第229話 困ったときはお互い様②
バートとフィリップから報告を受けた二日後。ノエインは彼ら二人も連れてレトヴィクのマイルズ商会本店へと出向いた。
応接室に案内され、ベネディクトに出迎えられながらノエインは椅子に座る。その隣には同行しているフィリップが座り、ノエインたちの後ろにはバートとマチルダが立つ。
「アールクヴィスト閣下に直々にご足労をいただき、恐縮するばかりにございます。私どもの力不足でご迷惑をおかけし、なんとお詫びすればよろしいやら……」
「どうかお気になさらず。なにぶん大きな決定ごとですので、私が直接お話させてもらった方がいいかと思って勝手に参っただけですから。むしろ、急にお訪ねしてこちらこそ申し訳ない」
テーブルを挟んだ向かい側で、見ていて気の毒なほど縮こまりながら何度も頭を下げるベネディクトに、ノエインは笑いかける。
「さて、さっそく本題に入らせていただいても?」
「は、はい。よろしくお願いいたします」
ノエインの問いかけに、緊張した面持ちで頷くベネディクト。
「では……先日ベネディクトさんから受けた、お支払い待ちのご相談について、アールクヴィスト子爵家の当主として承諾することに決めました」
「で、では……!」
「ただし、それに際してこちらからもひとつ、お願いがあります」
「……お伺いさせていただきます」
一瞬ぱあっと表情を明るくしたベネディクトは、続くノエインの言葉にまた表情を引き締めた。「やっぱりか」と言いたげな雰囲気だ。わざわざ領主のノエインがやって来た時点で、何かしら要求されるのは予想していたらしい。
「現在、王国内は混乱の極みにあります。物流も滞っている。我が領でも不足気味のものがありまして……」
「……塩、でございますか?」
「さすがはベネディクトさんだ。その通りです」
ベネディクトならこのくらい当ててくるだろうと思っていたノエインは、さほど驚いたそぶりも見せずに答えた。
王国北部の貴族領は、山地に岩塩鉱を持っている一部の領地以外は塩を輸入に頼ることになる。アールクヴィスト領もそのひとつだ。
塩の輸入先は塩田を持つ王国南部の沿岸地域や、より安価かつ大量に製塩する技術を持つベトゥミア共和国が主となっている。王国内の物流が滞ると、必然的に王国北部では塩が不足しがちになる。
「今年は麦の不足を埋め合わせるために、獣や魔物も多く狩っています。肉の長期保存のために塩が入用なので……マイルズ商会の伝手を使って、どこかから塩を買わせていただくことはできないでしょうか? 支払いはラピスラズリでできればと思っています」
「……なるほど。今は他の宝石類と同じく、ラピスラズリの価値も下がっています。そして塩の価値は上がっておりますので……高くつきますが、よろしいですか?」
「構いません。塩の仕入れ先にあてがあるのですか?」
今はラピスラズリも在庫が余り気味だ。溜め込むくらいなら必需品と換えたい。そう思いながらノエインは尋ねる。
「……ベヒトルスハイム侯爵領の北西に、レスティオ山地を通って大陸北部へと繋がる山道があります。北との交易路の中では比較的大きなもので、そこを経由して三つの国とロードベルク王国北西部は貿易を行っています」
ベネディクトが語り出す。レスティオ山地の向こう側、このアドレオン大陸の北部が、小国の並ぶ地域だというのはノエインも一般常識として知っている。
そして、レスティオ山地に寒波が阻まれたために、大陸北部はその影響をほとんど受けていないという話も聞いていた。今年のロードベルク王国は北の小国群からも食糧を積極的に輸入しているが、あちらの国々の規模が小さいため、効果は焼け石に水だとも。
「これらの国はレスティオ山地北部に岩塩鉱を保有しているそうで、少量ですが塩が輸入されています。マイルズ商会はそのうち一国の商会と繋がりがあるので、ラピスラズリを格安で売ると言えばまとまった量の塩を特別に買い付けられるかと」
ベネディクトが語る塩の予想価格は、平時のラピスラズリの価値を基準に考えると、通常の十倍近い高値だった。
「……随分と高いんですね」
「北の国々は小国ばかりであるために一国あたりの岩塩の採掘量そのものが少なく、私どももほとんど裏取引のようにして無理に塩を仕入れることになります。必然的に価格も上がり……力不足をご容赦ください」
