第183話 心理戦

「……そうか、残った戦力はそれだけか」


 夜。士官たちから報告を受け、親征部隊の残存兵力をまとめる立場になったタジネット子爵は嘆息した。


 おそらくアールクヴィスト領軍と思われる敵軍と、魔物の群れによる襲撃をなんとか切り抜けて野営地へと帰還したのは2200名ほど。兵力の3割近くを失ったことになる。タジネット子爵の直衛の精鋭兵たちも遂に帰ってこなかった。


 生き残った2200名も、全員が無事というわけではない。戦闘への復帰が難しい負傷者を除けば、残るのは1500人強。当初の兵力のおよそ半分だ。


 数が減っただけでなく、兵士たちの士気も落ちている。本来は一方的に敵国のアールクヴィスト領の村を蹂躙し、今ごろは奪った食糧や酒で祝杯を上げ、捕らえた民を殺したり女を犯したりして楽しんでいるはずだった。それが敗軍の兵としてボロボロになりながら野営地に戻ってきているのだ。元気なはずもない。


 それでも王国軍兵士はまだぎりぎり軍としての統率を保っているが、傭兵たちの士気低下は絶望的な域に達している。そこら中に適当に散らばり、武器も持たずに地べたでだらしなく休んでいる様は、まるで難民だ。


 いくら国王のお気に入り部隊とはいえ所詮は傭兵か、とタジネット子爵は思う。南部国境の戦いで兵力を消耗し、今も国境線の維持のために多くの将兵をあちらに配置している。そのせいで親征の主戦力に傭兵を混ぜなければならないのがランセル王国の現状というわけだ。


「……国王陛下にお目通りする。報告をせねば」


 側近に告げると、タジネット子爵は着崩していた軍服を整えて国王の天幕へと向かう。入室を許可されて天幕の入り口をくぐると、そこには野営用ベッドに横たわったカドネの姿があった。


「陛下、報告いたします。先の戦闘での生存者はおよそ2200人。うち戦闘を継続できる者は1500人強です」


「……そうか。まだ半数は戦えると。だが、俺がこのザマでは意味がないな」


 力のない声で自嘲気味に笑うカドネ。敵の矢を肩に受けた彼は上半身の服を脱がされ、包帯を巻かれていた。治癒魔法使いによって傷は塞がれているが、撤退に手間取ったせいで治療を受けるのが遅れた。重傷を負った者によくある発熱の症状が出始めている。


 さらに、敵は卑劣にも矢に毒か何かを塗っていたらしい。矢を受けた直後のカドネは指の一本も動かせないほどひどい麻痺に見舞われた。今はそこまでではないが、両足がまったくと言っていいほど動かなくなっている。


「これでは騎乗するどころか、自力で歩くこともままならん。俺はもう終わりだ。お前たちの旗頭にはなれん……」


「陛下、どうかお気を強く保たれてください。きっとまた陛下はご自分の足でお立ちになることができます」


 言いながら、タジネット子爵は自分の言葉が気休めでしかないと分かっていた。


 矢に何を塗られていたのか分からないのだから、どう治療すればいいのかも分かるはずもない。毒の治療は初動が大切だが、症状が固まった今からでは適切な治療方法が分かっても効くかは疑問だ。それにおそらく、敵は簡単に治療できるような生易しい毒を塗ってはいないだろう。


「タジネット子爵。指揮はお前に一任する。撤退するのでも、動けない俺を馬の上に縛りつけてもう一度敵を攻める御輿にするのでも、好きにしろ」


「……御意」


 応えながら、再侵攻は無理だろうとタジネット子爵は考える。


 矢が肩を貫通し、全身を硬直させながら運ばれるカドネの姿を多くの兵が目にしたのだ。「カドネ国王はもう駄目だ」という噂が部隊内に広まってしまっている。社会を犠牲にして戦争に注力する今の王国の方針はカドネの野心あってこそのものだ。肝心のカドネがこの状態では親征など続けられない。


 それに奇襲がばれた時点で、敵はこの侵攻路に続々と兵力を集結させて対抗してくるだろう。南部の国境とこの侵攻路で二正面作戦を行う力がはたして今のランセル王国に残っているか疑問だ。


 と、そこへ兵士の声が響いた。


「敵襲ぅー! 敵襲ぅー!」


「て、敵だ! 敵が追撃してきた!」


 天幕の外がにわかに騒がしくなる。


「ああ、また敵が……もうおしまいだ……俺はおしまいだ……」


 絶望的な表情で頭を抱え、弱音を吐くカドネ。それを横目で見て、軍閥貴族としての熱が冷めていくのを感じながら、タジネット子爵はそれでも言った。


「どうかご安心を。陛下は我らが命に代えてもお守りいたします……兵の指揮をとってまいります」


 なおも狼狽えるカドネをよそに天幕を出たタジネットは、野営地の状況を見てため息をついた。


 ほとんどの兵が右往左往するだけで、まともに部隊行動ができているのは親衛隊など一部の精鋭だけだ。その精鋭が声を張り、兵士たちの統率を図っているが、敵に備えるための陣形作りは遅々として進まない。


「何をしている馬鹿者ども! 側面の森と正面の侵攻路に向けて隊列を組み、武器を構えればいいだけだろうが! さっさと動け! 動かない者は私が後ろから魔法で串刺しにしてくれる!」


 くり上がりとはいえ総指揮官になってしまった以上、自分がこの場をまとめるしかない。タジネット子爵はできる限りの迫力を込めて怒鳴り、総指揮官の命令を得たことで兵士たちもなんとかまとまっていく。


