第179話 進軍②

「ノエイン様、ラドレーより報告です。敵の隊列先頭が予定地点に到達し、別動隊は隊列中央に向けて動物の血を投げ入れました。広範囲に血をまき散らすことに成功。これより『風起こし』の魔道具も投げ込むそうです」


『風起こし』はその名の通り風を巻き起こすだけの初歩的な風魔法で、魔道具によって再現することも容易だ。


 今回ノエインが考えた策をより効果的なものにするため、魔道具職人ダフネに頼み、壺が割れると同時に『風起こし』が発生する道具を作ってもらったのだった。ラドレーたちにはそれを持たせてある。


「分かった。それじゃあこっちも動き始めようか……リック、直ちに発射を!」


 ノエインが後方のバリスタ陣地に向かって叫ぶと、リックも声を張って返してくる。


「お任せください! ……全弾発射!」


 12台のバリスタは、あらかじめ着弾点を計算して、狙った位置に爆炎矢を曲射できるように設置されていた。敵の先頭が予定地点に到達したときに爆炎矢を撃てば、ちょうど敵の前方を分断できるようになっている。


 敵の隊列の伸び方と現在の風向き、風速をもとに、リックが勘で射角などを多少修正したバリスタが、一斉に爆炎矢を空へ撃ち出した。


 着弾の様子は目視はできないが、緩やかにカーブしている道の向こうから「ごうっ」と空気が爆ぜる音が届く。


「ラドレー、報告を……分かった。ノエイン様、爆炎矢は概ね想定通りの地点に着弾。敵を前方500人と後方2500人に分断することに成功しました」


 別動隊から成果確認を受けたユーリが、その情報をそのままノエインに伝える。


「分かった、ラドレーたちにはこっちに戻って来てもらって。リックと選抜兵は狙撃用クロスボウを持って次の行動に移って……さて、僕たちも動こう。前進!」


 ノエインが命令し、アールクヴィスト領軍のうち別動隊とリックたち選抜兵を除いたおよそ250人が進軍を開始した。


・・・・・


「エヴァルド! この攻撃は何だ! どこからだ! どうして俺たちが攻撃されている! これは俺たちの奇襲だったはずだろう!」


「陛下、どうか落ち着かれてください!」


 血の臭いに対してはまだ冷静さを保っていたカドネも、後ろで巻き起こった爆炎を見てさすがに動揺したらしい。焦りの表情を浮かべて叫ぶ主君に、エヴァルドはそう返した。


「ぎゃああっ! 熱い! 熱いぃ! 助けてえぇ!」


「馬鹿、こっちに来るな!」


「転がれ、転がって火を消せ!」


「どこからの攻撃だ! なんで敵に奇襲がばれてるんだ!」


 爆炎の直撃を受けた兵士たちが燃えながら叫び、転げ回り、無事だった兵士たちにも動揺が広がる。奇襲をかける側だったはずの自分たちが不意打ちを受けている異常事態に、パニックが起こりつつあった。


(まずいな、このままでは統率がとれなくなる)


 エヴァルドは焦り始めていた。こうして攻撃を受けた以上は親征の情報がどこからか漏れたと考えるしかないが、敵の奇襲の第一手が後方との分断というのは、エヴァルドたちにとっては最悪だ。


 炎の壁よりこちら側にいるのはわずか500人強。そこにカドネも含まれているのがさらに悪い。国王直衛の親衛隊はまだ落ち着いて周囲を警戒しているが、他の兵士たちが瓦解すれば王を守り切れないかもしれない。


「おい、後方のタジネット子爵と連絡をとれ! こちらへ兵を回すよう伝えろ!」


 傍らに控えていた通信担当の対話魔法使いに指示を飛ばすエヴァルド。


「御意……こちらカドネ陛下直衛。そちらの兵を前方に回すようにとのご命令です」


 対話魔法使いがタジネット子爵と『遠話』でしばし言葉を交わす。


「はっ、そのようにお伝えします……タジネット子爵閣下はすぐにこちらへ援軍を回すそうです。ただ、炎の壁を迂回して森の中を通らせるため、少数ずつになると」


「それで構わん。ただしできるだけ急ぐよう伝え――」


「ぜ、前方より敵の軍勢です! 数およそ300!」


 そこへ、隊列前方から駆けてきた士官がエヴァルドの言葉を遮って伝える。エヴァルドはそれを気にした風でもなく前を見やり――獰猛な表情を浮かべた。


「……ほう。本隊は正面から姿を現すか。よほど強気のようだな」


 進軍してきたのは、エヴァルドの知る戦いの常識から考えるとやや異様な軍勢だった。三角形の妙な鉄板を先頭に、その左右には奇妙な弓……おそらくクロスボウとかいう新兵器を構えた部隊、そして中衛には歩兵部隊、さらにその後方には本陣と思われる集団。


 下級貴族領で300の兵力を揃えてきたことを考えると、ほぼ総力戦を仕掛けてきたと見て間違いないだろう。


 エヴァルドは敵の後方の中心に立つ黒装束の魔法使い――総指揮官と思わしき男と目を合わせた。


・・・・・


「あの派手な金鎧がカドネ国王か。自己顕示欲の強そうな人だね……それで、その隣からこっちを睨んでるおじさんが実質的な総指揮官かな?」


「はっ。ランセル王国の軍閥の中心的な貴族の一人で、エヴァルド・ロットフェルト伯爵です。偉大で優秀な将だと言われています」


 ノエインの呟きにジェレミーが答える。


「へえ……まあいいや。ダント! クロスボウ部隊を前に」


「はっ! クロスボウ部隊、射撃用意!」


 ノエインが指示すると、陣の前方で指揮を取るダントが声を張る。両脇にいたクロスボウ部隊が前面に広がって列を作り、最前列がクロスボウを構える。志願兵の即席部隊にしてはそれなりに機敏だった。


