第9話 少年騎士、客にシチューを振る舞う
「どうぞおめしあがりください」
アリエル・フィッツシモンズが作ったシチューが晩餐会の出席者たちの前に用意されていた。
「見た限りはさっきのシュバリエシチューと変わりがないようだが」
皿を覗き込んだ宰相ジムニー・ファンタンゴがつぶやく。
(ふん。さんざん待たせた挙句にこんなものを出してくるとはな)
「フーミン」アステラ支社長トビアス・フーパスは腹の中で嘲り笑う。
(見ただけでわかる。うちのものには到底及ばない)
銀縁の眼鏡をかけた男も食品業界で長く生きてきたので、料理の出来を見る眼はそれなりにあった。あの騎士も素人にしてはよくやった、と言うべきなのだろうが、野菜の切り方は甘いし、クリームのとろみも物足りない。彼が統括する店舗ではもっとクオリティの高いものを出しているはずだった。
(まあいい。あの生意気な騎士どもを完膚なきまでに叩きのめして、わが社の圧倒的な勝利をこの国のみならず本国にまで喧伝してやるのだ)
評判が皇帝の耳にも届けば、彼もより高い地位に引き立てられる可能性もあった。いや、可能性ではなく勝利はもう確実なのだ、と支社長は遠からずもたらされるであろう栄光に既に溺れていた。
「ともあれ、フィッツシモンズがせっかく作ってくれたのだ。われわれも心して食べようではないか」
人のいい国王スコットの呼びかけで、出席者たちは銀のスプーンを手に取り、湯気が立っているシチューを口に運んだ。
「む」
「マズカの黒鷲」ことソジ・トゥーインの目が見開かれていた。彼には美食をたしなむ習慣はなかったが、それでも、自分が今食べたものの真価はしっかり理解できていた。
(なるほど。さっきのレオンハルト殿の言葉は大言壮語ではなかった、ということか。そして、あの少年、アリエル・フィッツシモンズ、だったな。まだ若いのに大した心映えだ)
料理に感心したのは異国の騎士だけではなく、この大広間で少年の料理を口にした者は皆心を震わせていた。そして、自分たちを深く感動させた料理を作ったのが本職の料理人ではない少年騎士だということにも、より深く心を動かされていた。
(馬鹿な、馬鹿な。こんなことがあってたまるか)
ただ一人、トビアス・フーパスだけは負の方向に心を動かされていたのだが。絢爛豪華な大建築のごとき己の計画が、ガラガラと音を立てて崩壊していくのが、彼の耳にだけは聞こえるかのようだった。
「見事。実に見事だ。フィッツシモンズよ。わが騎士団の真のシチュー、味わわせてもらったぞ」
感動のあまり、立ち上がって賛辞を贈る国王に向かって、少年騎士は片膝をついて礼をとる。
「ありがとうございます、陛下。この若輩者には、まことにもったいない言葉でございます」
「フィッツシモンズよ。この料理には何か特別な技法を用いているのではないか?」
宰相ファンタンゴは少年の料理の素晴らしさは認めてはいたが、それをシーザー・レオンハルトが言うような「心」や「魂」によるものだとは思っていなかった。徹底的なまでの合理的精神が、彼を現在の地位にまで押し上げてきたのだ。
「恐れながら、宰相閣下。わたくしめは何も特別なことはしてはおりません。ただ、心を込めて作ったまでのことです」
「うむ。そなたの気持ち、余にも大いに伝わったぞ」
大きく頷く国王に向かってアルは語り出した。
「もともと、このシチューはわがアステラの騎士の間で古くから伝えられてきたもので、わたくしもその作り方を新米の頃に教わり実践してきたのです」
そう言ってから、少年の胸に迫る思いがあった。今この場にいない人を称えたい、という気持ちを抑えられなかった。
「わたくしの料理など、まだまだ未熟なものにすぎません。かつてのわたくしの上官であるセイジア・タリウスならば、もっと素晴らしい料理を皆様に振る舞えたはずです」
「なんと。タリウスは料理もできるのか」
驚く若き王を横目で見た宰相は、
「ずいぶんひさかたぶりに聞く名ですな」
と無愛想につぶやいたが、
「余は今でも折に触れて思い出しておる」
おおらかな気質の国王は気にせずに、再びシチューに手を出した。
(あの娘の料理ならばきっと美味いに違いない。居所が分かっていれば呼び寄せたいところであるな)
金髪の娘がエプロンを身に着けて笑顔でテーブルに自分のための食事の準備をしている様を、国王は脳裏に思い描く。だが、キャンセル公爵との結婚が破棄されて以降の彼女の行方は、王にもつかめていなかった。
「『フーミン』のシチューも素晴らしいものでした。短期間で完成度の高いメニューに仕上げたことには感激すら覚えました。その努力に心から敬意を表します」
少年はマズカ帝国側の招待客に丁寧に頭を下げる。
(これはきついな)
帝国の騎士は隣で苦り切る支社長を伺いながら苦笑いを噛み殺す。
(勝者に驕りがあれば、敗者にもまだ救いはあるのだ。だが、勝ってなお謙虚でいられると、文句のつけようもなくなってしまう。残念ながら、わが方の完敗だ)
潔く敗北を認める「マズカの黒鷲」の心中は知らずに、アルは話を続ける。
「しかしながら、このシチューにはアステラの騎士の心がこめられているのです。長きにわたって、数多くの人間が受け継いできた思いが、この料理にはあります。どのような高い技術があろうと、一朝一夕で作り上げられるものではないのです」
「うむ。わが騎士団に受け継がれてきた伝統、というわけだな」
「左様でございます、陛下。そして、喜ばしいことに民間でもその味を受け継いでいる場所があります」
少年の言葉に国王スコットは身を乗り出す。