 ようやく陣形らしきものを作った後も、兵士たちの顔は不安に満ちていた。


 見えないのだ。周囲が。


 森の中の夜は暗い。かがり火に照らされた野営地から一歩出れば、どこに木があるのかも分からない闇が広がっている。


 アルバラン信仰は普人のみが正統な人間であると定めており、亜人や獣人の兵士は扱いが悪い。親征部隊にわずかにいた者も、昼間の戦闘で普人の兵士を救うために捨て駒にされて全滅した。夜目を利かせて周囲を見張れる者はもういない。


 そして侵攻路の方を見れば、闇の中に溶けた道の先からは敵軍と思われるかがり火が迫ってくる。その数から推測すると、敵は1000に迫ろうかという大軍だった。


 敵軍の火はしだいに迫ってきて……やがてその先頭の姿が明らかになる。


「あ、あれって……」


「うわあぁ……ひどい……何てことを」


「そんな、何もあそこまで……」


 そこにいたのは、ランセル王国軍の将兵の死体を、長い槍に突き刺して掲げたゴーレムだった。


・・・・・


「これで敵の侵攻部隊も完全に打ちのめされるよ、きっと」


「まあ、確かにそうでしょうな……敵どころかフレデリック殿も引いていましたよ」


「一昨年の戦争でも色々と引かれたから、今さらだよ」


 夜襲部隊の最後方で、ノエインはユーリとそんな言葉を交わす。


 夜襲と言っても、武力を以て敵を直接攻撃するのではない。今から削りにいくのは敵の戦力ではなく精神力だ。


 アールクヴィスト領軍のうちまだ余力のあった者とケーニッツ領軍から借り受けた兵士の合計200人強に、先が4つに分かれた松明を持たせ、こちらが1000人ほどの大部隊に見えるよう欺瞞して侵攻路を進む。


 また、長い槍に敵兵の死体を串刺しにしたものをクレイモアのゴーレムたちに持たせ、先頭に立たせる。


 さらに、再びラドレー率いる別動隊を組織して、ある作戦のために敵野営地の周囲の森に潜ませてもいた。


 ベゼル大森林の中を夜に進むことになるが、侵攻路の周囲の魔物は敵が昼のうちに全滅させてくれているので危険はほとんどない。


「……敵の野営地が見えてきましたな」


「それじゃあ、ゴーレムに担がせた魔道具の出番だね」


 ノエインが命令を下し、クレイモアのゴーレムの背中に取りつけられていた魔道具が起動される。


『声真似の魔道具』と言われるこれは、人間の声などをごく短い時間録音し、それを再生するという単純なものだ。主に赤ん坊をあやしたり、狩りで獲物をおびき寄せたりするときに使われる。


 ノエインはこれを魔道具職人ダフネにいくつか作らせ、ゴーレムに背負わせていた。


 その魔道具から、声が発せられる。


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


 魔道具に記録されているのは、アールクヴィスト領軍の中でも特に声が低く迫力のある男たち10人の声だ。それが複数の魔道具から発せられて重なり、響き渡る。


・・・・・


「ああ、ああぁ……」


「嫌だ、もう嫌だあぁ……」


「神よどうかお許しを……私の罪をお許しください……」


 ランセル王国軍親征部隊の兵士たちは、完全に戦意をくじかれていた。陣形こそかろうじて維持しているが、もはや戦う気力はない。顔は青ざめ、足は震え、祈りの言葉を唱え、腰を抜かす者もいる始末だ。


 目の前ではゴーレムが、昼間まで生きていた仲間の死体をこれ見よがしに串刺しにして掲げている。尻から口まで槍が貫通している死体もあれば、もぎ取られた頭だけが団子のようにいくつも槍に刺されているものもある。


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


 そしてさらに、響き渡る声が兵士たちに恐怖を与える。


 深い闇の中で、恐ろしげな低い声が幾重にも重なって響く。森の木々に反響した声は、正面からだけでなく野営地を側面からも包むように鳴る。


 まるで闇の世界に孤立し、人智を超えた存在に囲まれているかのような異様な感覚。どこにも逃げられず、ただただ恐怖に包まれることしかできない。


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


『『愚かな侵略者に神の裁きを』』


 何が親征だ。何が神々に見守られた正義の戦いだ。神は今、自分たちこそを愚かだと責め立てているではないか。カドネ国王はきっと神の怒りに触れたのだ。


 一部の信心深い兵士はそんな気持ちにさえ包まれる。


「ひっ、何だ!」


 そこへ、左右の森から何かが投げ込まれ、ごろごろと兵士たちの足元を転がる。一つや二つではない。何十という数だ。


「こ、これは!」


「首だ! 仲間の首だ!」


「あああもう嫌だ! 帰りたい! 家に帰らせてくれ!」


 投げ込まれたのが首だと気づき、兵士たちは半狂乱になる。死に際の苦しみに包まれた顔。おそらくわざと損壊されて見るも無残な顔。さまざまな顔と目が合った兵士たちが、さらなる恐怖に包まれる。


 腰を抜かす兵士はさらに増え、気を失う者や失禁する者も現れる。根性のある一部の精鋭兵は懸命に周囲の味方を励まそうとするが、少数の努力などもはや焼け石に水だ。


「……まったく、情けない」


 そんな光景を見ながら、タジネット子爵は今日で何度目か分からないため息をついた。


 これこそただのこけおどしだ。確かに不気味な演出ではあるが、物理的な被害はない。おそらく敵はこちらを襲う気もない。


 だが、今ばかりは敵のこけおどしは非常に有効だった、ここまで心を折られた兵を連れては戦えない。


「もう無理だな。夜明けとともに撤退だ」


 この戦いは自分たちの負けだと、タジネット子爵は思い知った。

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