第200話 部下たち③

「あなた~、ただいま帰りました~」


「おう、お帰り」


 一月も後半に入り、冬も少しずつ終わりが見えてきたある日の夜。いつものようにのんびりとした口調で帰宅を告げる妻ロゼッタを、従士ペンスは労いの言葉をかけながら出迎えた。


 ロゼッタの手には小鍋とパンを入れた袋が下げられている。今夜の家族の夕食だろう。さらに、背中にはペンスとの第一子、長男のニコライがおんぶされていた。


 ロゼッタは出産の半月後には屋敷に顔を出して料理を指導していたし、ニコライの生後半年も経つと仕事に完全復帰した。仕事中は手の空いているメイドにニコライの面倒を見てもらったりしているらしい。


「ぱあ~」


「ははは、父ちゃんに会いたかったか? ニコライ」


 笑顔を見せてくれる息子に自分も笑いかけながら、ペンスはロゼッタの背からニコライを降ろして抱いてやる。ニコライは何が楽しいのか、自分を抱き抱える父親の顔を小さな手でぺちぺちと叩いてきゃっきゃとはしゃぐ。


「今日はシチューを作ったんですよ~。グラトニーラビットのお肉がたっぷり入ってますよ~」


「おっ、いいな。お前の手料理はシチューが一番好きだよ……まあ、ロゼッタが作るものなら全部美味いんだけどな」


「うふふ~、料理人冥利に尽きますね~」


 ロゼッタの両親は難民になる前、とある街で料理屋を営んでいたらしい。両親から教わったロゼッタもまた料理が得意で、今や領主家の料理長だ。


 領主一家はいつも日が沈む少し前に夕食を取るそうで、その夕食作りと、屋敷住み込みの使用人や従士たちの夕食作りを終えてからロゼッタは帰ってくる。その際に、多めに作った使用人用の夕食から自分と家族の分を持ち帰ることを許可されていた。


 ロゼッタがシチューを温め直している間にペンスはニコライを赤ん坊用のベッドに寝かせ、パンを切ってワインを出す。すぐに夕食の準備を終え、夫婦は食卓についた。


「……最近は、クラーラ様のご様子はどうだ? ノエイン様たち三人の仲は?」


 食事をしながら、ペンスは雑談がてらに妻から領主一族の近況を聞く。親衛隊長とはいえ人手不足の今は領内各地を忙しく動き回っている事も多いので、領主家の状況を知る上でロゼッタは貴重な情報提供者だ。


 屋敷の使用人を妻に持つからという理由で、ペンス自身が他の従士たちから同じようなことを尋ねられることも多い。


 家臣たちの目下の関心ごとは、主君の奥方とそのお腹にいるお世継ぎの健康、そして領主家の家内安定である。


「食事のご様子を見ても、クラーラ様はお元気ですよ~。ノエイン様との夫婦仲も良好で、クラーラ様もマチルダさんも仲良しのままですし、何も心配いりませんよ~」


「……そうか、ならいいんだ」


「ふふふ、やっぱり気になりますか~?」


「そりゃあな。大げさじゃなく、主君の家の未来がかかってるからな」


 ロードベルク王国では基本的に、身分が高いほど結婚して子どもを持つのが遅い。奴隷なら成人前に子を持つ者もおり、一般平民も多くは10代のうちに結婚する一方で、貴族は20代になってから結婚する者も多い。


 だからこそノエインもクラーラも10代の間は新婚生活を謳歌していたわけだが、ベゼルの戦いという間近の危機を経験してついに世継ぎを残すために動いた。それは家臣としても喜ばしいことだ。


 だが、今度は領主家の家内安定を気にしなければならない。何せノエインの女性関係は少々特殊である。クラーラの懐妊をきっかけに、万が一ノエインとマチルダとクラーラの関係にひびでも入ったら笑えない。大丈夫だろうとは思っているが、確認は必要だ。


「……何回も同じこと聞いて悪いな」


「いいえ~、このくらいであなたのお力になれるなら嬉しいです~」


 クラーラの懐妊が従士たちに伝えられてから、ペンスは何度かこういうことを聞いている。それも夫の仕事のうちと分かって毎回丁寧に答えてくれるロゼッタには感謝するばかりだ。