「そうですか……まあ、仕方ないでしょう。お願いさせてもらいます」
苦笑しながらノエインは頷き、その後は具体的な仕入れ量や価格の交渉に入った。
・・・・・
「……なんとか問題なく終わったね」
「お疲れ様でした、ノエイン様」
アールクヴィスト領への帰路につくために領主家馬車に乗り込むなり、ノエインはため息をついた。それにマチルダが労いの言葉をかける。
「あの様子なら、ベネディクト商会長もこちらの焦りに気づいてはいないでしょう」
「さすがはアールクヴィスト閣下、お見事なお話しぶりでした」
馬車に同乗しているバートとフィリップも言った。
「二人からもそう見えたならよかった……これで、うちの領も命が繋がったね」
ベネディクトには「できれば塩を手に入れたい」程度の言い方をしたが、実際のアールクヴィスト領の塩不足はもっと深刻だった。
飢饉の影響で盗賊が街道をうろつくようになったために商人はリスクを冒して貴重な塩を遠くまで売るのを渋り、王国北部は塩が不足気味に。新興の領地であるが故に必需品の仕入れルートが少ないアールクヴィスト領は真っ先にその弊害を受けていたのだ。
開拓当初からノエインはアンナの実家であるイライザの商店を頼って塩の備蓄を進めていたが、それもここ数年の人口急増で相対的に不足することになった。このままでは冬を前に、食糧ではなく塩の不足によって危機に陥ると見られていた。
ちょうど運よくマイルズ商会の支払い待ちの対価として塩の買い付けを頼めたが、もしこちらから一方的に頼む形になれば今以上に高くついただろう。ノエインの焦り具合を悟られた場合も、足元を見られたかもしれない。
「北の小国群といい、食糧を輸出して鉱山資源を買ってくれるらしいベトゥミアといい、今年は外国に助けられる機会が多いね」
「そうですね。特にベトゥミアなんて、ロードベルク王国の救世主と言ってもいいですよ」
「キヴィレフト伯爵家もでしょうね……かの家がベトゥミアからの食糧輸入を取りつけたおかげで、どれほどの民の命が助かることか」
「……だね」
ノエインが苦笑いを浮かべて答えたことに、フィリップは少し不思議そうな顔をした。
マクシミリアンは民の命のことなど考えてはいないだろう。関税でぼろ儲けし、ついでに王家に媚を売ることしか頭にないはずだ。食糧輸入の実務についても、どうせ子飼いの豪商に取引を独占させて賄賂でしこたま儲けるつもりに違いない。
「ジャガイモだって元はベトゥミアから輸入されたものだし、これから一気に北西部以外のロードベルク王国全体にも広まるだろうなあ……今までが小麦と大麦に頼りすぎだったんだよ」
「そのせいで、今やランセル王国の方がこちらより余裕があるのは皮肉ですね」
ノエインの呟きにバートも頷く。
国としての歴史が浅く、社会に余裕も少ないランセル王国では、ロードベルク王国民が「貧民の食い物だ」と蔑むライ麦も、「家畜の餌だ」と笑う燕麦もまだまだ主食だ。生産量も多いらしい。
結果として、寒さにとても強いライ麦は寒波を越えても多くが生き残り、冬明けからはすぐさま燕麦の大量栽培が行われ、ランセル王国は冬までに食糧事情を立て直す見込みだという。
それでも寒波の被害は小さくないし、内乱の爪痕だってまだ残っているのだろうが、混乱はロードベルク王国よりも小さいと噂されていた。
「本当に、国の状態も力関係も、いつどうなるか分からないねえ」
「一度の寒波でこうなるとは誰も思わなかったでしょうね……」
深いため息を吐きながら言ったノエインに、フィリップが苦笑しながら答えた。
「……まあでも、塩さえ確保できればアールクヴィスト領はもう大丈夫だろうからね。あとは領地に引きこもって、おとなしく暮らせばいいさ」
クラーラに頼んで歴史書から調べてもらった結果、過去にも唐突に大寒波が大陸南部を襲った記録は何度かあったという。しかし、どれも一年限りのもので、二年以上にわたって続く例は記録に残っている限りではなかったそうだ。
それらの記録を信用するのであれば、今年さえ乗り越えれば社会は再び安定していくはずだった。
塩は手に入る。秋にはベトゥミアのおかげでまとまった金も手に入る。そのあとは冬を乗り越えるだけ。おそらくもう大丈夫だ。ノエインはそう考えていた。
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