第408話 奇襲

 軍議の後、何人かの貴族がアールクヴィスト大公国軍の保有する攻撃魔法の魔道具についてノエインに質問してきたが、ノエインは「領内の遺跡から十本程度が見つかった」と簡略に説明し、さらにはオスカー・ロードベルク三世に対して既に報告済みであると語るのみに留めた。


 国の君主同士で話がついていると聞かされた貴族たちは、大公であるノエインをあまり質問攻めにするのは無礼にあたることもあり、それ以上の詮索はしてこなかった。


 そして軍議から数日後。オーク討伐のための合同軍は、リュドー子爵領の領都ペールヴからおよそ半日の距離にあるリムネーの森の入り口へと移動した。


 オークの群れを迎え撃つために陣を張り、討伐を決行し、片づけを終えて撤収するまでには、ひとまず一週間程度を見越している。そのため、まずは二千人が一週間を過ごすための野営地の設置が行われる。


「……リムネーの森のことは存じていましたが、こうして直に目にするのは初めてです。豊かで美しい森ですね」


 野営地設置の実務については、ノエインは臣下と兵士たちに実務を任せてしまって自身がやるべきことは何もない。手持ち無沙汰になりながら、森を眺めてそう呟く。


「恐縮です。リュドー子爵家は代々この森を守り、管理することを務めとしてきました。我が家のみならず、王国北西部の全体に恵みを与えてくれる大切な森です。それがオークの群れに占領されてしまった現状は嘆かわしく思います」


 ノエインの呟きに答えるのは、同じく手持ち無沙汰になっているリュドー子爵だ。相変わらず自信に欠ける表情の彼は、鎧を纏った姿もあまり様になっているとは言えない。


「心中は察します。アールクヴィスト大公家の抱えるクレイモアにとっても、傀儡魔法使いである私自身にとっても、このリムネーの森から産出されるセミラウッドは最重要の資源です。一日も早くオークの手から森を取り戻せるよう、全力を尽くしましょう」


「感謝申し上げます。閣下がいらっしゃればまさに百人力。心より頼もしく思います」


 ノエインたちが話している間にも、兵士とそれを指揮する士官たちの手で野営の準備は着々と進む。


 間もなく司令部の天幕も設営が完了し、主だった指揮官たちが集結した。


「野営地の設置は予定より早く進んでいる。諸卿の協力に感謝する……オークを釣り出すまでに行うのは、堀と障害物による防衛線の設置、バリスタの組み立てとその陣地の設置だ。いずれも重労働になるだろう。アールクヴィスト閣下と傀儡魔法使い部隊には、特にご苦労をおかけします」


「私たちが役に立てるのであれば幸いです」


 ノエインが答えると、エデルガルトは小さく黙礼した。


「とはいえ、諸卿も兵たちも半日の移動で疲れている。本日行うのは野営地の設置までとし、戦闘のための陣地設営は――」


 そのとき。天幕の外、森の方向から甲高い音が響いた。


「……っ」


 それは森の中に入って警戒任務についている兵士からの、異常発生を報せる合図だ。エデルガルトは言葉を途切れさせて息を呑み、他の者も驚きを顔に出しながら森の方を振り向く。マルツェル伯爵だけは動揺することもなく、目を鋭く細めただけだった。


 鏑矢の音はひとつだけでは終わらない。分散して森の中に入っていた複数の班がそれぞれ異常を認めて鏑矢を放ったらしく、立て続けに甲高い音が鳴る。


「こ、これは……」


「敵襲と見るべきだ。動くぞ」


 マルツェル伯爵がそう言って真っ先に天幕を出る。複数の鏑矢に虚を突かれて一瞬うろたえかけたエデルガルトも、表情を引き締めてその後に続き、さらにノエインたちも続く。


 鏑矢に驚いたのは士官や兵士たちも同じだ。野営地の設置を進めていた領軍兵士や徴集兵たちの間には目に見えて動揺が広がっており、それを下級貴族や従士などの士官格の者たちが鎮めようとしていた。


 森の方からは警戒任務についていた者がぱらぱらと駆け戻ってきており、それぞれ何か叫んでいる。その中にはアールクヴィスト大公国軍の士官であるラドレー・ノルドハイム士爵と部下たちの姿もあった。


「オークが来るぞ! あいつらの方から攻めてくる! 大群だ! 十や二十じゃねえ!」


 兵士たちに伝えて回るラドレーの大声はノエインたちのもとにも届き、緊張がさらに高まる。


「くっ、歩兵部隊を……いや、クロスボウ隊を至急集結させ、前面に展開させろ! 『天使の蜜』は間に合わないなら矢に塗らなくていい! 各軍の魔法使いも出られる者は前に出ろ! アールクヴィスト閣下! ゴーレムで防衛線を!」


「分かりました!」


「オッゴレン卿はクロスボウ隊の後方で歩兵部隊の戦闘準備を! それとマルツェル卿、場合によっては騎乗突撃の破壊力に頼ることになる。騎兵の集結を!」


「心得ましたぞ!」


「了解した」


 各領からの寄せ集めで徴集兵も含む上に混乱した歩兵部隊では、オークが襲来するまでに陣形を固めることはできない。脆弱な隊列を前面に出してもオークの蹂躙を許すだけ。そう判断し、ひとまず初撃でオークの奇襲の勢いを殺すためにクレイモアとクロスボウ隊を動かすエデルガルトの決断は、この緊急事態においてなかなかに迅速で適切だった。


