、店はオーマたちにまかせてきた」
そう言って、倒れた木の幹をポンポンと叩く。隣に座れ、ということなのだと理解したセイもそこに腰掛ける。しばらくの後、ノーザが口を開く。
「あんたは子供の頃に騎士になって、それ以外で長く仕事をしたのはうちが初めてなのかい?」
「まあ、そうですね」
セイジア・タリウスの人生はアステラ王国の国民ならば知らない人はいない、といってもよかった。ノーザも当然知っていた。
「だったら知らなくても無理はないかもしれないが、仕事っていうのは辞める時にもそれなりのルールがあるんだ。『やめます』『はい、そうですか』なんて具合に簡単に行くもんじゃない。まあ、何処かにそういう店もあるかもしれないけど、少なくともわたしの店はそうじゃない。そういうのを許すつもりはない」
女主人は店をもうやめたつもりになっていた少女を睨んだ。
「特にあんたは、わたしに黙って裏でこそこそと動き回ってたんだ。良かれと思ってやったのはわかってるし、店を守ってくれたのは感謝してる。でも、店長のわたしに隠しごとをしていたのには腹が立ってるんだ。はっきり言って、かなりむかついてる。そこをちゃんと説明しないことには、わたしはあんたを許さないからね」
返す言葉がなかった。悪党どもの相手を一人で引き受ける、というのは建前で、結局は正体を知られたくない、という自分可愛さで動いてしまっていたのは否定できなかった。ノーザ・ベアラーを裏切っていたことに気づいたセイは深く頭を垂れた。
「すみませんでした、おかみさん」
意気消沈している娘を見て女主人は苦笑いを浮かべる。
(この子はどんなときもまっすぐだね。まっすぐに笑って、まっすぐに落ち込む)
「悪いと思ってるなら、洗いざらい説明しておくれ。どんなに時間がかかってもいいから、ちゃんと話しな。昨日はわたしもいっぱいいっぱいだったから、そのまま帰しちまったけど、話を聞かないことには始まらないしね」
それからセイはノーザへと話し始めた。「フーミン」の悪辣な手口にどのように立ち向かったかを、包み隠すことなく語った。
「そりゃ、あんたもご苦労だったね」
長い時間の後、全てを聞き終えた女主人はそれだけつぶやいた。だが、その胸中は冬の海のように荒れ狂っていた。自分の知らなかった危機に恐れおののき、それに単身対処した女騎士への感謝の念が入り混じり、とても整理がつけられない。
「でも、わたしのせいで危うく取り返しのつかないことになるところでした」
そう言ってうなだれたセイをノーザは見つめる。
「なんのことだい?」
「わたしのせいで、ポーラがさらわれて、おかみさんにも心配をかけてしまって。わたしさえいなければ、あんなことにはならなかったのに」
「大人を舐めるんじゃないよ、セシル」
隣に座った女主人に怒鳴られて、少女は目を大きくする。
「いいかい? 子供に何かあったときは親が責任を取るものなんだ。取らなきゃいけないものなんだ。それを他人が勝手に引き受けようとするなんて、思い上がるんじゃないよ。あんたがどんなに立派な人間だろうと、それはできない話なんだ。やっちゃいけない話なんだ。よく覚えておきな」
激しく燃え盛る炎のような叱責にさすがの女騎士も沈黙するしかない。
「だいたい、わたしがポーラの面倒をまかせっきりにしていたからこういうことになったんだ。それをそっちのけであんたひとりのせいにしたら、わたしはひとでなしになっちまうじゃないか。だから、わたしの責任、ということにしておくのが一番いいのさ」
「失礼なことを言って申し訳ありません」
しょんぼりしながらもセイは頭を下げ、それを見たノーザは笑って、
「まあ、あんたも母親になったらわかる話だろうさ。あ、そうだ。あんたが子供を産んだら、わたしにも抱かせておくれよ。あんたの子ならきっとかわいいに決まってるから」
「わたしが、子供を?」
