せん滅

第40話 リディア 対 麗香

 放念の言っていた麗香レイカという名の傀儡女くぐつめは、馬車の窓から顔を出して樹上の黒い鴉を眺めている美璃碧ミリアの腕にまる白い妖鴉ヨーアに目を向けていた。白い妖鴉ヨーアが主人の指示を無視して、美璃碧の指笛に応えて彼女の腕に留まったのは、予想外のことだったのであろう。麗香は、苛立いらだつように指笛を吹いて、白い妖鴉を呼んだ。

 しかし、妖鴉は、主人の呼び笛には応えずに、美璃碧の顔をまじまじと眺めていた。

 麗香は、樹上から美璃碧を見下ろしている黒い妖鴉ヨーアにも指笛を吹いて、呼び戻そうとしたが、黒い妖鴉も主人の呼び笛には応えずに、不思議そうに美璃碧を見下ろしていた。

 「流斦ルギン擄斦ロギン!主人の指示が聞けぬと言うのか!」

 麗香は、怒りをあらわにして叫んだ。

 「あら、あなたは、やっぱり崇斦スギンではないのね。ご主人が待っていますよ。さあ、お行きなさい」

 美璃碧は、右腕を高く上げて、妖鴉を主人のもとへ戻る様に促した。

 すると、白い妖鴉ヨーアは、美璃碧の腕を離れ、麗香のもとへと飛び去って行った。

 その様子を見ていた黒い妖鴉も、樹上から滑空して、麗香のもとへと飛び去った。

 そして、妖鴉が主人の元に戻るのを見定めた美璃碧は、麗香に向かって叫び始めた。

 「私は、美璃碧です。美土奴国に戻って参りました。私たちは、宮殿を探しています。あなたが妖鴉を飼い慣らす妖術師でしたら、媸糢奴シモーヌのいる宮殿は知っているでしょう?私たちを、その宮殿まで案内してくれませんか?」

 しかし、麗香は何も答えず、妙なことを叫ぶ幼子おさなごを不思議そうな顔で眺めていた。

 「今、美璃碧は何と言ったのだ?」

 リディアがエドに尋ねた。

 エドが通訳すると、リディアは、エドの通訳を介して美璃碧に言った。

 「無駄だよ、お嬢ちゃん。あんたは、今は美璃碧姫の体じゃないんだ。あの傀儡女くぐつめには、あんたが美璃碧姫だとは分からないだろう」

 リディアは、美璃碧には申し訳ないが、以前受けた借りは返させてもらうぞという思いで、麗香に向かって馬を走らせた。

 すると、主人の危険を察知した黒い妖鴉ヨーア擄斦ロギンが、リディアを威嚇するような鳴き声を上げながら、ものすごい勢いでリディアに向かって滑空してきた。

 その隙に、麗香は、流斦ルギンを肩に乗せたまま、逃げるように馬を走らせた。しかし、麗香は、美璃碧のことが気になったのか、その場から遠くへは行かずに、広場の周りを旋回するように馬を走らせて、美璃碧のことを眺めていた。

 擄斦ロギンは、羽をばたつかせながらリディアの視界を遮り、次に鋭い鉤爪かぎづめで彼女の頭を押さえ込もうとしたが、今回はかぶとかぶっていたため、いったんリディアから離れた。

 鎧を着て兜を被っているリディアは、妖鴉の攻撃など気にも留めずに剣を抜いて、麗香に向かって突進していった。

 すると、麗香も応戦しようと馬の向きを反転させて、剣を抜いた。

 リディアが素早い剣さばきで斬り込むと、麗香は、リディア以上の身軽な動きで、剣を見事に使ってリディアの攻撃を受け流した。リディアと違い、重厚な重い鎧を着ていない麗香の動きは素早かった。

