第234話 ラーデン占領

 ベトゥミア共和国軍の総司令官であるチャールズ・ハミルトン将軍は、自らアドレオン大陸南部、ロードベルク王国の地へと降り立った。


 キヴィレフト伯爵領ラーデンを襲った、侵攻軍第一陣の第一波である二万の正規兵。チャールズはその後、数日遅れで上陸した第二波の二万人とともにラーデンに入る。ここからまた少し遅れて、一般国民から募った志願兵四万人が輸送船に積み込まれて届き、第一陣の上陸が完了する予定だ。


「……随分と変わり果てた光景になったな」


「キヴィレフト伯爵領軍の抵抗が相当にしつこかったようですからな。無駄に抗わなければ、ここまで街が荒れることもなかったものを……」


 軍馬に騎乗して都市内を進みながらチャールズが呟くと、同じく騎乗して横に並ぶ副官がそれに答えた。


 チャールズも若い頃、商船の護衛任務でここラーデンに来たことが何度かある。ベトゥミア本土では「発展途上の野蛮な国家」と馬鹿にされているロードベルク王国だが、実際はなかなか立派なものだとこの街の栄えぶりを見て思ったものだ。


 それが今は見る影もない。攻撃魔法で建物は崩れ、大量の死体を焼く臭いが鼻につき、生け捕りにされた民が連行されていく。彼らは軍勢を運んできた輸送船の帰路の積み荷となり、奴隷として売られるのだ。


 そこら中に未だ片づけられていない死体が散らばり、数は少ないながらベトゥミア共和国軍兵士のものも見られる。


 本当に始まってしまった、とチャールズは内心で思った。


 多くのベトゥミア国民は「自由で平等な社会体制を海の向こうに広める」という建前に納得し、「海外領土ができれば国民の生活も今より豊かになる」「新天地に移住すれば新たな人生も待っている」というフィルドラック首相の甘い言葉に簡単に騙された。


 従軍すればアドレオン大陸南部に土地が与えられ、地主になれると言われて多くの者がこの侵攻軍に志願した。ロードベルク王国の軍は原始的で弱く、恐れるに値しない、楽勝だという話を志願者たちは信じた。


 だが、実際はそんな夢のような侵攻ではない。


 ベトゥミアが遠洋航海の技術や造船技術をこれまでロードベルク王国に教えず、海を越えて一方的に出向くという貿易のかたちをとっていたおかげで、侵攻計画は察知されずに済んだ。最初の奇襲をかけたここまではいい。一方的に上陸できるのも道理だろう。


 だが、ロードベルク王国とてこのまま黙ってやられるわけがない。これからは練度の低い志願兵を中心に少なくない犠牲も出るはずだ。


 そして、この侵攻で本当に得をするのは国民ではない。富国派の議員とその後ろ盾の大商人たちだ。


 彼らは志願兵などとは比較にならない広大な土地を得て、鉱山などの新たな利権を手にする。この国の元々の支配者層である王族や貴族を殺し、新たな指導者層として自身の身内を送り込み、現地住民のうち素直な者は労働力として取り込む。反抗的な者は殺す。


 今でさえ貴族のような暮らしをしている政治屋と大商人たちは、さらなる権益を手にして、王のような暮らしをするつもりなのだ。


 チャールズはそれが分かっていながら軍を動かし、兵士たちを死なせるのだ。自らの保身のために。


「第一陣の上陸は大過なく完了する見通しです。二日ほど遅れはありますが、許容範囲でしょう……来週あたりには、第二陣の第一波も南西部に上陸する予定となっております」


「……今のところは概ね順調か」


 淡々と話す副官に、チャールズも冷めた声で返す。


 副官を伴って歩きながら、チャールズは目的地である旧キヴィレフト伯爵家屋敷に着いた。ここが当座の司令部として運用されることになる。


「お待ちしておりました、ハミルトン閣下」


「ご苦労、大軍団長」


 出迎えたのは第一陣第一波の責任者である、複数の軍団を束ねて指揮する大軍団長だ。敬礼を示した彼に、チャールズも答礼する。


「状況はどうだ?」


「現在はここラーデンの基地化を進めつつ、今はキヴィレフト伯爵領全域へと侵攻を広げています。買い取りを仄めかしてこの地へ集めさせていた金属資源や馬も接収しましたので、すぐに軍需物資として使えるでしょう。すべて計画通りです」


