第八話 博奕打ち
ある日の夕刻すぎ、源五郎が甚平屋を訪れた。実は、村中では源五郎だけが変わらず店に来てくれていた。他の村人には内緒で、たまさかのことにはなっていたが、おそのにはそれが救いだった。
「よぉ、おそのさん」
「あ、源さん…」
源五郎はあまり元気の無さそうなおそのに微かに微笑んでやり、それからつまらない天気の話や、米の出来具合の良かった事などを話していく。村人の話は一切しない。
その源五郎の気遣いが、おそのには嬉しいような、寂しいような気がした。でも、変わらず店に来てくれる源五郎は、自分を信じてくれているのかもしれないと思い、いつも少しだけ安心するのだった。
「そいでよぉ、野鍛冶に言ってぇ、春におっかいた鋤ぃ直そうと思っただがよぉ、「新しいもんこさえた方がはええ」だなーんて言われてよぉ。銭がねえからどうしょもねーもんだから…ひひっ」
「大変じゃねえかね」
「なあに、どーにかなるもんだで、ひひっ」
源五郎は酔っ払ってきた時の癖で、細かな笑いを挟んで話をした。おそのは源五郎の隣に腰掛け、源五郎に熱い鉄瓶から燗酒の酌をしてやっていた。
おそのは少しやつれたがやはり美しく、笑うと花が咲いたようで、それを見ていて源五郎も安心する。しかし、しばらくするとおそのは何かを考え込むように俯き、伏し目がちになっていった。
源五郎が何かを話していても、話半分に聴いているように見え、やはり何かを思い詰めているような顔をやめないので、源五郎はおそのの顔を覗き込んだ。
「どしたぁ、おそのさん」
おそのはハッとして急にわざとらしい笑いを作り、顔の前で片手を振った。
「あ、なんでもねえだよ。ちくっと考ぇ事だぁ」
「そうけ。でも、われは今あんまし加減も良ぐなさそうだでな、おらで力になれることなら、なんかぁ言うとええだよ」
おそのはその時、迷った。実はおそのは、惣助の事を考えていたのだ。
父の四十九日も過ぎ、気持ちが落ち着いてくると、その前から時々気にしていた惣助の暮らしが、心配で堪らなくなったのだ。
自分を助けてくれたにも関わらず、惣助も村中では、自分と同じような目に遭っているに違いない。
今ここで、惣助がどんな暮らしぶりか源五郎に聞いてみたかったが、相手を気にしている素振りを見せて、「それ見たことか、やっぱり不貞をはたらいていたんだ」と源五郎にまで信頼してもらえなくなったらと思うと、おそのは何も言えなかった。
源五郎は、おそのがくよくよと迷って目をあちこちに走らせるのを見て、大体を察した。
「…惣助のことけぇ」
おそのは驚いて源五郎を見たが、源五郎の方はあえておそのを見なかった。下を向いて、笑っているんだか悲しんでいるんだか、どっちか分からないような顔つきをしていた。
おそのは、源五郎にどう思われているのかももちろん気になったが、やはり何より、自分の恩人が今どうしているのか聞きたかった。
ひと口ため息を吐くと、源五郎はおそのに話して聞かせてやる。
「あいつぁ、村のみんなが構わねえで噂するもんだけぇ、やげがさしたんかぁ、畑ば捨てて、半次と一緒んなって博奕ぃ手ぇ出して悪さぁしたり、借金取りから逃げたりしてるだよ。しばらく見ねぇど思ったらひょっこり帰ってきでぇ、酔っ払って歩いたりしてるだ。もう…昔の惣助じゃねぇ。おらたちの事ぉ恨んでっかもしんねえ。でもあいつぁ、おらたちには構やあしねえでよ…」
源五郎の話に、おそのは絶句した。そして、初めて人を「憎い」と思った。惣助はただ、自分を助けようとしただけだったのに。それなのに勝手に決めつけて、惣助をそんなふうに追い込んだ村人たちが、おそのは憎かった。
「おそのさん…おらは、村のみんなが言ーことを、本当だっちゃ思わねえでよ。あん時、このうちの前にあ、首くくる縄があったで。そんなことぉ考ぇるくれえだ。他の男んとこにぃ、はしだねぇわけで上がるなんて考ぇられねえだ」
おそのは悔しさに涙をこぼしながら、必死に源五郎の話に頷く。
「惣助ぁ、優しい奴だ。われんこと、ほっとけなかったんべ。おらもあん時そう言っただがぁ、誰も聞ぎゃーしねーし、今でもそうだぁ…」
ある晩惣助は、家の中で一杯やっていた。博奕で当てた金はすでに半分女郎屋で使ったが、残りを小出しにして惣助は暮らしていた。
もうかなり遅くなった頃、表の戸を叩く音がしたので、惣助は「へえ」と答える。すると戸は開いて、いつもの事のように「よぉ」と半次が入ってきた。
「おーおー、やってるな?あやかりてえもんでぇ」
「おう。まあ一杯ぇくらい飲んでけぇ。しばらぐぶりのぉ、ええ酒だで」
いい機嫌で酔っている惣助の向かいに半次は座り、惣助に出された湯呑みでぐいっと酒を煽った。
「おお…こらぁええ酒だ!おめぇ、うまぐやりやがって!」
「ははは!まあ飲めぇ!」
それから二人は飲んで騒いで、村の端っこで好きなように過ごした。肴も惣助はちゃーんと誂えてあり、「おらんこと白い目で見ようが、おらが銭ぃ払えば売るのが商売人だぁ」と毒づき、「そーだそーだ」と半次は乗っかって、塩漬けや乾き物などで酒を飲んで、二人は楽しく語らった。
半次は、「うち帰ぇるのも面倒だで」と惣助の家に泊まることになった。惣助は冬用の半纏を出し、寝間の近くに敷いてやって、半次はその上にごろっと横になった。
「あー。土間ぁ硬ぇで、背が痛え」
「文句言ーでねえ。そういやおめぇ、何が用があったんでねーけ?」
惣助がそう言うと、半次は思い出したように「おっ!こらいげねえ!」と自分の額を叩いた。それからうつ伏せに起き上がり、布団の上に横になっている惣助にちょっと寄ってきた。
「なんでぇ」
「…明日。大きな場が立つ。俺んとこにも回状が回ってきた」
それを聞いて惣助は血が躍りだしたように、目を光らせた。
「…どうだ、今度もツキは味方しそうか?」
まるで「この間良かったんだから今度は取られるだろう」と言いたげに笑う半次を、惣助はちょっと睨む。それから天井を見上げて、目を閉じた。もう一度目を開けると、惣助は晴れやかにへへへと笑う。
「わがんね」
するとうつ伏せに寄ってきていた半次は元に戻り、頭の下に両腕を敷いてため息を吐いた。
「…おめがすんな顔でそう言ー時ゃあ、いーごとねぇ」
半次のそのつぶやきが何を意味するのかは、この二人だけが知ってるようであった。
「すんれも、わがんねっぺよ」
「おめも、もういっぱしの博奕打ちだな」
「あはは」
つづく
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