 そして、麗香は、隠し持っていた苦無くないと呼ばれる暗器あんきを、投剣のようにリディアの乗る馬に向かって投擲とうてきした。

 しかし、リディアの馬の首をかすめただけで、致命傷にはならなかった。

 すると今度は、ひもの両端に金属性のおもりのついた武器を取り出して、振り回し始めた。

 「流星錘りゅうせいすいか」

 リディアは、様々な武器を持つ傀儡女くぐつめ只者ただものではないと分かると、若干間合いを取って、次の攻撃を警戒した。

 ロイとクロードが、リディアを援護しようと近づいたが、リディアは、手出しは無用と突っぱねた。

 麗香は、左手で再び苦無くないをリディアに向かって投擲した。

 リディアは、それを軽くかわしたが、畳み掛けるように投擲された流星錘の一方のおもりが、リディアの剣先に襲いかかり、からみつくように剣を捉えた。

 麗香は、流星錘の紐を引いてリディアの剣を奪おうとしたが、リディアが剣を強く握りしめて必死で抵抗したため、細身の体の麗香の力では、簡単には剣を奪い取ることは出来なかった。

 そして、逆に、リディアが突然予想外の行動に出て、麗香に向かって突進してきたため、両端から引っ張られて張りつめていた流星錘の紐がたるみ、紐を強く引っ張っていた麗香が体勢を崩すと、すかさずリディアが横から麗香に体当たりを喰らわし、麗香は、落馬して地面に叩きつけられた。

 リディアは、剣にからみついた流星錘を振りほどくと、立ち上がった麗香に、正面から腹部を斬り裂くように剣を振り抜いた。

 手応えはあった。

 リディアの剣が麗香を捉えて勝負はあったと、リディアだけでなく、彼女の戦闘を観ていたロイたちも、誰もがそう思った。

 麗香は、低いうめき声を上げながら、ゆっくりと膝を地面に落とし、そのまま倒れ込んだ。

 麗香の体は、リディアとの対戦に敗れた遺体となって、そのまま地面に倒れていたが、しばらくすると、麗香の腕が震えるように動き始めた。そして、右手を地面に押し付けて、渾身こんしんの力を振り絞って、上半身を起こした。

 まさか、まだ生きているのか!?

 リディアは、自分の目を疑った。

 麗香は、痛みをこらえるように左手を腹部に当てながら立ち上がった。

 美土奴国の傀儡女くぐつめは、不死身なのか!?

 リディアは、化け物でも見るかのように恐怖におののきながら麗香を見つめた。

 不思議なことに、麗香の倒れた地面には、流血の跡がなかった。

 「クロス・アーマーだ!きっと、メイルド・スパイダーの糸で編んだクロス・アーマーを着ているんですよ!」

 その光景を観ていたエドが、リディアに向かって叫んだ。

 「そのクロス・アーマーは、剣では斬り裂くことは出来ません!ここは、いったん逃げてください!」

 エドが必死に叫んでリディアに逃げるよう促したが、リディアは、借りを返さずに逃げるなどということはあり得ないとでも言わんばかりに、走って逃げようとする麗香を追いかけて、再び剣を振り下ろした。

 麗香は、振り向きざまに、体勢を低くして体を横に傾けて、リディアの振り下ろす剣をけながら、懐に隠し持っていたボーラと呼ばれる武器を取り出した。それは、三つ又の紐の先端に三つのおもりのついた、流星錘よりも紐の短い武器で、麗香は、その武器を、おもりを旋回させるように振り回しながら、リディアの馬に向かって投擲とうてきした。

 それは、元々狩猟目的であったものを武器に応用したものであったため、リディアの馬の前脚を難なく捕え、錘のついた紐が遠心力で脚に絡みつき、脚の自由を失った馬は地面に倒れ込み、リディアは落馬した。地面に頭を打った衝撃で、かぶとがリディアの頭からはずれて地面に転がった。

 ロイとクロードは、とっさにリディアと麗香の間に向かって馬を走らせ、リディアを護る態勢をとった。

 リディアは左手で頭を押さえながら、麗香の次の攻撃に備えるためにすぐに体を起こしたが、麗香は、落馬したリディアの顔を見ると、驚いたように攻撃を止め、自分の馬まで走って行って飛び乗った。

 すると、森の木々の合間から何かが現れ、リディアたちに向かって火炎を放射し始めた。それは、龍のような火柱ひばしらとなって、麗香を護るようにリディアたちを襲った。

 リディアが地面を転がりながら火炎を避けて、倒れている馬を起こし、逃げようとする麗香を追おうとすると、黒い妖鴉ヨーア擄斦ロギンが、主人を護る様にリディアに再び襲いかかって来た。

