第3章 女騎士さん、食堂を守る

第1話 開かれた戦端

アステラ王国の女騎士セイジア・タリウスが大衆食堂「くまさん亭」の店員セシル・ジンバとして働くようになって半年が過ぎようとしていた。季節が秋に変わりつつあったある日、女騎士は昼から買い出しに出かけて店へと戻ろうとしていた。

(あれ、ここにもできるのか)

セイが見上げた先には大きな看板があった。赤地に太い黒字で「フーミン」と書かれている。西の隣国マズカ帝国の大手レストランチェーンで、戦争が終結した直後からこの王国にも進出してきていた。

「味はそこそこだけど、なんといっても値段が安いのがポイントね」

少女が現在家に居候させてもらっている女占い師リブ・テンヴィーがついこの前そんなことを言っていたのを思い出す。好奇心の強い彼女は新しいものや流行を欠かすことなくチェックしていた。味に関してはセイが働いている「くまさん亭」の方が断然勝っている、と美女は心ときめかずにはいられないウインクとともに保証してくれたのだが、セイが気になっているのは「フーミン」の店舗の多さだ。最近では通りをまたぐとあの赤い看板が必ず見えた。1ブロックに2店舗も3店舗も建っている場所すらある。

(戦術としては間違っていない)

今でこそ地味な外見の女子店員に身をやつしてはいても、セイジア・タリウスは骨の髄まで騎士として出来上がっている。だから、世の中の出来事を全て戦争の一環として解釈してしまう。そんな彼女から見ると、「フーミン」は多大な戦力に物を言わせてアステラに確たる地盤を築こうとしているように見えた。外国の店が大量に出店してきている、という事実は王国民の愛国心を揺るがしかねないものではあったが、だからと言って法的あるいは倫理的に問題があることではないし、何よりセイは自分が料理人としてまだまだ未熟であるのを自覚していた。「フーミン」も一応は同業者ではあるが、遠い彼岸の出来事にしか思えなかった。

(今はわたし自身を成長させるべき時期だ)

そう考えて溜息をつくと、少女騎士は赤い看板から目を離し、店への帰り道を急いだ。最近では「シェフのきまぐれシチュー騎士団風」以外のメニューも徐々にまかされるようになってきて、調理を覚えるのが楽しくて仕方ない、というのも確かだった。余計なことを考えている場合ではなかった。


そうも言っていられなくなったのは、それから5日ほど経った日のことだった。朝、いつものように「くまさん亭」まで出勤してきたセイは、ふと店舗の斜め前を眺めて思わず絶句してしまった。

(昨日まであんなものはなかったぞ?)

だが、あの赤い看板が大きく掲げられているのは見間違いなどではなかった。彼女の働く店の直近にまで「フーミン」が新店舗を開店させてきたのだ。

「向こうからなんの挨拶もなかったけどねえ」

「くまさん亭」の女主人、ノーザ・ベアラーが溜息をつく。本来であれば昼飯時で店内は混み合っているはずだが、今日は客の入りもまばらだった。「フーミン」の前には行列ができていて、楽団がにぎやかに音楽を鳴らし、派手な格好のサンドイッチマンが開店を告げるチラシを道行く人に配っているのが見える。向こうに客を取られているのは明白だった。

「そんなの、こっちに喧嘩売ってるのと同じじゃないですか」

大柄な料理人のコムが憤る。ひょうきんな性格の彼にしては珍しいことだった。

「まあ、いい気持ちはしないのは確かだね」

おかみはもう一度溜息をつく。

「このやり方は仁義に反しますよ。同業者組合ギルドにかけあったらどうですか? うち以外の店もやられているって噂ですよ」

この店のナンバーツーであるオーマも苦々しい顔をしていた。

「そうらしいね。でも、この件に関してはギルドの動きも鈍いらしいから、言ったところでどうなるってものでもないと思うね」

もともと女主人は自分で出来ることは自分だけで解決したい、という考えの持ち主で、ギルドとの関わりも普段から必要最小限にとどめていた。

「じゃあ、どうするんですか? 黙って泣き寝入りするんですか?」

「わたしを舐めるんじゃないよ、コム」

ノーザの鋭い眼光に大男も思わずひるむ。セイは見習いの先輩であるチコが「おかみさんは元ヤンだったらしい」とつぶやいたのを聞いたことがあったが、その「元ヤン」とは何であるのかは、世事に疎い彼女にはわからなかった。そのチコは店内のテーブルを黙って拭いて回っていた。

