4-8 監禁と魔王
「く……」
体に食い込んだビニール紐の痛みに、島崎は小さく呻いた。
どうやらここは廃屋らしい。学校の教室ほどの空間には壊れかけた資材のようなものやゴミが散乱しており、部屋全体に埃と鉄錆びの臭いが蔓延している。薄汚れた壁は半ば色褪せたスプレーの落書きで埋め尽くされており、窓のガラスはほとんど割れて室内に破片が散らばっていた。
島崎は部屋の中央に置かれている椅子に縛りつけられている──数人の若い男達に囲まれていた。
もう総会は始まってしまったな、と島崎は思う。
一時間ほど前──。
立候補者総会に向かおうとしていた島崎は、渡り廊下の途中で背後からいきなり殴られた。意識が飛びかけたところで有無を言わさず拘束され、わけもわからないままにここまで連れて来られたのだ。
──ん。
眺めていて、ある種の感覚があることに気付く。
同室の男達に見覚えがあるのだ。
微かな疑念を土台にして、島崎は現状の認識を組み立てようと試みた。最初のとっかかりを得てしまえば案外簡単にそれは進み、幾つもの要素が小気味良く繋がっていく──結果として、かなりまずい状況にいることをほぼ確信した。
相手側にペースを握られていては、なすがままになってしまう。せめて先手を打つために、島崎は正面の扉の脇に立っている男に話しかけた。
「いつまでもこうしていたって仕方ないだろ。お前達の方にも目的があるはずだ──さっさと本題に入れよ」
男は一瞬虚を突かれたような顔をし、やや遅れて腹立たしそうに表情を歪めた。しかし何も言わず、扉を開けて出て行く。口様はむかつくが話が早くて好都合だ──とでも思ったのだろう、と島崎は考える。
一分ほどの間があった。
さっきの男と共に入って来た者を見て、島崎は自分の推理が正しかったことを知った。
簡単に忘れそうもない特徴的な外見──時代錯誤な丸刈りに悟ったような目つき、枯れ木のような立ち姿。
「魚住……副会長」
「元、副会長。今じゃただの逃亡犯だ。お前達のおかげでな」
魚住は怒っているとも思えないような平板な声音でそう言うと、そばに立っている男に訊ねた。
「身体検査は?」
「しました。危険な物は何も持っていません」
返答に小さく頷くと、魚住は自分が入って来た扉を開けた。
「み──南岳!」
生徒会、元会長──かつての帝王、南岳密が目の前に現れた。
かつてはしっかりと整えられていた頭髪は、今でも同じように後ろでまとめられてはいるものの、何本も鬢がほつれて顔にかかっている。服は寝るときにも替えていないらしく皺だらけになっていて、肌は不健康にくすんでいる──全体的に薄汚れ、くたびれたような雰囲気に包まれていたが、目だけはギラギラと危険な輝きを放っていた。
かつての泰然とした独裁者ぶりはすでになく、そこにいたのはもはや形振りに構わなくなった復讐鬼だった。
「お、お前……こんな所で何してるんだよ! 警察は──」
「黙れ」
南岳は低く、猛獣の唸り声を思わせる声で言った。
「その忌々しい単語を二度と俺の前で口にするな。偉そうな口をきくな。うるさい声でわめき散らすな。半殺しにされたくなけりゃ、俺の許可なく喋るんじゃない。いいか──お前を餌に、連上をおびき出す」
「そ、そんなこと無理に決まってるだろ」
島崎の返答に南岳は一瞬魔物のような形相になったが、すぐに元に戻った。細められた目には嗜虐的な光が宿っていた。
「どうかな? 梁山は仕留めたぞ。奴が持っていた情報をもとに、お前をここに連れてくることにも成功した。そして今度はお前を使う──必ず成功する」
「梁山を……?」
南岳の言葉の中に、島崎は作為の臭いを嗅ぎ取った。
「お喋りの時間は終わりだ。とりあえず、今までのお礼をさせてもらうぞ」
南岳が片手を挙げると、周囲の男達が各々何かを取り出した。