 ベヒトルスハイム侯爵家の跡取りだけあって、さすがに優秀だ。そう思いながら、ノエインは護衛のマチルダとペンスを連れて森の方に走る。そこへ、大公国軍の面々が合流する。


「閣下!」


「ひとまずゴーレムで前面を固めるよ! 僕を中心にグスタフは右翼側に、アレインは左翼側に並んで! 歩兵部隊とラドレーの隊はクレイモアの護衛! リックの隊はその援護! それとユーリ、マルツェル伯爵が騎兵をまとめるから、親衛隊から一班連れてそっちに参加して!」


「「「はっ!」」」


 ノエインが指示を飛ばすと、士官たちは小気味よい返事を見せる。


 アールクヴィスト大公国軍が行動を開始する一方で、北西部閥の兵士たちも少しずつ動き始めていた。とはいえ、全体的に機敏に動けているとは言い難い。こちら側の準備が整う前に、森の中から出てまで奇襲をかける知恵がオークにあるなど、誰も思っていなかったのだ。


 森からは警戒役の兵士たちが次々に駆け戻り――その最中、ついにオークたちの雄叫びが聞こえた。


「ブゴオオオッ!」


「ボゴアッ! ゴアアアッ!」


 いくつも重なる鳴き声が空気を揺らし、それに対して人間側は一瞬だけ静まり返る。次に空気が動き出したときには、その中に混乱と恐怖が多分に入り混じっていた。


「くそっ! 何てことだ!」


「今日は戦わないはずじゃあ……」


「魔物相手にそんなこと言っても仕方ないだろう! ほら急げ!」


 各領の兵士たちの悪態や泣き言、それに対する叱咤の声が響く中を、ノエインは配下を引き連れて走る。


 しかし、ノエインたちが森の前に辿り着いてゴーレムによる防衛線を築くより早く、木々の枝葉に光を遮られてやや薄暗い森の中から、数多の蠢く影が現れた。


「っ! くそっ、もう来る!」


 ノエインも思わず悪態をつく。最早間に合わない。


 森からまだ残っていた警戒役の兵士が数人走り出てきて、そのすぐ後ろから数匹のオークが飛び出す。


「ひっ、ひいいっ! 助け――」


 恐怖の涙で顔を濡らしながら声を漏らした兵士は、しかし最後まで叫ぶことはできなかった。


 その兵士はオークに捕まり、頭を噛み潰されて沈黙する。他の兵士たちもオークに追いつかれ、オークが手にした棍棒や石の一撃で身体を壊され、あるいは鋭い牙で手足や臓腑を千切られて泣き叫ぶ。


「う、うわあああ!」


「逃げろ!」


「来るな! 来るなああっ!」


 森に近い場所にいた兵士たちは、オークが人間を惨殺する様を目の前にして一気に恐怖に包まれる。恐慌状態に陥って逃げる者と、上官の指示を受けて前面に出ようとするクロスボウ兵たちがぶつかり、互いが進路の邪魔になって押し合う。


「おいどけ! 逃げられねえだろうが!」


「早く通せ! こっちは総指揮官様の命令で動いてんだ!」


「オークが! オークがすぐ後ろにぎゃああああっ!」


「馬鹿! まだ矢を装填するな! 危な――」


 逃げようとした兵士たちに後ろから迫って来たオークが、最後尾の者を蹂躙し始める。一方で、人がごった返す中でのクロスボウの誤発射などの事故も起こる。


「道を空けろ! このままだと死者が増え続けるぞ!」


 ノエインを囲むペンスをはじめとした親衛隊や、クレイモアの護衛につく大公国軍兵士たちが北西部閥の兵士をどかしてゴーレムの通り道を空けさせようとするが、混乱の中ではそれもままならない。ただでさえ大柄で場所を取るゴーレムは、逃げる兵士と前に出る兵士の押し合いに巻き込まれてまともに動けなくなる。


 その最中にもオークは次々に兵士を襲い、後続のオークも森から次々に出てくる。その数は数十匹に及ぶ。


「ちっ、埒が明かねえ……閣下、多少の怪我人を出しても力づくで通る方がいいかもしれません。このままじゃあ死者が増えるばかりでさぁ」


「……分かった、仕方ない。潰れて死ぬ者が出ないことを祈るよ」


 兵士たちをゴーレムの腕で無理やり押しのけて前に出てしまう方が、このままごたついてオークの蹂躙を許し続けるよりも結果的に被害が小さくなる。ペンスの提言に頷いたノエインは、ゴーレムを前に進ませて、その腕で進路を塞ぐ兵士たちを左右にどかす。


 加減はしているが、それでも丸太のようなゴーレムの腕に突き飛ばされた兵士たちは転び、ぶつかり合う。将棋倒しになるような者たちも出るが、それでもゴーレムが通れるだけの進路は空いていく。


 ノエインは自身のゴーレム二体を先頭に立たせてそこを通り、他の傀儡魔法使いたちも自身のゴーレムを連れ、横から流れ込んでくる兵士たちを押しのけながら続いた。


 そして、ノエインたちはついにオークの群れのもとに辿り着く。


 逃げ惑う兵士を一方的に襲っていたオークたちは、目の前に現れたゴーレムの集団に驚きと警戒の反応を見せた。


「事前の作戦通り、ゴーレム二体でオーク一体を相手取るんだ! 油断しないように! やるよ!」


「「「はっ!」」」


 ノエインが声を張ると、傀儡魔法使いと兵士たちもそれに応える。


 アールクヴィスト大公国軍は半円の陣形を作り、オークの群れと激突する。

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