エピローグ①

若手刑事の宝田優也(たからだ ゆうや)はこの凄惨な事件にかなりのショックを受けていた。この飽食の時代に、自分と同い年の人間がこれだけ悲惨な人生を送り、そして死んでいった事実が、他のベテラン刑事よりも堪えていた。

「そんな死体に毒されているようじゃ、これから先やっていけないぞ。」

発見が遅れ腐敗した姉妹の死体を見たことにショックを受けていると勘違いしたようで、そう吐きかけるベテラン刑事もいた。しかし、私は死体の凄惨さよりも、調べれば調べる程境遇の悲惨さの方が、はるかに目を覆いたくなるような内容であったことは話さなかった。

別に他殺が疑われるような不審な点は特に無かった。確かに姉が半裸の状態で亡くなっていたこと、薬箱が転がっていたことなど、不可解なことはあったが、検死の結果他者が介在した可能性は出てこなかった。死体の近くには姉の字で遺書のような走り書きもあった。それゆえ、上の判断では姉妹による心中という形で捜査を打ち切るように指示があった。私自身も特にその判断に不服があった訳でも、引っかかることがあった訳でもない。ただ、このかわいそうな姉妹についてもう少し知りたいという個人的な気持ちがあったに過ぎない。だからこうして休暇を利用しているのだ。

私は北原姉妹が懇意にしており、密葬を引き受けた流安寺に来ていた。住職と繋がりがあり、家族と同じお墓に入れるように取り計らわれたのは、彼女達に取って本当に不幸中の幸いだろう。

私が訪ねると、庭の掃除をしていた住職は手を止め、快く迎えてくれた。

「愛知県警刑事部捜査第一課の宝田です。電話でお話した通り今日は北原姉妹の餓死事件の件で窺いたいことがあって来ました。」

そう簡単に挨拶すると、

「わざわざご苦労様です。どうぞこちらへ。」

と言って北原姉妹の埋葬されているお墓に案内してくれた。

私は墓前にて彼女たちの安らかな眠りを祈っておもむろに手を合わせた。そして目を開け住職の方を向き直ると、今回の来訪の目的である質問を始めた。

「生前は北原姉妹と懇意にされていたそうですが、亡くなる直前は変わったところはなかったのですか?」

こう切り出すと、

「懇意と言っても、希望ちゃんたち姉妹の父親の友人であったというだけで、希望ちゃんたちの生活に関わるようなプライベートな付き合いはしていませんでしたので…」

住職はそう答えた。

人なつこそうな態度で対応してくれた住職だったが、姉妹の生前からの知り合いであり、生活状況もある程度知っていたはずなのに、無責任に笑顔で話す姿に私は少なからず嫌悪感を覚えていた。

「そうですか。でも、北原姉妹は、特に希望さんの方はよくこちらに来られていたようですけどね。」

少し嫌味を込めて尋ねる。

「それは…希望ちゃんには定期的に薬を購入してもらってましたからね。薬と言っても薬局が扱うような医療用の物ではなくて、信仰上使用する仏具とでも言いましょうか。」

住職は初めて少しバツが悪そうな態度になり、そう答えた。

やっと確信に近づいたようだ。そう、今日はその薬のことについて尋ねるために、ここにやってきたのだった。

「その薬の事なんですが、希望さんの遺体のすぐ近くには空の薬箱が落ちていました。中身はおろか、空袋さえどこにも見つからなかったのですが、それはどういうことなのでしょうか?」

私が尋ねると、住職は少し考え首を振った。

「さあ、薬箱なんて見たことが無いのでよく分かりませんな。

そもそも希望ちゃんに薬を渡したのは、亡くなったとされる日の半年以上前のことで、しかも100袋、約3カ月分しか渡してないはずなんですが。希望ちゃんは毎日欠かさず飲んでいたようなのでとっくに無くなっていたはずなんですけどね。」

予想通り私が求めているような答えを聞くことはできなかった。

住職にはこれ以上特に聞きたいこともなかったので、私は簡単にお礼を言って、もう一度墓前に手を合わせ流安寺を後にした。

「薬か…」

つぶやいてみても特に何も変わらない。

もう調べたいことも残っておらず、おそらく世間や、そして私自身でさえも、すぐに忘れ去ってしまうであろう北原姉妹の事が不憫でとても悲しくなった。

時計を見ると12時を回っていた。

お昼の時間だが、なぜだか私は食事を取る気になれず、お昼を抜くことにした。

往来をすれ違う家族連れの幸せそうな笑顔が、私には少し痛かった。

やっぱり少し痛かった。

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