第3話 ある日、眠りたかったノモトさんのロンド
「あなたはまだ脱出できてないことに気付いていないんだ」
N本さんはえんじムカデに乗って、森の上空を飛んでいた。
「いくら走っても、同じところを回っているだけだよ。そのことをノモトさんはもう気づいているんでしょうか?」
曇り空の下の暗い森は遠くまで続き、その果てはかすんで見えない。
「N本さん、僕そろそろエネルギー切れ起こしますわ。はよ着陸せんとやばいです」
「ムカデくん、きみのエネルギーは悲しいほどもたないね」
「ノモトさんが適当な充電しかしないからです」
「まったくノモトさんはまったく。このままではループするのみだっていうのに、ああ。」
降下始め、とN本さんがえんじムカデに言った。ムカデとノモトさんは暗い森に吸い込まれるように降りていった。
『ある日、眠りたいノモトさんのロンド』
暗い森に一度入ると、自力で出るのは困難だ。暗い森で立ち止まった者は、だんだんと森から出ようとする意欲をなくしていく。意欲を失った者はいずれ倒れ、暗い森の栄養分となる。そうなりたくなければ、進み続けるよりほかはない。
N本さんは暗い森に入ってしまったノモトさんを探しにえんじムカデでここに来た。暗い森はエネルギーを吸い取ってしまうため、ムカデは省エネモードにしなければいけない。
N本さんは省エネモードのムカデをおんぶして道を歩いていた。おんぶされているムカデは特にすることもなく暇であった。
「当面の目標である、ノモトさんと合流することですが。この調子やったら、いつ合流できるんかわかりませんよ。」
退屈をまぎらわすために、ムカデはとりあえず確認事項をしゃべる。
「わからなくても進まないと、森に飲み込まれてしまいますよ?」
「そうなんですけどね、僕には先行き見えない不安がありますよ。たまには止まって考えるのも大事なんじゃあないですかね。考えずにやみくもに進んでいても間違っていることがわからなかったりして危険かもしれませんよ」
薄暗い森の中には他の動物の気配がまったくない。ただN本さんが落ち葉を踏む音だけが響いていた。
「ねえ、ムカデくん。ワタシたちは森に入ってからずっと止まって考えてばかりですよねえ。答えなんてでないまま、状況もなんも変わらんまま時間が過ぎて。しかし止まらないと考えられないなんて法はない。進みながら考えることもできますよね。それでも止まって考え続けようなんて思いますか?」
曇り空の薄い光の下、N本さんとムカデは森の中を進んでいく。
「進まなあかんて頭ではわかってるんですけど、納得できないんです」
「ノモトさんに影響されてしまってるみたいですねえ、ムカデくん」
えんじムカデはエネルギー供給元の性格を少なからず反映するようにできている。今の供給元はノモトさんであるため、ムカデの性格はノモトさんに影響されている状態にある。
「だってどうしようもないじゃないですか。納得できないものは納得できないんです」
N本さんは聞き分けのないムカデをちらりと見てため息をついた。「なんでこんなにすすまないんだ、この旅はもう終了ですねえ」などと言いたい気持ちになったが、やめた。そんなことを言っても仕方がないのはわかっていたからだ。苛立ちを前に進む力に無理やり変えつつ、N本さんは歩いた。
歩き続けているうちに、森の開けたところに出た。そこは広場であった。森の木々が途切れたところから、曇った空が見えている。
「上ばかりではなく、足元に目を向けることも大切ですよ」
N本さんはそう言い、下を向く。そこには真新しく見える足跡があった。
「この危なっかしいふらふらした足跡はおそらく、我らがノモトさんのものでしょうねえ。この発見は我々の旅路における大きな進歩ですよ、ムカデくん」
ムカデはN本さんの背中で安らかに眠っていたので、返事をしなかった。N本さんはやれやれ、と肩をすくめた。かがみこんでしばらく足跡を調べてから、N本さんは立ち上がって辺りを見回した。何かが転がったような跡が目に入った。
「これは間違いなくノモトさんの転がり跡ですね。跡の不安定具合がなんともノモトさんらしい」
木を何本もなぎ倒して続いているその跡を、N本さんは追跡した。転がり跡は右へ左へ上へ下へと迷走していた。
「なんとも追いかけにくい」
N本さんは苦笑いを浮かべながら進んでいった。
そして、倒れているノモトさんを見つけた。
「これはこれは」
N本さんはノモトさんに駆け寄って、その身体を揺さぶった。
「ノモトさん、しっかりするのです。こんなところで倒れている場合ではありませんよ。ノモトさん」
ノモトさんは倒れたまま、うう、と言った。
「もうほっといてください。私は疲れてしまいました。走るのはしんどいし、森からは出られないんだから。私はもうずっとここで眠っていたいです。」
N本さんはしゃがんだままふう、と言った。
「キミが逃げるのにはもう飽きちゃいましたよ。いったい何が気に入らないのかね? キミは十分恵まれてるじゃないですか、なぜそれを捨てて逃げようとするのかな?」
ノモトさんは面倒くさそうにその場で丸まった。
「N本さんは常識人です。常識人にはこの悩みがわからないのです。恵まれたものにしかわからない悩みもあるのです」
えんじムカデはN本さんの肩の上でこのやりとりを聞いていた。夢うつつから覚めたところに意味不明の口論を聞かされたえんじムカデはいらいらしていた。こんなわからずやのノモトさんが自分に影響を与えているのだと思うと、吐き気すら覚えた。いっそ毒で楽にしてやろうかと思うほど。本当に毒の準備を始めたとき、N本さんがそれを手で制した。
「ねえノモトさん。そんなふうにはじめから無理と決め付けるからキミはいけないんですよ? 失敗が怖いから、全力を出さないでおいて言い訳できるようにしておくんでしょ。全力を出さなければいけない気配を感じると、些末な欲望へすぐに逃げこんでしまう。そんなんじゃいつまでたっても停滞したままで、モラトリアムが終わったのにもかかわらずモラトリアム気分でひっそりと幕を閉じることになる」
ノモトさんはその場で小さく震えた。
「だから私は眠り続けたいんです」
「意地をはるのもいい加減にしたまえよ。そして、胸に手を当てたまえ。ワタシと一緒に旅をした巡業の日々はつまらなかったのかい? いやだったのかい? そのことを考えてなお眠り続けたいなんて言えるのかい?」
ノモトさんは言葉に詰まった。巡業の日々は苦しいこともあったが、けしてつまらない日々ではなかったのだ。少なくとも停滞を望む今よりは。
「それでも眠り続けたいというのなら、もう何も言うことはないよ。キミの物語からワタシの存在は永遠に消える。それだけだ」
N本さんはノモトさんに背を向けた。待ってください、とノモトさん。
「私は……旅を続けたいです。」
「そうですか、ではその気持ちを忘れないでください。忘れそうになったら思い出してください。いつか暗い森にまた迷い込んでしまっても、それを思い出せば外への道が開けるでしょう」
「まるでお別れみたいな言葉ですね」
「だって、お別れだから」
「え?」
ざあ、と風が吹く。
木の葉が巻き上げられて、ノモトさんは目を瞑ってしまう。
目を開けたときには、N本さんはいなくなっていた。
どこまでが夢で、どこまでが現実だったのか。
「ああ」
ノモトさんは嘆息した。
「この森から抜けられるのはいったいいつなのでしょうか。N本さん、あなたはいったいどこへ行ってしまったのですか。いつものように私を探しに来てはくれないのですか。私は寂しくてしんでしまいます。私の理想だったN本さん、あなたは……」
あなたは。
私? ああ、ワタシのことですか。
あれからワタシはN本さんを見つけられませんでした。その後悔を胸に適当な努力をして立派な奇術師になったのです。
最近は助手もできました。驚くべきことに、その子の名前もノモトさんというのです。何か自分に自信のなさそうな子ですが、まあ、その子もいずれは立派な奇術師になることでしょう。
ワタシ? ああ、ワタシがどうなるかなんてどうでもいいことでしょう? どこまでいっても私(ワタシ)達は抜けられないのです。この壮大なループから。
あなたはまだ脱出できてないことに気付いていないんだ。
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