第5話 Ⅰ-⑤
オフィスに戻り席に着く。
できれば休憩という現実逃避に逃げ続けたいところではあったが、机に積まれた書類はこれでもかと自己主張しており、私を捕まえて現実に引き戻す。隣のこざっぱりとした席には、言うまでもなく高野さんはまだ戻ってきてはいなかった。
「それじゃあ、今度は僕が休憩に入るね。」
そう言い残して、松本課長は入れ替わりに総務課から出て行った。残された私は一人黙々と午前中の仕事の残りをこなしていく。パソコンを使ったデータ入力の作業は、はっきり言って私にとって苦痛だった。パソコンなんて所持したことが無かった私にとっては、これでも入社当初に比べるとかなり慣れた方だが、それでもまだまだ苦手意識が残る。人差し指だけでタイピングをしていた頃などは本当に地獄だった。給料など待遇に惹かれて就いた仕事ではあったが、辞めたくなったことは数えきれないくらいあった。
『キーの印字と同期して擦り減っていく私の心』
そんな歌があったけ?なんてことを考えながら私は黙々とキーボードを叩き続けた。
時刻は18時になろうかとしていた。
午後も午前と変わらない作業がひたすら続いただけで、取り立てて変わったことは私には起らなかった。しいて変わったことを挙げれば、証券取引の終わり、いわゆる大引け(15時)後に、私の同期であり四年目の若手社員・春川君が高橋課長にこっぴどく怒られたことくらいだろうか。営業課で起ったことではあるが、怒声が凄まじく、総務課で仕事に集中していてもびっくりしてしまう程の大声だった。基本的に怒声の鳴り響く職場環境ではあるが、今回の怒鳴り声はまさに半年に一度あるかないかくらいの猛烈な怒声だった。さしずめランクSといった所だろうか。
春川君は私と同期とは言っても、私のような高卒出ではなく、しっかりとした有名私大を卒業し、私より4つ年上の将来有望な青年だ。容姿は申し分なく、仕事もほかの同期より出来るエリートなのだが、肝心なところでミスをしてしまう機雷があった。そしてもう一つ彼には変わっている所があった。それは彼が私に好意を寄せてくれているという所だ。本人に直接聞いた訳ではないが、私への態度で分かった。なぜなら社内では圧倒的マイノリティだからだ。こんな化粧気のない私のどこが気に入っているのだろうか。いつか本人に聞いてみたいと思う。
そんな理由もあり、私はその場面を自分の仕事をしながら聞くともなく、聞いていた。
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