 夫婦の夕食はその後も和やかに続く。


・・・・・


「――それでは、この春からの大豆と甜菜の作付け量はこれで決まりだな」


「ええ、いつもありがとうございます。エドガーさん」


「これが私の役目だからな。クリスティこそ、話し合いの前から具体的に考えをまとめてくれていて助かるよ」


 屋敷の文官用執務室の端に設けられた打ち合わせ用の席で、従士エドガーとクリスティは話し合いをスムーズに終えた。


 その内容は、重要な商品作物である大豆と甜菜の生産量についてだ。農民を統括するエドガーと、油や砂糖生産の管理責任者であるクリスティは、こうして商品作物に関して話し合うことも多い。


「……あの、エドガーさん。ちょっとご相談というか、個人的に聞いてほしいお話が」


 クリスティにそう切り出されて、エドガーは小さく眉を上げた。話し合いの後にいつも少し雑談くらいはするが、彼女が真面目に相談したいことがあるなどと言うのは初めてだ。


「ん、そうか……私で力になれるなら、ぜひ聞こうか」


「ありがとうございます……あの、結婚のこと、というか」


 エドガーが応じると、クリスティは声をひそめながら言った。近くに他の文官はいないし、誰かに話を聞かれる心配はないだろう。


「結婚? 決まった相手でもできたのか?」


「ああ、いえ、そういうわけではなく……というか相手には話してもいないんですけど、そもそも私もどうするべきか分からないというか……」


 エドガーが尋ねても、クリスティは要領を得ない言葉をくり返す。


「クリスティ、まずは落ち着いたらどうだ? ゆっくり話せばいい」


「す、すみません……あの、私もそろそろ結婚相手を探すべきかと思って、身近にちょうどいい相手はいるんですけど」


「良さそうな相手……ああ、ダミアンか」


「いやあのっ……そ、そうです」


 エドガーがずばり言ってしまうと、クリスティは今さらだと思ったのかあっさり認めた。


「でも、なんというか、ただ適齢期のときに近くにいるだけの相手、っていう理由で選ぶのはどうなんだろうとも思ったり……」


 エドガーはクリスティが自分を相談相手に選んだ理由をなんとなく察する。自分はダミアンと同年代の男で、おまけに既婚者だ。結婚の相談役にはまあ適任だろう。


「なるほどな……君自身はダミアンのことをどう思う? 夫婦になってもいいと思うのか?」


「んんー……嫌いではないです。あの人はいつもあんな感じですけど、見方を変えれば純粋で素直だとも言えますし。できることとできないことの差が激しい人だから、私が手助けしてあげればもっと生きやすいのかな……とも思ったり」


 ダミアンは職人としての才能と引き換えに社会生活能力が崩壊している。クリスティも油断すると仕事に熱中し過ぎるきらいはあるが、ダミアンとは比べ物にならない常識人だろう。彼女の言うとおりだとエドガーも思う。


「ただ……そもそもあの人には男性としての欲なんてなさそうですし、私は果たしてあの人と一緒で女として幸せになれるのかな、と思って……」


 両手の指をもじもじと突き合わせながら言うクリスティにエドガーは苦笑した。


「まあ気持ちは分かる。ダミアンはその……個性的だからな」


「というか変人です。狂人と紙一重かもしれません」


「ははは、違いない。それで、私から言える助言があるとすれば……それほど悩んでいるなら、時間に解決を任せてもいい、のではないかな?」


「時間……ですか?」


「ああ。君はまだ20代になったばかりだ。ダミアンは30過ぎだが、子を作ることを考えても男の方は多少歳を食っていようがどうにでもなる。だから無理に今すぐ結論を出さなくてもいいと思う……アールクヴィスト領は今は発展期で、私たち従士も忙しいからな。しばらく仕事に打ち込みながら、時間をかけて自分の気持ちと向き合うといいんじゃないか?」


 エドガーが言うと、クリスティはしばし助言の意味を考えるような顔をして……どこか安堵したような表情に変わった。


「……そうですね。そうします。ありがとうございます、エドガーさん」


 おそらく焦って考え込みすぎていたのだろう。結論を先延ばしにしていいと気づいて、肩の荷が下りたようだ。


「こんなことしか言えないが、気が楽になったならよかったよ……では、そろそろ自分たちの仕事に戻るか」


「ええ、それじゃあまた」


・・・・・


 アールクヴィスト領の領主と幹部陣による定例会議の習慣は、王歴217年の今も続いている。


 従士の人数が増えた今では会議もなかなか大規模なものになり、クレイモアからは隊長のグスタフだけが代表で出席していたり、従士ではないが家令のキンバリーも出席していたり、場合によっては領内の有力商人や職人、農民の顔役が呼ばれることもあったりと、領の発展に合わせてその模様も多少変化していた。


