8.戴冠

 ディクライットの式典広場には多数の要人や騎士団の人間が密かに集まっていた。この式典が行われるのには意味があるが同時に公にはできない理由があった。

 王子はゆっくりと王が座る場所へと歩いていく。そこに座るのはディクライット王国の王であるクラウディウスその人だ。そこにリタの魔導士である男の面影は微塵もない。

 王子は王の前までたどり着くと跪く。それを見て王は頷いた。

「顔をあげよ」

 王子はゆっくりと顔をあげる。赤茶色の髪をゆったりと結えた王の落ち着いた目を見つめるとなんだか全てを見透かされたような気分になってくる。

「これよりアルバート・マーシャル=ホール・ロバーツ・ディクライットにディクライット王の冠を継承す。この場で異議のあるものはいないか」

 王の言葉は高らかに、しかし悠然と響いた。

 異議を唱えるものはいない。アルバートはその様子を見て心の中で安堵の声を漏らした。

「ではアルバートよ。そなたはこれからディクライットの王となる。覚悟は決まっておるか」

 覚悟。その言葉を反芻してまだ若き青年は目を瞑る。少しの時間をおいて彼は目を開いた。その瞳にはまだ迷いが宿っている。

「……陛下。一つだけよろしいでしょうか」

 口を開いた彼のことを、王は見つめていた。それは次に出る彼の言葉を待つ視線だ。アルバートはずっと口にできなかった質問を投げかける。

「何故、私なのですか」

「……王にということか」

「はい。王家の血筋……という縛りがあるとはいえ、私よりも能力の高い者、人望の厚い者は存在しています。それに貴方には息子のように思っている人がいる。そうでしょう」

 アルバートの手は震えていた。大丈夫、大丈夫とまじないを唱え続けても震えは消えない。これは彼が王子になった時からずっと昇華し得なかった、呪いのような疑問だった。

「……少し、話をしようか」

 王は左手を振ると密談用の魔法を二人の間にかけた。薄い膜が張られたのを見て、外にいる人間は理解したようで、二人の動向を眺めている。

「九年前のある雪の日のことだ。用事があって城下へ降り、帰城する道で私は一人歩いていた。護衛もつけずにという小言はその後散々当時の騎士団長に言われたのでここでは許してほしい。さてその時だ、雪が積もった道の下に張った氷に気づかず、転んだ少女がいた。膝を擦りむき泣いている少女の周りの雪は涙と流れた血でぐちゃぐちゃになっていた。私が声をかけようとした時、路地から飛び出してきた者がいた。……誰だと思う?」

「……」

「そなただ、アルバート。まだ成人もしていないそなたは焦ったように走って少女に近づくと泣いている彼女を落ち着かせるように頭を撫でた。そして傷を見て癒魔法をかけたのだ。とても暖かい光だった」

「陛下」

「はは、もう分かっただろう。そなたはそのままその子が落ち着くまでずっと隣で寄り添っていた。服が汚れるのも気にせず、だ。……私は気になってその後そなたが戻って行った屋敷を見て、ロバーツ家の息子だということを知った。汚れた服を問い詰められて一人で雪遊びをしていたなどと言い訳をするのはどうかと思ったがな」

「あ、あれは他にいい言い訳が思いつかなかったからで……」

「はっはっは。……そうだ、私にはもう一人息子がいると言ったな」

「はい」

「あれの事は確かに息子のように思っている。長い付き合いがあるからな。……しかし、養子の話を受けてくれたのはそなただ」

「……」

「人は誰しも決断をすることがある。何かに対してやると決めた事はたとえ流されて決めたことでも人の奥底に根付き、その後の行動の指針になる。ディランが選ばなかったこの国の王の道を選び、努力したのはそなただ。そうだろう?」

「陛下……」

「これは余談だがな。私たちリタの魔導士は命を繋ぐことができない。子供を作ることのできない私の息子になってくれて、それほど嬉しかったことはない。血は繋がってなくてもそなたは私の正真正銘の息子だ。そして次にこの国の王になる者はそなた以外には、いないのだよ」

 王の視線はいつになく優しかった。いつのまにか手の震えがおさまっていたアルバートは口を開く。

「……俺……私はこの国の為に一生を捧げることを誓います。その冠に相応しい器になれるかはわかりませんが努力を……貴方の息子としての使命をまっとうします」

「……よく言った」

 王は再び左手を振ると密談の魔法を解いた。皆が見守る中、王は両手で冠を持ち上げると跪いたアルバートの頭に被せた。王が促すとアルバートはゆっくりと立ち上がる。

「皆の者よく聞け! 今この時、ディクライット王国の新しい王が誕生した! アルバート王の誕生へ祝福を!」

 まばらに拍手が起きた。音に釣られて目を開いたアルバートは眼前に広がる人間たちの多さを目にする。

 沢山の人がいた。騎士団で見知った者。たまに城の中で見かける者。知らない顔の者も多くいる。

 ここにいる人間たちはこの国の国民の本のごく一部だ。遠く離れた村や街に住んでいる者、その付近で砦を守っている者、辺境で交易をしている者、その全てが自分の守らねばならぬ命だ。

 背中を優しく押されてアルバートは一歩前に出る。

「俺……私は決して偉大な人間ではない。ここにいる皆の中にも私のこれまでの振る舞いで即位に疑問を持つ者がいるだろう。けれどこれだけは言わせてほしい」

 アルバートは深呼吸をすると目を瞑る。再び開いた瞳には覚悟の光が宿っていた。

 彼の手のひらから迸ったのは魔法で作られた水だ。それは美しい流線を描いて会場の上方を舞って煌めいた。

「私が持っているのはこんな小さな力だ。私には特別な才能も知性も、皆に慕われる人格もない。……私にはほぼ何もないに等しい。それでもそんな私にこのような地位を与えてくれた皆に、報いたいと……この国に住む皆に平穏で幸福であってほしいと、そう願っている。……だからどうかこんな私に力を貸してくれないだろうか。……情けない王で申し訳ないと思っている。けれどこれから先、私は必ず先代クラウディウスにも劣らない聡明な王になることをここに誓おう! これが今の私が皆に返せる、精一杯の誠意だ!」

 アルバートの言葉はひどく辿々しかった。到底王の言葉とは思えない言葉に、放った本人が俯きかけたその時、小さな拍手が鳴った。

 それはアルバートの背後からだった。前王クラウディウスが彼に拍手を送っていた。

 続いてぱらぱらとまばらな拍手が起こり始めた。それは会場からでアルバートは俯きかけていた顔を上げる。

 会場の端には金髪の少女もいて、これでもかと言うぐらい手を叩いている。やがてそれは会場全体へと広がっていった。


 それはまだ始まりにすぎない。騎士団幹部の謀反のため怪我を負った陛下の後継として緊急で即位したアルバートは、それからの数年のことを『始まりの精霊が私に提示した試練のようなものだった』と称している。

 こうして多数の犠牲と変革を孕んだ通称ディクライット事変は、新たな国王の誕生とともにひとまずの幕を閉じたのであった。

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