 白い妖鴉ヨーア流斦ルギンは、すぐに主人の後を追って飛び去った。

 「森の中へ逃げましょう!火龍ヒリュウから身を護るには、森の中へ逃げ込むしかないようです」

 エドが再び巻物を見ながら叫んだ。

 火炎は、四方八方からリディアたちに襲いかかった。

 「いったい、どうやってこんな火炎を放射しているんだ」

 リディアが呟いた。

 「恐らく、散水車の原理を応用して、圧縮した空気で火炎を放射しているのでしょう」

 ロイが、キラー・スティングを撃退したときに使った散水車の原理を思い出して答えた。

 「とにかく、今は逃げるしか手はないようです。森の中に逃げ込みましょう」

 ロイは、近衛兵たちに合図を送り、自分たちの今いるひらけた場所を離れて、火炎を避けながら再び森の中へと馬を走らせた。

 リディアや近衛兵たちも、ロイの後を追うように森の中へと馬を走らせた。

 森の中に逃げ込むと、火炎の追撃はなかった。

 「どうしたのでしょう。なぜ火炎の攻撃が止んだのでしょうか」

 クロードがロイに尋ねるように呟いた。

 「恐らく、美土奴国にとっての神聖なランドルの森を炎上させてしまうようなことは避けたのだろう」


 またもや臥神の巻物の指示に従って難を逃れることが出来たロイたち一行は、再び美璃碧の案内で先に進むと、前方に川が流れているのが見えた。

 「恐らく、あれが、巻物に書かれている水龍スイリュウでしょう」

 エドが馬車を降りて言った。

 「あそこの浅瀬なら、馬で歩いて渡れるだろうから、このまま先に進むといい。美璃碧姫の話では、あの川を渡ってそのまま進めば森を抜けられる。そして、国境沿いの山を越えれば、グランダル国にたどり着けるそうだ」

 エドは、川の浅瀬を指し示しながらロイに説明すると、次に馬車の御者ぎょしゃに交代するように言った。

 「おい、エド、突然どうしたんだい?」

 ロイが驚いて尋ねた。

 「ここでお別れだ。私と美璃碧姫は、ここでみんなと別れて、美土奴国の宮殿を目指すよ」

 「宮殿?」

 「ああ。宮殿にいる媸糢奴シモーヌという妖術師のところに美璃碧姫を送り届けたら、糞樽フンダル族の暮らす辺境の地がどこにあるのかを聞きだして、そこへ行こうと思っているんだ」

 「気球という乗り物の原理を学びに行くのかい?」

 「ああ」

 エドは、巻物をロイに手渡して、晴れた夜空を見上げた。

 「信じられないことかもしれないが、霞寂カジャクから聞いた話では、臥神は、科学を応用して雨を降らすことすら出来るそうだ。もしかすると、美土奴の妖術師たちも、何らかのからくりによって、その巻物に書かれている驟雨しゅううを引き起こすことが出来るのかもしれないから、気を付けたほうがいいな。今なら、あそこの浅瀬から安全に川を渡れるだろうから、みんなを連れて早く行った方がいい」

 「どうしても行くのかい?」

 ロイは、別れを惜しむように尋ねた。

 エドは、黙って頷いた。


 ロイたち一行が、もうじきグランダル国にたどり着こうとしている頃、トラキアの西側の、崖のふちに沿って築かれた防壁路は、グランダル軍に占拠され始めていた。防壁路は、海風うみかぜあおりを受けて火の海と化し、ラモン参謀率いるトラキア軍が、次々に上陸してくるグランダル軍の海兵たちに応戦しきれずに、そこから撤退し始めたからである。

 臥神の姿も、すでにそこにはなかった。従者たちに指示を与えた後、計画通りに気球に乗ってグランダル国を目指していたのである。

 臥神の従者たちは、そこから退避することなく、防壁路の石垣の下の陰に身を潜めて、機を待っていた。

 すると、臥神の予言した通りに、待ち望んでいた南南東の風が吹き始めた。

 高度を下げていたグランダル軍の気球が、風にあおられて、北北西の方向に流され始めたのを確認した従者たちは、臥神に指示された通りに、いしゆみで火矢を気球に向けて一斉に放った。