 それに対して、敵側のロットフェルト伯爵も何やら叫ぶ。すると、敵の隊列先頭にいた兵士たちが密集して盾を構えた。さらにその後ろでは弓兵が動いている。


「敵はどうやらクロスボウを知ってるみたいだね」


「先の戦争で散々撃たれたでしょうからな……それにしてもあの早さで盾を構えて並び終えるとは、敵も大した練度です」


「だね。だけどそれもどこまで通じるかな……」


 ノエインは傍らのユーリとそんな言葉を交わした。


「一列目、撃てえっ!」


 ダントが叫び、クロスボウ隊の一列目が一斉に矢を放つ。敵の最前列に飛んだ矢は……いくらかは狙いを外れ、または盾に突き立って止まったが、当たる位置や角度がよかったものは革製の盾を貫いて敵兵に刺さった。


 倒れたのは数人だが、矢が盾を貫通したという事実に敵兵たちが動揺を見せる。


 その動揺の隙をついて、一列目のクロスボウ兵が後ろに下がり、二列目が構えた。


「次、撃てっ!」


 ダントの指示でその二列目が即座に矢を放つ。


「次、撃てっ!」


 さらに兵が移動し、三列目も一斉にクロスボウを撃った。射撃を終えた兵士たちはまた後方に回る。


 一昨年の大戦でベヒトルスハイム侯爵が行ったという三段撃ちの戦術を、ノエインはそのまま真似させてもらっていた。領民をかき集めた即席のクロスボウ兵で練度が低く装填に時間がかかるので、三列ではなく五列編成だ。


「敵の攻撃です!」


 と、そこで敵の盾隊の後ろから曲射による矢が飛んでくる。


「盾構えー!」


 敵の矢はクロスボウ部隊と、その後ろのクレイモアや歩兵部隊にも降り注ぐ。クレイモアのゴーレム使いを大盾兵が守り、歩兵部隊やクロスボウ部隊は各々が持っていた盾で身を守った。


 急ごしらえの粗末な木製盾しか持っていないクロスボウ部隊を中心に、少数ではあるが負傷者が出る。盾で隠しそこなった足に矢を受けた者や、運悪く矢が盾を貫通してしまった者が倒れる。


 矢の勢いを見るに、弓兵の数は100以下か。おそらくこうして隊列先頭がいきなり対人戦に突入するなど思っていなかったのだろう。


 と、そこで敵に動きがあった。


「あれは……前進の合図かな?」


 ド派手な黄金鎧のカドネが剣を掲げて前に進み出したのを見て、ノエインは呟いた。


「の、ようですな。おそらく接近戦を仕掛けてくるつもりでしょう。矢の撃ち合いでは威力と弓兵の数で劣る自分たちが不利と判断したようです」


 ユーリの見立てどおり、敵軍がこちらへ向かって進み始める。最前列の盾兵に守られるようにして、500人の軍勢が接近してくる。


「……大した度胸だね」


 自ら馬を進めるカドネを遠目に見てノエインは呟いた。これまで聞いた話から愚かな王だと思っていたが、少なくとも腰抜けではないらしい。


・・・・・


「ちっ、敵の主力はクロスボウか……」


 苦虫を噛み潰したような表情でエヴァルドは呟く。ロードベルク王国の新兵器であるクロスボウについてはランセル王国も把握しており、誰でも手軽に扱える点が脅威だと考えられていた。


 クロスボウは威力でも通常の弓に勝るらしく、その証拠に最前列の盾兵の一部は貫通した矢に倒れているようだった。射程では曲射が可能な弓の方が勝るだろうが、この近距離の撃ち合いではそのメリットも意味がない。


「陛下、このまま矢を撃ち合っては敵の方が有利です。一気に前進して敵に肉薄し、殲滅するべきかと。数ではこちらが勝っています」


 敵は300人足らずで、対するこちらは500人だ。その上、少しずつだが後方の兵士も炎の壁を迂回して合流している。真正面からぶつかれば勝てる。


「そうか、お前がそう判断するのならそれが最善なのだろう……では全軍、前進! 私も共に前へ出よう! 小賢しいロードベルク人を皆殺しにするのだ!」


 カドネはそう声を張って剣を前に掲げた。その言葉と、王自らが馬を前に進める行動に勇気を得て、兵士たちも少しずつ前進する。炎の壁や敵軍の出現で乱れかけた秩序が戻り始めていた。


(……これだから仕える甲斐もあるというもの)


 エヴァルドもカドネに並んで馬を進めながら、横目で自らの主君を見て思った。


 出涸らし扱いの第三王子であったカドネにどうしてこれほどの野心と度胸が芽生えたのかは分からないが、腰抜けも甚だしかった先代国王の息子と考えると上出来すぎるほどの武人だ。


 武人としてのカドネ個人は凡庸で、若いが故に戦術的な判断力の不足はあるが、この状況で自ら剣を掲げて前進できるだけでも、戦乱の世の王としての資質は十分である。


 まだまだ勝てる。自分たち前方の500人強が敵に肉薄し、そこへ後方の2500人も合流すれば――


「っ! タジネット子爵閣下より報告! 炎の壁より後方に魔物の大群が襲来しているそうです! その対処に追われ、これ以上兵を回すのは難しいと……!」


 エヴァルドの思考を対話魔法使いがかき乱した。


「魔物の大群!? 何故このようなときに……あの血か!」

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