 二月の下旬のある日。平和な冬の定例会議はこれといって大きな報告もなく、あっさりと終了してお開きとなる。


 出席者たちは急ぎの仕事を抱えている者は足早に会議室を出ていき、一方で予定が詰まっていない者同士はしばし雑談に興じる。


 そんな中で、対話魔法使いのコンラートが、今は前線基地から領都ノエイナに一時帰還していて急ぎの仕事があるはずもないのに、駆けるように退室していった。


「……例の幼なじみの女の子に会いに行くんだろうねえ。青春だねえ。若いっていいねえ」


 コンラートの姿を微笑ましく見送り、じじ臭い台詞を言いながら手近な従士たち――ユーリとバート、リックに近寄ってきたのは領主ノエインである。


 領主夫人クラーラはマイやアンナ、クリスティといった女性従士たちとおしゃべりに花を咲かせているので、ノエインの傍にいるのは今はマチルダだけだ。


「俺たちからすればノエイン様もまだ十分に若いんだがな」


 ユーリが他二人の気持ちも代弁しながら答えた。彼らから見れば、ノエインもまだまだ他人の若さを羨むような年ではない。


「コンラートを見てると、自分が12歳くらいの頃を思い出して懐かしくなるよ。あの頃は僕らも今より初々しかったよね、青春してたよね、マチルダ」


「はい、ノエイン様」


 領主とその副官兼恋人の言葉を聞いて、ユーリたち三人は違和感を覚える。


「……ノエイン様、12歳のときにはマチルダと、その、恋仲だったんですか?」


 おそるおそるといった様子で聞いてみたのはバートだ。


「そうだよ? 9歳でマチルダと出会って、毎日ずっと一緒に過ごして……彼女がただのお世話係じゃなくなるまで、2年もかからなかったかな」


「えっと……それは色々とまずいのでは?」


 ノエインの発言に衝撃を受けた様子のバートに代わって、今度はリックが尋ねる。


 10歳そこらで一人の女性の心を掴んでいるノエインも尋常でないが、問題はその相手、マチルダの方だ。


 ノエインとマチルダは6歳差だと聞いている。ノエインがまだ10歳そこらのとき、マチルダはすでに成人していたはずだ。まだほんの少年の主人とそういう関係になっている成人の従者。ロードベルク王国の価値観では、かなりアブノーマルな関係と言える。


「って言っても、ちゃんと男女の仲になったのは僕が12歳くらいのときだったかな? ほら、最初は僕が色々と成長前で」


 ノエインがさらっと生々しいことを言うと、三人はドン引きした表情でマチルダを見た。


「マチルダお前……」


「12歳相手でも大概……」


「領地によっては普通に重罪じゃないですか……」


 最後にリックが言ったとおり、成人の15歳どころか仮成人の13歳にも満たない子どもとみだらな行為に及ぶのは、領主の厳しさ次第では指くらい切り飛ばされる罪である。


 その頃のノエインとの関係が王国のモラルから外れているという自覚はあるマチルダは、三人からドン引きされてどう答えるべきか悩み、


「……だから何ですか?」


 開き直ることにした。あなたたちが何を問題視しているのか意味が分からないといった怪訝な表情でユーリたちを見返す。


 今はノエインが領主貴族であり、ここではノエインの言うこと成すことがルールだ。そのノエインが問題にしていないのだから、まだ12歳そこらの彼と肌を重ねていた過去があって何が悪い……といった顔をする。


「「「……」」」


「あははっ、さすがマチルダ。それでこそ僕の愛するマチルダだよ」


 ユーリたち三人が黙り込むのをよそに、ノエインが上機嫌でヘラヘラと言い放つ。


 反論がないから自分の勝ちだ。自分と主人の愛の勝利だ、そうに違いない……とマチルダは内心で勝ち誇った。



★★★★★★★


代々の徳川将軍とかも8歳くらいから世継ぎ作りに向けた教育(実技)を受けてたらしいので、ノエインもセーフ……


ところで、ついに200話到達です。いつもお読みいただきありがとうございます!

 

冬の日常編が終わって、201話からはまた新展開です。

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