 火矢が次々に気球を射抜くと、気球の中に充填じゅうてんされていたモルスタンに引火して爆発が起きた。そして、炎上した気球は、北北西方向にあるランドルの森の上空へと流されていった。

 従者たちは、炎上しながらランドルの森に降下していく気球を眺め、臥神の予想した場所に気球が落下して、ランドルの森に飛び火するのを確認すると、臥神に指示された次の行動に移り始めた。


 「何だ?何か焦げ臭いようなにおいがしないかい?」

 エドは、ロイたちとの別れ際に、森の異変に気付いて、臭いが漂ってくる方向に顔を向けて確認し始めた。

 空を見上げると、遠方の空を、多くの鳥たちが森から飛び去って行く姿が見えた。

 「森林火災かもしれないな」

 「森林火災?」

 ロイも上空を見上げて、鳥たちが森から逃げ去ろうとする姿を確認した。

 「ああ。もしかすると、グランダル軍が北西側からトラキアに上陸して火攻めを行い、トラキアと美土奴国の国境沿いのランドルの森に燃え移ったのかもしれないぞ」

 「まさか、そんなに簡単に上陸するなんてことは出来ないだろう。グランダル軍がトラキアに攻め入るには、三重のとりでを攻め落とさなければならないのだぞ」

 ロイが、信じられない、あるいは信じたくないという面持ちで言った。

 「確かにそうだが、この臭いは明らかに火災が起こっている臭いだ。しかも、この臭いは、南東の方角から来ている。南東の方角と言えば、トラキアがある方角じゃないか」

 「すでにいくさが始まってしまったとなると、一刻の猶予もありませんな。このまま川を渡って、グランダル国に向かい、すぐにでもステイシア姫を御救いしなければ」

 クロードが、ロイを急かすように言った。

 「そうだな」

 ロイは、惜しみながらも、エドと美璃碧と別れると、一行を率いて川を渡り始めた。

 すると、今まで雲一つなかった夜空に、突然暗雲が垂れ込み始め、空が暗天に変わり、月明かりを失った周囲は真っ暗になってしまった。

 「松明たいまつともせ」

 ロイの指示に従って従者が松明をともし始めたが、すぐに驟雨しゅううが降り始め、激しく降りつける雨によって、松明の火は消えてしまった。

 「まさか、この雨まで美土奴の妖術師の仕業だというのか」

 ロイは、次々に襲いくる災難に、妖術師の恐ろしさを改めて感じた。

 「急いで川を渡るぞ!」

 ランドルの森での体験を思い出したリディアが、上流から聞こえ始めた轟音ごうおんに気付いて、ロイたちに向かって叫んだ。

 上流から大量の濁流が押し寄せてきたのである。

 「急げ!濁流に飲み込まれるな!荷馬車は捨てて、川を渡りきれ!」

 ロイは、近衛兵の一人に、脚を負傷した従者を馬に乗せて逃げるよう指示して、馬を走らせた。

 リディアやクロードたちも、慌てて馬を走らせて川を渡った。他の従者たちも、荷 馬車を捨てて、最低限の荷物だけを持って、自分たちの足で走って川を渡った。

 怒涛のように流れ来る濁流がロイたちを襲ったが、一行いっこうは間一髪のところで川を渡りきり、一人として命を落とすことはなかった。

 すべての松明を投げ捨てて川を渡ったため、一行は、暗闇の中を進まなければならなくなったが、幸い驟雨しゅううはすぐに止み、厚い雲に覆われていた空は、薄明の空に変わり始めた。

 「師団長殿、夜明けが近いようです。夜明け前までに、あの山を越えれば、ステイシア姫たちが、危険なランドルの森に入る前に合流出来るかもしれません。急ぎましょう」

 クロードは、荷馬車を失った従者たちに、それぞれの近衛兵の馬に乗るように指示し、前方に見える山に向かって馬を進めた。

 ロイたちも、クロードの後を追うように馬を走らせた。

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