第二話 おその





 娘は、今年十五であった。乙女盛りのぴんと張りのある瑞々しい肌、そして艶があり豊かな黒髪、涼やかな目元と、愛らしい小さな鼻と唇。どれをとっても一級品の可愛らしい娘で、見る者をはっとさせるその美しさは、誰ともなく「団子小町」と呼ばれた。


 なぜ「団子」なのかと言うと、娘は村はずれの辻に一軒しかない団子屋、「甚平屋」の一人娘だからである。丁寧な仕事で客に出すつきたての餅や団子、すすり団子は評判だった。それに、すすり団子で一杯やろうという客の話し相手もしてくれる娘は、大層優しく、娘目当てに通ってくる客も居るほどである。


 娘は、名を「おその」と言った。「おそのさん」と客が呼ぶと、おそのは「あい」とすぐに振り向いて、にこにこっと笑う。それで皆、夢中になってしまうのであった。


 耳慣れない言葉が出てきたと思うので、ここでことわりを入れておきたいのだが、この頃には、「ぜんざい」も「おしるこ」もまだ作られていない。それらの元となったのは、「すすり団子」という、塩味の小豆の汁ものであった。それは酒の肴としてあてがわれるのが普通で、砂糖が貴重品であったからなのだろう。いつからか、私たちになじみ深い「おしるこ」が登場することになる。



 おそのは両親と一緒に店をやっており、その朝も早くに目覚めて、おそのは床を上げて自分の布団を押し入れにしまうと、お茶湯をあげに仏間へ向かった。


「とっつぁま、起きな、かっつぁま」


 お茶湯から戻るとおそのは眠っている父親母親を揺り起こし、何日か前から戻してある小豆と、ゆうべから水に浸しておいた米の具合を見て、親子三人で水を汲んで湯を沸かし、小豆を茹でてから餅を何種類か作って丸める。それから合間に掃除も済んでしまってから、店を開けるのだ。




「おそのさん」


 甚平屋の店先から、菅笠をかぶり、粗末な着物と草鞋姿の、四十ほどの白髪男が顔を出した。おそのはすぐに気がついて男を迎え入れる。


「あい、源さん。汁と酒かぁ?」


「ああ、いつものぉ頼むでな」


「あい」


 おそのはしばらくして酒と猪口、すすり団子を椀に入れたものを持って来て、白髪男の席に置いた。それから、他に客も居なかったので話し相手をしようと、着物の裾を気にしながら茶店の縁台に腰掛ける。男は嬉しそうに酒を飲みながら話を始めた。


 この男は先日惣助の畑を訪ねた者で、村中では「世話焼き男」として名高く、ちょっとおせっかいなところがあった。何せ自分が女房に先立たれたものだから、誰かを相手にしていた方が気がまぎれるのであろう。「源さん源さん」と呼ばれているが、名は「源五郎」である。その日源五郎は、惣助の嫁探しの話を面白おかしくおそのに聞かせた。


「んでよぉ、惣助が、そん時真っ赤んなって困るもんで、おらおもしろくっておもしろくって、悪いけんども笑っちまっただよぉ」


「あはは。惣助さんは真面目だもんだからねえ」


「われは一人娘だけんどよぉ、誰に決まるかって婆さまたちがみんなみんなで話してっから、ありゃあひょっとしたら、今日にでも決まるかもしんねえでよ」


「おばばさまたちはこええからなぁ」


「でもよぉ、あんなもんだと、たぶんあいつ、独り身になりてえんじゃねえべかなぁ」


「そうかいそうかい」


 惣助の真面目な心など他所に笑い話を二人でしたが、源五郎はおそのには話していないことがあった。



 源五郎がある日のこと、甚平屋の前を通りかかり、一杯やろうか迷っていると、辻道の向こう側にある木の影に人影を見つけたのだ。それが惣助であった。源五郎にはすぐにわかったので、惣助を一緒に誘って差し向いでやろうかと近寄ろうとすると、惣助の様子がどうもおかしいと気づいたのだ。


 惣助は、じっと甚平屋の中を覗いて、店の中で客と話をしているおそのを見ているらしかった。しかもその目つきが、ただごとではない。切なげで悔しげで、また夢うつつのようだった。それは間違いなく、惚れた女を影覗きする男の目であった。


 それで源五郎は目星がついて、しかし団子屋の一人娘と代々の畑を持つ農夫では、いずれにしても縁が無かったと諦めるしかないであろうと、惣助のことを少しだけ哀れんでいた。



「どした、源さん」


 惣助の気持ちを思い返していた源五郎は、おそのに声を掛けられてはっとして、「いんや、なんでもねえだよ」と笑った。



 結ばれない縁ほど、人は諦めきれない。そのことを考えながらも、それからおそのと源五郎は楽しく話した。





 果たして、惣助はおそのに惚れていた。しかし、諦めてもいた。惣助は馬鹿がつくほど真面目なので、「惚れた女が居るならば、生涯他の女房など持つもんか」と思い詰めて、源五郎の睨んだ通り、独り身で通すつもりであった。


 毎日惣助は畑仕事をし、目の前に浮かぶようなおそのの美しい笑い顔に、哀切な慕情を捨てきれず、かと言ってそこから逃げる気もなく、一生影からおそのを見守りたいと思っていた。もちろんおそのに婿が来れば笑って祝福するし、子が生まれれば自分の畑で採れた瑞々しい大根や人参を食べて、元気に育ってほしいとまで思った。


 すでにそこまで深くおそのを愛しておきながら、惣助は「おそのさん」と口にしたのは、一度だけである。


 それは、いつかの夏の暮れ方、おそのが早足で歩いていたところを、ちょうどそばの店から出てきた惣助が見つけた時だ。その時、おそのは急いでいるあまりどぶ板が外れていることに気づかず、そのままでは落ちてしまうところだった。


「おそのさん!」


 慌てて惣助がおそのをなんとか抱きとめたが、おそのからしてみれば後ろから急に掴みかかられたと思ったのだろう、「きゃあっ!」と声を上げた。でも、「どぶ板がねえだ。落ちるでよ」と惣助が小さく言うと、おそのは顔を真っ赤にして、慌てて礼を言った。


「ごめんなあ、どうもねえ、あんがとさん。あら、惣助さんだったべか」


「いんにゃ、よかっただ」


「んじゃ、こんで、あんがとさん」


「ん」


 二人はそれきり言葉を交わすこともなく、農民の暮らしではそうそう団子屋など行けない惣助は、たまに辻道の向こうに生えた老松の影から、おそのの姿をちらと見ると、見つからないうちに家へと帰るのだった。






つづく

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