護身用に売られている警棒らしい。おそらくは、これで過去に何人もの罪のない生徒が殴られたのだろう。島崎もその一人になろうとしている──いや、恨み重なる連上の周辺人物として、これまでとは比べ物にならないほどの仕打ちを受けるに違いない。
それだけは回避しなければならない。
「──はっ、何言ってんだか」
島崎は肚を決め、賭けに出た。
自らの嗅覚を信じて──もはやそこにしか、生き残りの可能性はないと判断して。
「必ず成功するだって? おめでたい奴らだな──連上に騙されてるとも知らずに」
「……なんだと?」
南岳の眉がぴくりと動いた。
脈あり、と島崎は読み取る。連上に一度ならず辛酸を舐めさせられている南岳なればこそ、うまくいくと信じていながらも心の中には一抹の不安が残っているのだろう。そこをうまく揺さぶれれば、ここからの脱出は不可能ではない。
いや──事の次第によっては、それ以上もあり得る。
頭の中で冷静に打算を重ねながら、島崎は慎重に要求した。
「梁山が持っていた情報──って言ってたな。まずはそれを見せてみろ。僕の言葉が真実だと分かるはずだ」
「そうやって俺達を口車に乗せるつもりか?」南岳はどこか焦った様子で応じた。「長く連上にくっつき過ぎて勘違いしているようだが、そんな下らないペテンにかかる俺達ではないぞ。お前は所詮一般人──添え物のカスに過ぎんのだ」
まだ、疑いの方が勝っている。
南岳としては、ここまで費やしてきた労力を否定されるのが恐ろしいのだろう──と、島崎は分析する。だからこそ現行作戦の軌道修正を頑なに拒み、他人の言葉を受け付けなくなる。
ならば、もう一太刀必要だ。危機感を煽り、警戒のガードを解かなくてはならない。
「お前達は、どうして梁山を襲撃した? ただ復讐のためか?」
それだけではない──と、南岳に代わって魚住が答えた。
「梁山と奴が率いるテコンドー部は、最後の最後で連上に寝返った。奴からなら、連上の身辺の情報が得られるかもしれないと……」
そこまで言って、魚住は口をつぐんだ。自らの言葉に微かな引っ掛かりを感じたように、お決まりの半眼が一層細められた。
「そう、お前達だってわかっていたはずだ。梁山と連上は繋がっているんだよ。そしてお前達が見落としたのは、現在テコンドー部を動かしている実質的存在は連上だということだ」
ゆっくりと告げた島崎は、油断なく南岳と魚住の表情を観察していた。反応から見て、おそらく二人とも島崎の言わんとすることに薄々気付いている。
連上ならば──今や手駒となった梁山を利用して、来たる襲撃を見越しての一手を打つこともありえる、と。
「梁山は連上の側にいる。そして、テコンドー部の指揮権はもはや梁山にはない。この二つを考慮すれば明らかだ──明らかに不自然なんだよ、梁山がそんな情報を持っていることが」
ある程度の判断を下す立場にいるならまだしも、梁山はもはやテコンドー部自体からほぼ隔絶された状態にある。そして、裁量権のない人間にそんな物を持たせる必要は皆無──本来、すぐに見つかる綻びである。南岳たちがその点に気付けなかったのは、陽陵学園の現在の組織図を知る機会を持たなかったからに他ならない。
その錯誤を、連上が利用しないはずがない。
「見せてみろ、その情報とやらを」
南岳に足元へ放られた資料──梁山が持っていたのであろう一枚のメモ書きを見た瞬間、島崎は自らの賭けが成ったことを知った。
万が一、これまで述べた推論がまったくの的外れだった場合にはどうにでも出まかせを並べ立てて連中を騙すつもりでいたが、当初に感じ取った不自然さは本物だったのである。
ここに至り、島崎は確信した。
この場は、連上によって仕掛けられた罠だ。
「やっぱりな。この予定表はまったくのデタラメ──僕を捕らえさせるための、連上の誘導だ」
