第4話 「終わらない」の始まり(4)


 信女は裸足のまま、日が沈み始めた漁村を駆け抜ける。

 足から血が出ていたが、湧き上がる怒りの感情は全ての感覚を忘れさせてしまったようで、彼女は何も感じていなかった。


 その異様な光景に、制止しようとする門番を振り払い、受領が住まう屋敷の門を蹴破って、侵入すると真っ直ぐにあの日受領がいた部屋へ向かう。

 殴られ蹴られようが、斬られようが、受領とあの女を殺すことだけを考えている信女には、なんの意味もなかった。


 そして、この世のものとは思えない美しい庭に差し掛かった時、騒ぎを聞きつけ逃げようとしていた受領と鉢合わせする。


「な……なんだ!!?」


 驚いて腰を抜かした受領に馬乗りになると、信女は怒りのまま恐怖に怯える受領の顔を殴りつけた。

 何度も、何度も殴りつける彼女の姿は、若い女とは思えないほどだった。


 美しい中庭に、血の海ができる。

 その血は、受領のものか、それとも制止しようとした門番に斬られた彼女のものか。

 もう、誰もわからない。


 腹の底から湧き上がる怒りが、彼女の思考を止めていた。

 怒りと殺意に満ちた彼女を止めることは、誰にもできなかった。




「ば……化け物!!」


 月下の彼女の姿を見て、制止に来た者がそう叫んだ。



 その声に、ピタリと動きが止まる信女。


(化け物? 誰が…………私が?)



 浜辺に横たわる人魚の姿が、信女の脳裏によぎる。

 上半身が人間で、下半身が魚で……青い瞳をした人魚の…………化け物の姿だ。


 ふと、我に返り、自分の体に痛みを感じる。

 制止しようとした者たちにつけられた傷が、痛い。

 腹を切られている。

 血が出ている————しかし……


 ピタリと血が止まって、傷が塞がれて、もとの綺麗な白い肌へ戻っていく。

 斬られているのは着物だけ。

 信女の着物を赤く染めているのは、今目の前にいる生き物の血だ。

 彼女のものではない。


 殴りつけた際に剥けた拳の皮も、折れた骨も、元に戻っていく。

 どんなに傷つけられても、彼女の体は元の状態に戻っていく。



 ——人魚の肉を食べると、不老不死になれるらしい——



「————噂は、本当だった」


 そう彼女が実感した時には、その生き物受領はすでに生き絶えてた。




(————あの女は……どこだ)


 立ち上がって、屋敷の中に入った信女。

 ペタペタと赤い足跡を残しながら、一目散にあの御簾の前へ行く。

 しかし、御簾の向こうには誰もいなかった。



 顔を隠す際に使われた扇子だけが、畳の上に落ちていた。



「まぁ、なんと恐ろしい……まるで化け物ね」



 聞き覚えのある声が、背後から聞こえる。

 振り返ると、そこにいたのは緋色の瞳でニヤニヤと嗤う女が立っていた。


 そして、女の隣には、女と同じく緋色の瞳をした受領の姿。


「この者を捕らえろ!」



 信女が殴り殺したのは、確かに受領だったはずなのに————


「どうして……————!?」



 ————まるで狐に化かされたようだった。

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