「そうか、よくやった。この地の領主……キヴィレフト伯爵家の人間はどうなった?」


「キヴィレフト伯爵とその妻は最後まで抵抗して戦死。遺体は確認済みです。が、伯爵の息子が行方不明となっております。申し訳ございません」


「……まあよかろう。仕方あるまい」


 気にした様子もなくチャールズは答えた。いくら奇襲とはいえ、そう都合よく領主一族を捕らえられるとは思っていない。現当主とその妻を消せただけでも十分だろう。


「……それと、我が国と繋がっていた現地商人たちが、閣下にお会いしたいと申しております」


「ああ、その件があったな……その者たちは今どこへ?」


「閣下が間もなく到着されると思い、屋敷の空いている一室に待機させています。すぐにでも謁見の間に呼べますが」


「よし、ではすぐに会おう。面倒な仕事は早く済ませてしまいたいからな」


 将官の案内を受けて謁見の間に移動する。そこは、伯爵とはいえたかが一貴族が家臣への謁見を行うための部屋にしては、無駄に豪勢な造りだった。


 間もなく、別室で待たされていたラーデンの大商人たちが入室してくる。


「おお、あなたが総司令官殿ですかな?」


「ご来訪をお待ちしておりました! お会いできて光栄にございます!」


 チャールズを見て、キヴィレフト伯爵領の大商人たちが一斉に媚びるような笑みを浮かべ、口々に話し出す。その人数は全部で六人。


「……お前たちのことは聞いている。飼い主であるキヴィレフト伯爵を裏切り、我々ベトゥミア共和国軍の侵攻の手助けをしてくれたそうだな。ご苦労であった」


「お褒めに与り恐悦至極に存じます」


「我々はただ、偉大なベトゥミア共和国に貢献させていただければと思った次第でありまして……」


 ニヤニヤと笑い、揉み手をしながら話す商人たちに、チャールズは嫌悪感を覚えた。


「……大軍団長」


「はっ」


「もうよい。こいつらを殺せ。家族もだ。皆殺しにしろ」


 チャールズの言葉を聞いた商人たちは目を見開いた。


「なっ!?」


「ち、違います閣下。我々は家族ともども安全を保障され、褒美を戴く約束も……」


「あなたは何か勘違いをしておられる」


 慌てふためく商人たちの表情があまりにも滑稽で、チャールズは今日この地に降り立って初めて少し笑った。


「勘違いをしているのはお前たちの方だ。これはベトゥミア共和国首相、フィルドラック議員閣下のご指示だ」


「そ、そんな! だって我々は……」


「広い土地をもらって、植民地になったこの地の地方議員の席も与えられるはずで……」


「自ら進んで祖国を裏切るような者が、どうして立場と信用を得られると思った? お前たちのような人間は、生かしていても不穏の種になるだけだ。そんな者に権力など与えるわけがない……大軍団長、あとの処分は任せるぞ」


「はっ。おい、こいつらを連れていけ!」


 チャールズの指示を受けた大軍団長は、謁見の間に控えていた兵士たちに六人の商人を連行させる。


「お、お待ちを、総司令官閣下!」


「話せばわかります!」


「金を差し上げます! ここにいる全員に大金を……」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎながら、商人たちは連れていかれた。


「後は、私が急ぎ采配するべきことはないか? 身分の高い捕虜などはいないのか?」


「……キヴィレフト伯爵家に武官として仕えていた下級貴族を一人、生け捕りにしています。ただの士官に過ぎず、ろくな情報も持っていないため、ハミルトン閣下が直接お話される意味はあまりないかと考えますが」