南岳は島崎をねめつけながら鼻を鳴らす。未だ半信半疑といった様子だったが、当初のぎらぎらした殺気はなりをひそめていた。
横から魚住が顔を出し、冷めた声で追及した。
「お前が嘘を言っていないという証拠がどこにある?」
「僕の鞄に予定を書き込んだ手帳が入っている。照らし合わせれば、両者がまったく符合しないことは一目瞭然だ」
「──なるほどな、確かに食い違っている」魚住が差し出した島崎の手帳をめくって、南岳は呟くように同意した。「しかし、まだ納得できん。連上の仲間であるはずのお前を、どうして捕らえさせるよう画策する必要がある?」
「あんた達が学園から消えた後に事情が変わった。僕とあいつは決別したんだ──今では僕は事実上、連上に対抗しうる唯一の立候補者だ」
「!」
真実を知らせてやること。
たったそれだけで、南岳達の視界を遮り続けていた連上の意図という雲は晴れる。
問題は敵と認識されている島崎がどうやって自らの言葉を信じさせるかというその一点に尽きたが、それはほぼ達成されつつあった。暴行者達は島崎の言葉によって明らかに自信を失い、確固としていたはずの行動理念は揺らぎ始めていた。
「信じないならそれでもいい。お前達の首が絞まるだけさ。断言しておくが、僕は何の情報も持ってはいない。何しろ僕と連上はもう敵同士なんだからな──どんなに殴られても脅されても、もう僕からは何も出ては来ないぞ。意固地になってでも当初の計画を貫き通すだけの意志があるならやればいい──だが僕を痛めつけて、再起不能に追い込んで、その結果に何を得る? 連上を生徒会長就任に近づけるだけだ! お前ら、とっくに連上に操られてるんだよ!」
衝撃と焦燥が襲撃者達の間を踊り回った。
駄目押しに、島崎は声高に言う。
「ちゃんと自分で考えろ! 場の空気に惑わされずに、自分の頭で! 連上憎しで凝り固まるな──それこそ奴の思う壺なんだよ!」
「もしもし」
電話に出た連上の声は、やはり平板なものだった。
「立候補者総会に来なかったようだね。何か用事でもあったのかい?」
「旧生徒会陣営の残党に監禁されていたんだよ」
「へえ、それは本当かい? いや、そんな大変なことに巻き込まれていたんだね──まったく知らなかったよ」
白々しい返答。
しかし、予測の範疇ではある──よりによって連上が、自分から関与を認めるなどという隙を見せるはずがない。目的は、策略を打破したことを伝えて連上の意気を挫いてやることにあった。島崎はこの段階に至ってもまだ、連上との直接対決を回避する道を探していた。
「僕はなんとか脱出した。お前の意図からは抜け出したぞ、連上」
「あたしの意図? どうしてそう思うのかわからないなあ。しかし、君の身に起きた不幸な事件が仮にあたしの意図によるものだとしたら──それはその場でこしらえた対応策ですぐに切り抜けられる程度のくだらない策だと、君は言うんだね?」
「っ──」
絶句する。
連上が、回線の向こう側で相好を崩した。そんな気がして、島崎は声を荒らげた。
「現に僕は傷一つ負うことなく、無事に奴らの隠れ家を出てきた。これが成功でなくてなんだって言うんだ?」
「これは思考実験における一つの可能性の提示でしかないんだけれど──君がその場を切り抜けることも織り込み済みの計画だった、という筋書きはどうかな? その方が、面白い展開に繋がっていくと思わないかい?」
ぶつり、と。
言い終わるか終らないかのタイミングで、唐突に会話は打ち切られた。
島崎は、通信を終えた携帯の画面を見つめる。
連上は──微塵も動揺していない。
それどころか、今の状況こそが計画の本流なのだと言明した。
──何か、想像を超えるとんでもないことが起きているとしたら。
焦燥に押されるように、駆け出した。
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