「わたしはもともと負けるのが嫌いなんだ。特に料理に関して負けるのは絶対に嫌だね。だから、今度も絶対に勝ってやるつもりだ」

自分よりもだいぶ小さな女性が全身から気迫をみなぎらせているのに、コムは完全に飲まれていた。それでも、聞きたいことを何とか訊ねてみる。

「何か考えがあるんですか、おかみさん?」

「料理人が喧嘩を売られたら、美味しい料理を作るのが最高の勝ち方だ、って誰かが言ってたらしいじゃないか。わたしもそれと同じさ」

ノーザはセイの方を見ていたずらっぽく笑い、少女は思わず顔を赤くする。

(オーマさんかコムさんがおかみさんにしゃべったのか)

未熟者がのを知られてひたすら恥ずかしかったが、尊敬する女料理人が自分と同じ気持ちであることに嬉しさも感じていた。

「まあ、そういうことだ。どんな状況でも自分にできることをやっていくのに変わりはないんだ。だから、いつまでもグチグチ文句を言ってるんじゃないよ」

「おかみさんの言う通りだ。コム、チコ、セシル。今こそ踏ん張り時だ。しっかり頼むぞ」

小柄なオーマの言葉に3人は「はい」と頷き、それぞれの仕事へと戻っていく。しかし、セイの頭の中には「喧嘩」と言う言葉が渦巻いていた。ノーザもコムも「フーミン」の出店をそのように評していたのだ。

(そうじゃない。これは「喧嘩」ではなく「戦争」だ)

幾度となく戦場に立ってきた女騎士としての直感だった。相手はこちらを潰しにかかってきている。

(おかみさんの勇気は素晴らしい。だが、戦争は勇気だけでは勝てない)

「くまさん亭」に何も言わずにいきなり店を出してきた「フーミン」が何をやってくるのかわかってきたものではなかった。汚い手を使ってくるかもしれないし、必要とあらばこちらも汚い手を使わないといけなくなるかもしれない。いずれにせよ、ただ美味しい料理さえ作っていればいい、という問題でないのは明らかだった。

(初めてこの店の役に立てるかもしれない)

セイは思わず皮肉な笑みを浮かべそうになる。料理人として働いているのに、女騎士としての経験が生きるかもしれない、と思うと因果な思いを禁じ得なかった。

(だが、わたしのことはどうでもいい。とにかく、この店を、おかみさんとみんなを守るんだ)

決意を新たにした少女は、まず手始めに食器を洗うことにした。戦いが始まるまでは料理人としての務めをまっとうしたかったのだ。そして、戦いの機会がなるべく遠い時期に起こることも望んでいたが、残念ながらそうはならないだろう、とも思っていた。


それから10日経っても状況は変わらなかった。「くまさん亭」の客は減っていく一方で、通りの向こうの「フーミン」は行列が絶えないままだった。

(さすがにこのままだとまずいね)

厨房に立つノーザも不安だったが、店長である自分がそれを表に出せば、店員たちまで不安に陥れてしまう。どんな状況でも毅然としているのも主人の務めだ、と彼女は心得ていた。

「ありがとうございました!」

三つ編みの少女が客を送り出すのが聞こえた。心なしかいつもよりも声が大きかった気がする。苦しい状況でもせめて元気を出そうとしているのか、と思うと女主人はせつなくなってしまう。だが、厨房に戻ってきた彼女の顔には心からの笑顔が浮かんでいた。

「セシル、何かいいことでもあったのかい?」

思わずそう聞いてしまった。少女の顔は輝いて、そばかすもいつもより明るく見える。

「はい。ちょっとだけ、ありました」

そう言って、にこにこしながら洗い場へと戻っていったので、女主人も言葉を続けられなかった。

(セシルが頑張ってくれてるんだ。わたしが落ち込んでどうする)

ぱん、と両頬を叩いて気合を入れ直すと女店長は再び調理に戻った。

(さあ、これで向こうがどう出るか、だ)

シチューを煮ながらセイは胸を躍らせる。

(いつまでもやられっぱなし、というのもつまらないからな)

思わず鼻唄まで出そうになり、苦境になるほど燃える、戦いを楽しんでいる自分自身に気づいてセイジア・タリウスは苦笑する。結局、どうあがいても女騎士は女騎士のままらしい。何はともあれ、彼女の新たな戦いはこうして始まったのであった。

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