金髪の少女がきょとんとした表情を浮かべる。
「そうだよ。なんだ、あんた生まないつもりなのかい?」
「いえ、それ以前に、わたしみたいながさつな女が結婚できるとも思えないので」
ノーザ・ベアラーは心底呆れた。
(何言ってんだか。あんたなら引く手あまたに決まってるじゃないか。昨日の団長さんも副長さんも完全にあんたにメロメロだったのに)
そんな相手の思いは知らず、セイは落ち込んだままで口を開く。
「わたしが急に辞めて、店は大変じゃないですか?」
「まあ、人が減って大変じゃない、というのは有り得ないんだけど、とりあえず今日からチコに復帰してもらってるから」
「チコさん、まだ怪我は治ってないんじゃないんですか?」
「お医者さんの話だともう少しかかるそうだけど、本人がやる気だからね。それならしょうがないってものさ」
女主人は無表情を装おうとして失敗していた。見習いの少年の成長が嬉しくてならない様子だった。
「それに、今回のことがなくても新しく人を雇うつもりでいたからね。コムの友達で腕のいいやつがいる、と聞いてるから今度会うつもりだったんだ」
「そうだったんですか?」
驚く女騎士にノーザは笑いかける。
「実は年明けからあんたをよその店に行かせるつもりだったんだよ、セシル」
「はい?」
セイはさらに驚く。
「わたしの知り合いから、人が足りなくて困ってる、って相談されてたんだ。そいつはわたしよりも厳しいんだけど、あんたならやれると思ったし、同じ店で働いてるだけじゃ成長しないからね。そして、ゆくゆくはあんたが自分の店を持ってくれたらな、と思ってたけど、まあ、そこはあてがはずれちゃったのかね」
彼女が名高い騎士とわかった以上、どこの店でも働けはしないだろう。店員としてこき使うには、この少女は偉すぎるのだ。残念に思いながら、女主人は微笑んだが、隣の少女が俯いて、ぐすぐす、と鼻を鳴らし、かすかに肩を震わせだしたので驚いてしまう。
「どうしたんだい、セシル?」
「わたしは、ずっと『くまさん亭』で働きたかった」
少し黙ってから、
「わたしは、ずっとおかみさんと一緒に働きたかった」
絞り出すように言うと、また鼻を鳴らした。
(そうかい。そんなにまで大事に思ってくれてたんだね)
暖かい思いが胸に満ちるのを感じながら、ノーザはセイの頭を抱き寄せた。金色の髪から、ふわり、と若草のようなさわやかな香りが漂ってきた。
「残念だけど、それは無理な話さ。人はいつまでも一緒にいられないものなんだ。どんなに大事な人でも、いつか別れは訪れるものなんだ」
かつて一番大切な人を失った人の言葉がセイの胸にしみていく。
「でも、それでも、前を向いて歩いて行かなけりゃならないんだ。それが人というものさ」
そう言いながら、ノーザは少女の涙で潤んだ青い瞳をしっかりと見つめた。
「だから、あんたも前を向きな。もっと成長しな。いつまでもめそめそしてたら、承知しないよ。短い時間でも、わたしはあんたをしっかり鍛えたつもりだ。それを忘れるんじゃないよ、いいね?」
力強い言葉を聞いたセイも、
「はい」
と力強く返事をする。
(頑張り屋で心の強い子なのはよく知ってるからね。もう心配は要らないよ)
と安心したノーザは立ち上がる。そろそろ店に戻らなければならなかった。
「あ、そうそう」
座ったままの女騎士を見ながら、
「今日の夜、店が閉まる頃に来てくれるかい?」
「何かあるんですか?」
んー、と少し言いにくそうにしてから、
「わたしも変わることにしたんだよ」
と女主人ははにかんだ。
「変わる、ってどういうことですか?」
「やっと踏ん切りがついたってことさ」
そう言いながら、ノーザ・ベアラーはセイジア・タリウスに笑いかけた。
「これもあんたのおかげかもしれないけどね、セシル」
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