「ほう。この料理を出す店があるというのか?」
「はい。騎士だけでこの料理を独占することは望ましくありません。ゆくゆくはわが王国全土にまで広まっていき、多くの人々がこの料理を食するために、このフィッツシモンズも及ばずながら尽力したい所存であります」
「よくぞ申した。今の料理ならばわが王国の民に幸せをもたらすこともできよう。アリエル・フィッツシモンズよ、本当のシチューを確かに味わわせてもらったぞ。見事であった」
「はっ。ありがたき幸せに存じます、陛下」
拍手を浴びながら自席に戻ったアルの肩をシーザー・レオンハルトの大きな掌が、ばんばん、と遠慮なく叩いた。
「さすが! やってくれたな、アル! おまえ、最高だよ!」
さらに強く叩かれて美少年は顔をしかめる。
「やめてくださいよ。一仕事を終えて戻ってきた部下を痛めつけるとか、どういう仕打ちなんですか」
「おれの尻拭いをやってくれたおまえには、何か礼をしなきゃいけないな。おまえが女ならキスでもしてやるんだが。いや、おまえだったら、男でも別に構わない気もするから、やるか?」
「それは礼じゃなくて罰になりますから絶対にやめてください」
アステラ王国の一部の女子が喜びそうな展開は、少年に即座に却下されて実現されなかった。
「だが、それだとおれの気が済まん。何かおまえのためにしてやりたいんだ」
「じゃあ、団長をぼくに」
「それは駄目だ」
食い気味どころか、食いちぎり気味、とでも言うべき速度で青年に否定されて、
(レオンハルトさん、本気で団長が好きなんだな。まあ、ぼくの方がその何倍も好きに決まってるけど)
と、アルは心の中で溜息をつく。でかい図体をした男に恩返しなどしてもらいたくなかったが、感謝してくれているのはよくわかったので、それは確かにうれしく感じていた。
「おっ。連中のお帰りだ」
シーザーの言葉で見てみると、帝国の大使と騎士、それに「フーミン」支社長が大広間を出ていくのが分かった。すごすご、と擬音を付けたくなる足取りだ。
会場を出たところで、ソジ・トゥーインは他の2人を鋭く睨みつけてから、
「先に失礼する」
とだけ告げて、足早に立ち去った。
(陛下の命とあらば、この茶番にも付き合ったが、やはり帝国を強力ならしめるのはわが大鷲騎士団を始めとした兵力より他にないのだ。経済はあくまで二の次とすべきだ)
本国に戻り次第、上申すべき意見を頭の中でまとめだした「マズカの黒鷲」を呆然と見送っていた2人の男だったが、先に動き出したのはアステラ駐在大使ダニエル・オバンドーだった。
「お待ちください、閣下」
すがりつくような声をかけてきた「フーミン」支社長をいまいましげに見ると、
「貴様のおかげで要らぬ恥をかいたわ。この件は本国にも報告するから、覚悟しておくのだな」
そう言うと、大使は太った身体に似合わない速さで廊下を歩いていった。
(おのれ、どうしてくれよう。こうなったらもうなりふり構ってはいられない。あのいまいましい「影」の、そしてあいつの手も借りなければならないのか)
トビアス・フーパスの頭脳は混乱の極みにありながらも、生き残りの術を全力で模索していた。「くまさん亭」へと延びる「フーミン」の魔の手は、これで完全に撃退された、というわけでもないようだった。そして、再び晩餐会へと視点を戻す。
「おまえは謙遜してたけどよ、これだって大したもんだぜ。金を取れるだけの価値は十分ある」
アルの作ったシチューを音を立ててすするシーザー。
「マナーを身につける気はないんですか? レオンハルトさん」
「ねえな」
きっぱり言い切られて少年騎士は絶句するが、上官はそれに取り合わず話を続ける。
「まあ、確かにセシルさんのに比べると甘口で、向こうの方がおれの好みではあるな」
そう言うと、シーザーは天井を見上げてぼそっと呟く。「くまさん亭」のセシル・ジンバという娘の作ったシチューの味がまた思い出されたのだ。
「ああ、そうだな。今度またあの店に行くか」
「ぼくも連れて行ってくださいよ」
「なんでだ?」
不思議そうな目で見られてアルは憤る。
「なんで、っていうのはこっちのセリフですよ。どうして一人だけで美味しいものを食べようとするんですか? ぼくだってあの店にこの前行ったときに、すっかり気に入ったんです」
「そうなのか? いや、てっきり、おまえみたいな貴族のお坊ちゃんはああいう庶民的な店は苦手なんだろうな、って思ってたからさ」
「貴族を差別するのはやめてください。庶民のそういうところが嫌いなんです」
(それは差別じゃないのか)
支離滅裂なことを言い出した部下に呆れたシーザーは、
「わかった、わかったよ。おまえも連れて行ってやるから安心しろ」
「絶対ですよ。ひとりだけで勝手に行ったら、レオンハルトさんのこと、本気で嫌いになりますからね」
「わかったって。しつこいぞ」
そう言いながら、シーザーはシチューを口にして表情を歪めた。
「どうしました? 何か変なところがありましたか?」
自分の作った料理に不具合があるのを少年は当然望んではいなかった。
「このシチュー、美味いことは美味いんだけどよ」
そう言いながら青年騎士はアルを見つめた。
「食っていると、なんか腹が立ってくるのは、何故なんだろうな?」
「そんなの、あなただけですよ」
そう言って微笑むと、アリエル・フィッツシモンズは自分が作った、セイジア・タリウスへの恋心がたっぷり詰まったシチューを口へと運んだ。
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