第2話 「終わらない」の始まり(2)
村の建物とはまるで違う、貴族が住まうその屋敷に入った時、信女は初めてみる光景に心が踊った。
庭に咲く草木も、花も丁寧に手入れが施されていて、いたるところに施された装飾品もまるでこの世のものとは思えないほど美しかった。
それが、村人たちからせしめた税からできているものであることを、信女は知らない。
屋敷の中へ通され、親子が顔を上げると、受領は信女の顔を見るなり、ニヤリといやらしい目をして笑った。
信女はその視線に不快感と恐怖を覚えつつも、皿の上に置いた人魚の肉の切り身を側近の者を通して手渡した。
「人魚の肉とな……それは、とても珍しい」
受領は側近の者により目の前の台に置かれた切り身をまじまじと眺める。
「ほう……これが噂の。食べると年も取らず、死ぬこともないと聞いておるが、それはまことか?」
「それは、我々にもわかりません。しかし、貴重なものですので、ぜひとも受領様にお食べいただければと、参った次第でございます」
久兵衛が鮮度が落ちる前に早く食べた方がいいと受領に勧め、受領は箸を手にした。
しかし、それを受領の後ろにある
「お待ちください」
御簾の向こうからした、その美しい声の持ち主は、扇子で顔を隠しながら姿を現すと、何重にも着飾った美しい着物を引きずり受領の隣へ座って、皿を取り上げ、その人魚の肉をまじまじと見つめた。
「こらこら、外に出るでない。美しいお前の姿を、こんな下級の者たちに晒すなど…………」
受領はこの美しい女に完全に骨抜きにされているようで、だらしなく弛んだ表情で女に戻るように促すが、女は皿を側近に戻してこう言った。
「本当にこれが人魚の肉なのでしょうか? もしも、偽物で、何か起きては大変ですわ……そこの娘に、毒味をさせてみてはいかが?」
女は、信女に視線を移すと、目を細めてニヤニヤと笑う。
「そこの娘は今が一番若くて美しいでしょう。万が一噂が本当で、不老不死となるのであれば、美しいまま側女として置いておけるのでは?」
「……それも、そうだな」
(私が…………!?)
信女は、浜辺に横たわる人魚の姿を思い出して、背筋が凍った。
実は信女もあの浜辺であの人魚を見ている。
それに加え、生き絶える前に人魚が自分に助けを求めているかのように信女には見えたのだ。
見開かれたままの青い色の瞳が、こちらを見ているように思えてならなかった。
自分が殺したわけではない。
それでも、切り分けられた肉を見て、人魚の体を漁師たちが捌いている姿を想像しただけで、とても恐ろしいと思えてしまった信女。
まさかそれを自分が食すことになるとは、思ってもいなかった。
「どうした? 食べて見せよ」
戸惑う信女に、側近の者が箸を渡す。
(これを……私が食べるの?)
毒がある可能性は、なくはない。
どちらかと言えば、噂通りの不老不死になる方が確率的には低い。
死ぬか、生き続けるかのどちらかだ。
(私が毒で死ねば、父上も毒を持ったとして殺されてしまうかもしれない。けれど、もし何も起こらず、不老不死にすらならなければ……? どちらにしても、嘘をついたということになるのわ————)
信女は、不老不死になるという可能性はないに等しいと思った。
(ああ、でも、これでもしも私が不老不死となったなら、私は一生この気持ちの悪い顔をした男の側女にされてしまうのかしら————それも、死ぬこともできずに)
最悪の結末ばかり想像してしまい、箸を持つ手が震える信女。
久兵衛に助けを求めようと視線を送るも、久兵衛は信女のそんな不安をよそに、娘を貴族に嫁がせることができると喜んでいた。
一体どこからその自信が湧いているのか、久兵衛は人魚の肉を食べれば不老不死になれるという噂を信じていた。
人魚が実在していたことを、その目で確認しているのだから、不老不死の話を信じたとしてもおかしくはない。
久兵衛は信女と違って、海を泳いでいた人魚姿を見ている。
信女は人魚に対して恐怖を覚えたが、久兵衛は噂が本当であったという確信でしかならなかった。
「どうした? 手が震えているな……まさか、本当に毒が入っているのではないだろうな?」
受領が
(食べなきゃ……!!)
信女は懸命に震える手を落ち着かせながら、その人魚の肉を口した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます