第246話 南部貴族たちの意地①

 ロードベルク王国の南東部は、王国中央部を除いた四地方の中では人口、経済規模ともに最大である。


 必然的に南東部の貴族閥は四つの地方閥の中でも最大勢力となり、その盟主であるビッテンフェルト侯爵は地方領主貴族の中で最も大きな権勢を誇る。


 侯爵領の人口は10万に達しており、領都グルツライヒの人口は5万に迫る。王都を除けば国内最大の都市と言える。しかし、そんな大都会グルツライヒも、今はベトゥミア共和国軍の侵攻部隊と対峙する戦場と化していた。


「ビッテンフェルト閣下、報告いたします。ベトゥミアの軍勢が再び動きを見せており、攻撃を仕掛けてくるものと思われます」


「ふんっ、性懲りもなくまたか」


 防衛指揮の細かな実務を任せている子飼いの準男爵の報告を受け、ビッテンフェルト侯爵は鼻を鳴らしながら呟き、兜を被りつつ執務室を出た。その後ろに準男爵も続く。


「此度も守りきれるのであろう?」


「もちろんでございます。必ずや敵を退けて見せましょう」


 侯爵が声をかけると、準男爵は力強く答えた。


「ならばよい。私は塔からお前たちの戦いぶりを見せてもらおう」


 戦乱の時代の名残で、ビッテンフェルト侯爵家の居所は防衛力と居住性の両立を目指した城館のかたちを取っている。館内には周囲を見渡すための塔があり、侯爵はそこへ向かう。


 戦略面はともかく、戦術面では自分は名将には程遠い。なので前線指揮は軍事が専門の部下に任せるべきだ。侯爵はそう自身の実力をわきまえていた。


 ビッテンフェルト侯爵は身長こそ高いものの、体は細く、神経質そうな顔立ちをしている。その容姿のため初対面の相手からは侮られることも多いが、その内面はある意味で冷徹で、ある意味で獰猛。そんな人間性から、蛇に例えられることもある。


 今回ベトゥミアによる侵略の報を受けた際も、ビッテンフェルト侯爵は冷静に、かつ大胆に対処した。


 領都グルツライヒは都市拡張の結果、二重の城壁を持つ城郭都市となっている。内壁の中には侯爵家の城館や古参住民たちの家屋、公共施設が収まり、内壁と外壁の間は庶民が暮らす区域だ。


 今回ビッテンフェルト侯爵は、グルツライヒ全体では広すぎて守りきれないと判断し、内壁より外……市域のおよそ三分の二を切り捨てた。


 まず、ただでさえ不足している食糧を内壁の外に暮らす庶民たちから力づくで奪い取るようにして徴集し、代わりに金をばら撒き、間もなくベトゥミアの侵攻がこの都市に達するため避難するよう布告した。


 また、内壁の中に住む古参の住民たちも女子どもはできる限りの避難を推奨し、男たちの中からは志願兵を募って戦力とした。領軍も全て領都に集結させ、内壁の中に総兵力およそ五〇〇〇で閉じこもった。


 さらに、内壁より外の区域をベトゥミア共和国軍に利用させないために、木造の家屋が多いことを利用して市街地を焼き払うという荒業まで見せている。


 防衛範囲を絞り、兵力もあえて絞り、手堅い防衛を実現。民から強制的に食糧を集積したことで次の春先までの備蓄も成し遂げる。これらのことを、ビッテンフェルト侯爵はあっさりと決断してやってのけたのだ。


「父上、また敵が攻めてくるのでしょうか?」


 塔の上に到着したビッテンフェルト侯爵を迎えたのは、領外への脱出を勧めたのに次代の領主として残ると言い張った十三歳の嫡男だった。まだ身体も成長しきっていないのに、一丁前に鎧も身につけている。


「そうだ。だがそれも無駄なことよ。我が軍は再び見事に敵を撃退して見せるだろう」


 息子の問いかけに、侯爵はわずかな動揺も見せない声で答える。


 もう一か月以上も前、王都から最後に繋がった『遠話』で届いたのは「冬明けには必ず救援を送るから待っていろ」というオスカー・ロードベルク三世からの直々の言葉だった。


 ビッテンフェルト家は代々に渡って、地方の重臣として王家に忠誠を誓っている。当代ビッテンフェルト侯爵ももちろんそれに倣っている。救援が来ることは少しも疑っていない。


 だからこそ侯爵は、本気で冬明けまでこの領都内壁の中に閉じこもり、持ちこたえる気でいた。そのために内壁より外を広範囲にわたって焼き払いさえしたのだ。


 武装でも兵力でも劣るロードベルク王国の各貴族は野戦でこそベトゥミア共和国に敵わないが、城郭都市や要塞に閉じこもっての籠城戦ならばそれなりに戦える。このグルツライヒはそんな事実を証明する、未だ健在の防御拠点のひとつだ。


「……始まったな」


 今や絶対防衛線となっている領都内壁がにわかに騒がしくなり、矢が飛び交うのが塔の上から見える。それを見たビッテンフェルト侯爵はやはり一切の動揺を見せず呟くが、横の嫡男は少しばかり緊張した表情を見せた。


 飛び交うのは矢ばかりではない。時おり火炎弾や氷弾といった攻撃魔法が飛ぶのも見える。壁の内側からも、外側からもだ。


「ふん、冬に入って敵も焦れたか。最初の頃より必死だな」


「も、門は持つでしょうか……」


「大丈夫だ。堀まで掘ったのだからな。それに敵兵には病人も出ている。そうそう落ちることはない」


 グルツライヒを囲む敵の軍勢はおよそ15000。戦いは防衛側が有利とはいえ、本来ならさすがに不安になる戦力差だ。


 しかし、ビッテンフェルト侯爵は出来得る限りの策を講じていた。門の周辺だけでも堀を作り、一度に多くの敵が門を攻められないようにし、つい昨年取り寄せたクロスボウやバリスタといった兵器も惜しみなく投入している。クロスボウに関しては現在進行形で内壁の中で複製させている。


 敵陣に病気を広めさせようと、市壁を上ってくる敵兵に対しては糞尿や、さらには腐敗した死体の血や体液まで浴びせている。血や体液を搾る作業は獣人奴隷にやらせたが、その際に病気を引き起こした奴隷を生きたまま敵に飛び込ませることさえしている。


 もはや綺麗な戦い方など諦めている。これは南東部貴族の意地を示す戦いだ。手段を選ばずにやるしかない。ビッテンフェルト侯爵はそう考えていた。


「……ん?」


 最前線を注視していたビッテンフェルト侯爵は、そこで違和感を覚えた。ベトゥミア共和国軍が退き始めたのだ。


 今日の攻勢が本気でグルツライヒを落とすのではなく、こちらを疲弊させることを目的としていたとしても、この撤退は早すぎる。妙だ。


「父上、西側から騎兵部隊が! 味方でしょうか?」


 息子の言葉を聞いて戦場の西側――ビッテンフェルト侯爵たちから見ると右手前方側に視線をやると、確かにそちらから騎兵部隊が接近している。


 身につけている鎧を見ても、明らかにベトゥミア共和国軍ではない。新手の接近を受けてベトゥミアの攻撃部隊も一旦態勢を整えようとしているのだろう。


「あれは……王国軍の第一軍団か!」


 騎兵部隊の中に掲げられている旗を見て、侯爵はさすがに少し驚いて声を上げた。


 王国軍の中でも最精鋭で、国内最強と呼んでもいい第一軍団。昨年のパラス皇国との戦争に参戦してそのまま国境防衛の任に就いていた彼らだが、ベトゥミアの侵攻が始まってからはそのまま王国南東部で迎撃戦に移行し、消息は不明となっていた。


 全滅の噂もささやかれていたが、どうやらまだ健在だったようだ。


 第一軍団は兵力の半数が騎兵という、攻撃に特化した歪な編成で知られている。グルツライヒを囲むベトゥミアの軍勢に迫っているのは全て騎兵だ。


 突撃の方向から見て、敵中を突破してこちらに合流しようとしているように思われる。


「門に伝令を! あの騎兵部隊を迎え入れる準備をさせろ! 開門の用意だ!」


 ビッテンフェルト侯爵が振り返って指示を飛ばすと、塔の上に控えていた警備兵が敬礼し、命令を伝えるために走っていく。


 それを見届けて、侯爵は再び戦場へと向き直った。


 第一軍団の騎兵部隊は密集隊形をとり、槍の穂先のような陣形で突き進む。しかし、対するベトゥミア共和国軍も無策ではない。おそらくは側面を守るために配置されていたらしい精鋭の歩兵部隊が隊列を組み、第一軍団の正面に槍衾を形成した。


 と、第一軍団は左斜め前方へと進路を変えた。数百もの騎兵が一糸乱れぬ動きで、まるでひとつの生き物のようにうねって槍衾から逸れ、未だ隊列を組めていないベトゥミア兵の方へと急転したのだ。尋常でない練度だ。


「……ほう」


「おおっ、凄い!」


 凄まじい連携で動いて見せた第一軍団に、ビッテンフェルト侯爵は小さく声を漏らし、嫡男は興奮した様子を見せる


 もたついていたベトゥミア兵たちは練度の低い徴募兵か志願兵なのだろう。第一軍団の突入を受け、成すすべもなく蹂躙されていく。


「あっ!」


 そこで、戦場を見ていた嫡男が声を上げた。ベトゥミアの軍勢の中央あたりから、第一軍団に向かって大きな火炎弾が飛んだのだ。いくら突進中の騎兵部隊でも、そんなものを真正面から受けたら勢いが止まる可能性がある。


 しかし、火炎弾は着弾しなかった。第一軍団の隊列先頭から放たれた風魔法『風刃』によって撃ち落とされ、空中で爆炎をまき散らす。


「うわあ……」


「……神業だな、まったく」


 あまりの光景に嫡男が目を輝かせている横で、ビッテンフェルト侯爵は半ば呆れた声で呟く。馬に乗って全力疾走しながら魔法を放ち、高速で飛翔する別の魔法を迎撃するなど常人にできることではない。ほとんど曲芸の域だ。


 今の衝撃的な展開が決め手となったのか、ベトゥミアの攻撃部隊は完全に逃げ腰になって撤退していく。第一軍団は敵の残党の中を難なく突破し、グルツライヒの内門に到着して堂々の入場を遂げた。


 味方の生き残りがこちらへ合流し、さらに果敢な突撃で敵の攻勢を退けてくれたのだ。ビッテンフェルト侯爵は塔を降りて騎乗し、城館を出て指揮官として彼らを出迎える。


 代表として侯爵のもとへ来たのは、やはりというべきか、第一軍団の軍団長だった。


「王国軍第一軍団長、ゲオルグ・カールグレーン男爵です。ビッテンフェルト閣下、グルツライヒへと迎え入れていただき感謝申し上げます」


 カールグレーン男爵は現在40歳ほどで、獰猛な獣のような迫力を纏った大男だ。王国で五指に入ると言われる武芸の腕はもちろん、凄腕の風魔法使いとしても知られている。もとは中堅の文官家の三男という出自でありながら、その圧倒的な実力を持って第一軍団長にまで登り詰めた猛者だ。


 先代の第一軍団長であるブルクハルト伯爵が智将型である一方で、この男爵は分かりやすく武人だった。


「こちらこそ、敵を蹴散らしてくれたことに感謝する。第一軍団が我らに合流してくれたのは心強い。兵たちも喜ぶだろう……卿らの数は如何ほどだ? 騎兵だけのようだが」


「騎兵部隊の機動性を活かすため、歩兵部隊は少数ずつ森に潜伏させて遊撃戦闘を取らせ、完全に別行動をとっています。我々の数は四〇〇騎ほどです……先ほどの突撃でまた少し減ったでしょうが」


 それを聞いたビッテンフェルト侯爵は内心で感心した。ベトゥミアの支配域が相当に広がった王国南東部で、一か月以上も戦いながら騎兵戦力の八割近くを保っているとは。さすがは王国の最精鋭だ。


「そうか。長く戦って疲れていることだろう。まずはゆっくりと休んでほしい……冬明けにはこのグルツライヒへと必ず救援を寄越すと国王陛下はお約束くださった。それまで共に戦おう」


「はっ。グルツライヒ防衛のため、我ら第一軍団も身命を賭して奮戦すると誓います!」


 これ以上ないほど頼もしい味方が加わった。これならば十分以上に冬明けまで持ちこたえる望みも見える。


 王国南部はまだまだ戦える。ビッテンフェルト侯爵はそう確信した。

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