「そうか……まあついでだ。少し会ってみるとしよう。ここへ連れて来てくれ」


 チャールズが命じてから十分ほどで、一人の男が謁見の間に引きずられてきた。


 縄で縛り上げられた男は鎧下だけを身につけ、それも血と土で汚れている。全身いたるところに傷を負い、特に顔は紫色に腫れ上がっていた。この顔については戦闘ではなく、拷問でも受けて腫れたのであろう。


「……私はベトゥミア共和国軍総司令官、チャールズ・ハミルトン将軍だ。ロードベルク王国の貴族よ、名を名乗れ」


「……ジャコッベ・サトゥルノ士爵だ」


 男がぼそりと答えると、チャールズの副官がそれに激昂した。


「貴様! たかが下級貴族の士官の分際で礼節を――」


「よい」


 チャールズは副官を手で制する。騙し打ちのような侵攻をしたのはこちらだ。侵略者に礼儀を払えというのも無理な話だろう。


「キヴィレフト伯爵夫妻は死んだと聞いたが、どのような最期か知っているか?」


「……キヴィレフト閣下と奥方様は、卑劣な侵略者の軍勢に果敢に突撃され、壮絶な戦死を遂げられた。私はこの目で見ていた。お二人が倒れるところも……そのご遺体から、貴様らの兵が野盗のように鎧を剥ぎ取って持ち去るところも」


 サトゥルノ士爵が憎悪のこもった目でチャールズを睨みつけてくる。


「そうか。一軍人として、伯爵夫妻の勇ましい死に敬意を表する。兵が野盗まがいの行為をしたことについては指揮官として誠に遺憾に思う」


「ふっ、どの口が言うのか」


 吐き捨てるように言ったサトゥルノ士爵に副官がまた気色ばむのを、チャールズは再び手で制する。


「確かキヴィレフト伯爵には息子と孫がいると聞いているが……一応聞こう。伯爵の息子たちはどこに逃げた? まだキヴィレフト伯爵領内にいるのか?」


「同じことを、他の士官やら将官やらにも何度も聞かれた」


「そうか、それで?」


「ベトゥミアは馬鹿でも将軍になれるのか? 素直に答えていたら顔がこうなるまで殴られるわけがないだろう」


「……それもそうだな」


 チャールズは小さく笑って答えた。なかなかユーモアのある男だ。


「……だが、わざわざ総司令官様が下級貴族ごときの前に出てきたからな。お前になら直々に教えてやらんこともない」


「ほう、それは光栄だ」


「教えるのはお前だけだ。聞きたければもっと顔を寄せろ」


 言われた通りチャールズがしゃがんで近づくと――サトゥルノ士爵はチャールズの顔に唾を吐きかけた。


「若様はお前のケツの穴の中に逃げ込まれた。ほじくって探してみるといい」


 それに対して副官が剣を抜いて激昂する。サトゥルノ士爵を連行してきた兵士たちも剣に手をかける。


「この蛮族がっ! よくも閣下に……嬲り殺しにしてやる!」


「止めろ!」


 それを一喝して止め、立ち上がり、顔に飛んだ唾を指で拭い、チャールズは微笑んでサトゥルノ士爵を見下ろした。


「いい根性だ。気に入った……この者の髪と体を洗い、鎧を磨いて着せてやれ。私が直々に斬首に処す」


「なっ!? 閣下!」


 副官が驚きの声を上げる。チャールズが言ったのは、軍人への最上級の礼を払った処刑方法だ。わざわざ総司令官が自ら敵の一士官に下す刑ではない。


「これは命令だ……最近は政治の世界に長くいたからな。こういう分かりやすい武人と話して気が晴れた。その礼だ」


 この半年、侵攻準備のために腐った政治屋どもと汚い話ばかりしてきた。その不愉快な会話の数々と比べたら、このクソ度胸を持つ武人におちょくられるのの何と楽しいことか。いっそ清々しいくらいだ。


 久しぶりに、意地と誇りを真正面からぶつけられるような会話ができた。実に愉快だった。そのことへの感謝を込めて、この男に見栄えのいい死に様を与えるくらいの酔狂は許されるだろう。

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